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326.まわりの空気なんてね、読んじゃあいけないんだよ!

1.  空気を読まない人になる


 世の中には「空気を読める人」と「空気を読めない人」がいますね。
そして、「空気を読めない人」って、ほとんど嫌われている。

でも、その「空気」って何?
 
coucouさんの場合、仕事柄のせいか、よく周りの空気を読むようにする。
特に数人又は数十人いる場合が多いため、空気を読むという習慣が自動的に身についてしまったようだ。

空気って、「その場の状況や雰囲気を壊さない」というコミュニケーションツールの基本のようなもので、これができなければ伝えたいことが伝わらなかったり、共感や賛同を得られなかったり、一人だけ浮いてしまったり、さらに嫌われたりする世の中。

だから、生活や仕事をする上でとても重要視されているものだね。
でもね、それはプラス面ばかりだけでなくマイナス面も多い。
 
そのマイナス面って、周囲の空気を読もうとするあまり他人に合わせてしまう、自分の意見を抑えてしまう、自分の考えとは違うのに同調してしまうことだ。確かに空気を読むことは大切なことだけど、それがすべてではないよね。
 
場合によって、「空気を読まない」という選択が、必要になるときもあるんだよ。

この「空気を読まない」というのは、
「空気を読む」「空気が読めない」ではなく、
あえて、「読まない」という選択。
 
coucouさんは少しばかり、
いや。かなりの重症病患者かもしれないけど、異常に空気を読む習性があり、いつもこの人は何を思い、何を考えているのか?と頭の中がフル回転してしまう。

だから、考えなくても良い事まで考えすぎてしまい、人の心を読み過ぎて混乱してしまう場合がある。(いつも、ヘトヘトとなる)

例えば4人、5人での会合なども話しながら相手の反応を見ていたり、相手の話を聞きながら他の人の反応を考えたり、と勝手に相手がどう受け止めているのか、何を求めているのか、何を考えているのか?とその場の空気を読んでしまう。
講演会などの数十人、数百人いても同じ。
参加者の反応を見たり、主催者の反応を見ながら話し、その場の反応で内容を変えるときもある。

そのためとても疲れ切ってしまう。

そう、重症患者なんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.  私は空気を読む重症患者

ここで少しだけ、空気を読み過ぎる重症患者の話を聞いて、
お役に立てば良い参考例となるかもね。

「空気を読む」って、その場の雰囲気から状況を推察する。
特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないか、や相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断すること。

また、互いに空気を読みながら会話をすることによってコミュニケーションが円滑に進むことは確かだよね。

だけど、「空気を読む」ことを優先した結果、自分の考えや意見を押し込める場合も多くなる。

つまり、「遠慮」。

その遠慮は、言いたいこと、伝えたいこと、
本心を伝えることができなくなる。

「ああ~この人といると、迷惑がかかってしまうかも!」
「一緒に居たら、だめ!」
「自分から連絡したら相手に負担をかけてしまう!」
「相手の邪魔をしてはいけない…」などと、
相手はそう感じていなくとも、自らが勝手にそう感じてしまうんだ。
 
つまり、自分を主張することで相手に嫌な思いを与えてしまうのではないかという遠慮が生まれてしまう。

遠慮することは、別に悪いことではないけれど、相手に遠慮しないことで失礼にあたる場合もある。

ほとんどの「空気の読めない人」は自己主張が強いともいわれているけど、自分の意見を主張することは悪いことではないよね。
むしろ、自己主張したことで「あの人は空気を読めない人」といわれるならば、それはタイミングやいい方にあるような気がする。
 
だから、主張することが「空気を読めない人」ではないよね。

でも、丁寧な説明のため話が簡潔でなく、相手にわかりやすく伝わりやすくなければ、ただ話が長いだけだと、相手にそう思わせてしまう恐れもある。(自分の感情を入れ過ぎると相手に伝わりにくい)

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.  他人の意見に同調することではない

coucouさん自身、この「空気を読む」ということは、
自分の考えを押し殺し他を優先させる、他の意見を同調するもの、
と長い間捉えてきたけれど、今までの経験の結果から、
「誰かの意見に同調することではなく」
「その状況を察する」が本当の空気を読むことだ、ということがわかるようになった。

つまり、主張をすること=「空気が読めない」ではなくて、
他人を優先すること=「空気を読む」でもない、ということだった。

これは重症患者のcoucouさんが体得した病の処方箋だ。

つまり、「空気が読めなくとも」「空気を読めても」、前向きで楽しくなければ成り立たないってことだった。互いが無用な遠慮し合いながら、気遣い合いながら、主張を抑えながらだと、そこには何も生まれない。
 
みんなが、いろんな意見をどんどん出しているような状況においては、自分もアイディアを出すことによって、嬉しい相乗効果が生まれるはずなんだよね。そう、楽しくなければコミュニケーションが成立しないということなんだ。
 
自分が今ある状況において何をすべきか、
あるいは相手が何をしてほしいか正しく判断する、
これが本当の意味での「空気を読む」ということなんだね。

相手も自分も楽しい、
喜びや何かしらの感動や学びがある、自分も相手も気持ち良い。
それが「空気を読む」ということだったのさ。

だから、coucouさんは、そんな空気を読むのを止めてみた。

そう、空気を読まない人になったんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

4. 空気を合わせない人になる

coucouさんはね、長い間、間違えてきた。
言いたいことも言わずに、自分自身を犠牲にするような空気の読み方は大きな間違いだったことに気がついた。
本当は言いたいことがあるのに気を遣って空気を読んだつもりでいても、相手には全く伝わっていないことが往々にしてあったからね。

また、それは、自分にとっても良くないことだもの。
 
みなさんは、空気を読んだつもりで、結果的に自分や誰かを傷つけてしまったことはない?自分の抱く考えはもちろん、相手の考えも尊重し、お互いを認め合う気持ちが何より大事なんだけど、それがわからないcoucouさんは随分と人を傷つけてきたかもしれない。

だから、自分も相手も大切にしたいとき、
そんなときは、あえて「空気を読まない人」になる必要もあるかもね。

最近の世の中の様相を眺めていると、coucouさんのような「空気を読み過ぎる人」が多いということに驚かされている。

 
例えば、その場の状況において、どうしても自分の意見と合わない、賛同も納得も出来ない場合もある。

たとえば、多数派、沢山の人が、
「ワクチンを打たなければいけない…」
「え~まだ打っていないの?」
「信じられない~」
「早く打たなくちゃ!」
、などと言われると、自分の意に反して合わせるようになる。

「私はワクチン接種に納得していないの!」
などと言い返せなくなってしまう。
 
coucouさんのまわりには、「科学的根拠がないワクチンなど信じていないから両親に絶対打たせないわ!」と言い切っていた女性がいたけれど、結果、納得のないまま世論に合わせてワクチン接種を両親に打たせた。

(ワクチン接種が悪い事ではなく、世の中の空気に合わせてしまう、多数派を信じてしまうことが悪だと思う)
 
また、上司や同僚、友人の悪口を周りが話している最中に、自分はその中に入っていなくとも、同じような悪口をいわなくとも、みんなの中では自動的に同意せざる、得ない、難なくやり過ごす、というように周りの空気に合わせてしまう。
結果、そのことで自分が苦しくなり、嫌な気持ちが残るならば、あえて「空気を合わせない人」になるという選択が必要になる気がする。

©NPО japan copyright association Hiroaki

5.  空気を読まない人になる


 確かに、大人になれば世間体や、世間の目を気にする必要もあるのかもしれないけれど、世の中の多数派のほとんどが、その場の空気を読み過ぎ自分の意と反する生き方をしてしまう。

でもね、もう多数派に振り回される生き方には、
最善の注意をしなければいけないよね、だって、判断力を失う恐れがあるものね。
(何よりも、そこには自分の考えや意思はないのだから)

もう、「空気を読むこと」ばかりに気を取られて生きる事よりも、しっかりと地面に足を着けて生きる時代かもしれない。

それが「空気を読まない生き方」なのさ。

問題は、自分にとって何が重要で、何が大切なのか、という優先順位だね。
本当は「空気を読まない」生き方が正しい生き方で、それが自分の人生を強くする方法であり、人生を楽しく、幸せに生きる方法だとcoucouさんは信じている。
 
もう、空気を読む生き方を捨てて見ませんか?

世間で言う「KY」は、本当は良い言葉かもしれませんよ。

「空気を読まない」(「空気を読めない」ではありません)、ことはそんなに悪い事ではない。

もう遠慮したり、我慢したり、言いたいことが言えなかったり、そのために振り回される窮屈な人生。
もしかすると、「空気を読まない生き方」は私たちの人生観を思いっきり変えるかもしれない。
 
私たちは、その場の空気を読んで、
必死に頑張り、人の顔色を伺い、人に合わせ過ぎてはいない?

もし、そのことで何かしらの罪悪感、違和感や窮屈、疑問、不自然、辛い場合、それが間違いのメッセージだと信じてみない?

好きでもない相手に合わせたり、
愛してもいないのに愛した振りをしたり、
お金の為に我慢したり、
何よりも自分の言いたいことや伝えたいことを押し殺していない?

でも、どうしてそう感じるの?

それはね、それだけ自分を無理やりに抑えているからさ。
 
そう、空気を読む人は無理ばかりしている人なんだよね。

©NPО japan copyright association 

coucouさんです。みなさん、ごきげんよう!

空気って、読めなくとも、読みすぎても、
どちらも他人に合わせようとする考え方だよね。

ただ、人に合わせることは悪いことじゃあないよ!

好きな人に合わせる、大切な人、かけがえのない人、愛する人、友だちたち。それは相手を大切に思うから必要な礼儀でもあるからね。

だからといって、問題は、「相手に合わせ過ぎる」ことで、
人を傷つける場合もあるからね。

好きでもない人に、好きだという素振りを見せたり、自分の都合や利用価値、利益のために、無理やり相手に合わせて人の心に近づいていく人たちがいることだ。

これは、ある意味、騙し、裏切りに近い好意かもね。

後で本人が知ったら傷つくような嘘や情報などは、
絶対の間違いだとcoucouさんは思うんだ。

合わせるってね、相手を心から愛していたり、尊敬していたり、大切に思える場合のコミュニケーションだからね。だからといって、自分の意図しないことを無理やり合わせるのは思いやりではないよ。

合わせるって、そこには「優しさ」があるものなんだよね。

だから「空気」にも「優しさ」が必要なんだ、と思う。

オリジナルラインスタンプより©NPО japan copyright association 


今日も、最後まで読んでくれて
みんな~
ありがとう~




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