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【読書】常識をぶち破れ

お疲れ様です。皆さんは、愛で生きていますか?

冒頭から何を言い出すのかと思われた方もいるかもしれません。今回は、本の感想を書きつつも、愛についてお話します。

斎藤一人さんによる、『常識をぶち破れ』という本を読みました。
大きめの字で書いてあるので、普段読書をしない人でも読みやすいと思います。


※以降、引用やネタバレがあるのでご注意下さい。

斎藤一人さんの本を読むのはこれが初めてではなく、今回久し振りに読ませてもらいました。斎藤一人さんの本は、私が小学生の時から読んでいるような気がします。

どれも、そうかなるほど、と思ったり、もう少し生きてみようかな、と思える本ばかりなので、気になる方は他の本も読んでみて下さい。

本作は、愛をキーワードに、どうしたら人生がより生きやすくなるか、という生き方に関してのアドバイスが書かれていました。早速引用させて頂きます。

心を軽くした人ほど幸せになるし、ふわふわな生き方を始めた人から成功する。

『常識をぶち破れ』

確かに言う通りである。辺りを見回してみても、うーんと重く考えている人は人生を生きるのに、苦労しているイメージが強い。しかし、その反対で何も考えていないような人っていませんか?
私の友達でいるんですけれど、その人は本当に見ていても、少し地面から浮いているんじゃないかっていうくらい軽く見えていつもにこにこしていて、こういうことだな、と思いました。物事を重く捉えてしまうと辛くなります。なにか問題が起きたとしても、軽い気持ちで、むしろこの状況を楽しんじゃおうというスタンスでいれば、明らかに人生というのは生きやすくなります。

では、軽い生き方をするには、どうしたらよいのか。それが、本書のタイトル通り、今までの常識にとらわれないことだと、一人さんは言っています。とはいえ、ただ常識を破ればいいというものではなく、そこには必ず「愛」が必要になる。自分も相手も、誰もが愛を感じられる常識破りでなくては、単なる非常識な人間になってしまう。

というより、一人さんが言っているように、愛で考え、愛で動いた結果が、常識破りになってしまったと言えるかもしれません。例えば、子育てに関して言ったら(これはあくまで私の例です)、親に勉強しろと言われ、そうやってする勉強が嫌であまりしなかった子どもがいるとする。確かに、常識としては子どもは勉強するものだという考えがそこにはあるのかもしれない。もしかしたら、将来苦労して欲しくないからという両親なりの愛がそこにはあったかもしれないけれど、それは子どもの私には伝わらなかった。もし、子どもの考えを尊重して、無理やり子どもをコントロールさせようとしなければ、私も勉強したくなったときに勉強して、遊びたい時に遊んで、楽しい生活を送れたかもしれない。この場合、子どもに対して勉強をするように言いつけないことが「愛のある常識破り」になるのでは、と思いました。勉強しろという親自身も言っているだけと思われがちかもしれないけれど、勉強しない子どもにいらいらしていると思うんですよね。少なくとも、私はそれを言われているとき、親がイライラしていると感じて、怖いと感じながら生きてきました。もちろん、子どもをそれを言われ続けている中で育ったら、ただ作業として勉強をするという形になってしまう。

そもそも、勉強=嫌いという考えが広く浸透してしまっている気がしますけれど、初めからそういうものはないのではないかって私は思うんですよね。周りが、勉強はやりたくないものだからって決めつけて、だから自分の子どもにも強制的にやらせなくちゃみたいな考えになってしまっているんじゃないかって思ってしまいます。だって、どこまでが本当の話なのか分かりませんけれど、よくテレビで勉強のできる優秀な子どもとして紹介されているのを見ると、親から勉強するように言ったというのは聞いたことがありません。大抵、子どもが何かに好奇心を抱いたときに、親は学べるようにそれをサポートしただけというのが多いような気がしましたが、実際はどうなんでしょう。


一人さんは、「人間関係を制したものは、人生を制する」と言っても過言ではないと言っています。まさにそうですよね。人生は、人間との関わりが連続してできているようなものですから。

愛があれば、人間関係におけるトラブルの多くは回避できるし、問題に発展したとしてもスムーズに解決しやすい。

『常識をぶち破れ』

これを読んで、愛って最強じゃないかって思いませんでしたか。でも逆に、そんな簡単にいくかよって思われた方もいるような気がします。でも、愛に生まれながらの環境も才能も関係ない、と一人さんは本書で述べています。そこまでいう愛とは何なのか。愛とは相手のためを考えることです。だから、一人さんは愛に環境も才能も関係ないと言いたかったんだと思います。

人間は一人一人、生きてきた環境が違うわけで、過酷な環境の中で生きてきた人は、相手のために何かを考えたりすることなんてできるかと思う人もいるかもしれない。相手のことを考えるより前に自分のことで精いっぱいなんだという人もいるかもしれない。でも、よく考えてみてください。自分のことしか考えられない人、それって、周りから見たら自分勝手でワガママな人に見えているかもしれません。周りにそういう人がいたとして、あなたはそういう人と仲良くしたいと思いますか? 

私はそうは思いません。自分のことで精いっぱいな人とは、話していても自分のことしか考えていないし、こちらもなんだか申し訳ないなと思って一緒にいたいと思わなくなる。だから、ワガママというのは、結局自分のために生きているようで、自分自身のことを傷つける行為なんだと、一人さんは言っていました。

そういえば、面白いなと思ったのがあったので、紹介します。一人さんの妄想のひとつに「彼女40人説」というのがあるようで、常にこの考えで生きていると、常に明るくいられると言っていました。悪いニュースを見たとしても、「あーあ、この人も彼女40人いたら犯罪なんかしている暇はなかっただろうに」って。だって、彼女40人もいたら、デートの約束や自分磨きで忙しくなると思いますからね。

まあ、頭の中で何を考えるかは個人の自由なので、自分で好きなように楽しく考えればいいんだな、と思いました。だって、誰もこういうことでくよくよ悩みなさいなんて言っているわけではないですからね。一人さんの本を読んでいると、そうだよなあと思って、今まで苦しんでいたのが馬鹿らしく思えてくるから不思議です。別にそれくらい大したことないやって思えてしまいます。


あと一つ引用して終わりにしたいと思います。

いま生きることがつらい人は、まず常識を疑ってみるといい。

『常識をぶち破れ』

今の自分にぐさっと刺さりました。皆さん、これですよ。常識にとらわれていませんか。例えば今の私だったら、大学に行けなくなって周りの友達と同じように順調に大学を卒業できなくなった自分は駄目だと思ってしまっています。でも、大学を4年間できっかり卒業しないといけないって、世間か、または自分が勝手に決めた常識なんですよね。たとえ大学を中退していたり、大学に行っていなくても、成功している人はいるし、幸せに暮らしている人はいる。そう考えると、私たちはたくさんの常識に縛られて生きているんだな、って思いました。

一人さんの言う通り、ピンチのときほど愛がものを言うんです。会社という大きな話でなくても、家族や友達、恋人でも同じです。何かトラブルが起きたとき、どう思っていますか? トラブルに対して、文句を言っているだけで終わっていませんか。でも、愛があれば、相手をどう喜ばせようという気持ちがあれば、きっと上手く良い関係に持っていけると思います。そうやって、愛で生きている人は、表情にも行動にも現れてくるし、人はそう言う人と近づきたいと思うようにできています。それも当たり前の話で、むっとしている人よりかは、あの人優しそう、穏やかな顔をしているという人のところに、私も行きたくなります。

もちろん、世の中理不尽なことだらけかもしれないけれど、何もそれに私たちが捕まる必要はないんです。別にいいさと軽い気持ちで、自分は周りに愛を与えて笑顔になってもらうことで、自分まで嬉しくなって更に笑顔が増える。私の人生がそんなだったら、なんて幸せに満ちた人生になるだろう、と思います。

また一つ大事なことを教えてもらえた本書でした。今生きることが嫌になっている方、もし良かったら読んでみて下さい。少しは何か気持ちが変わるかもしれません。


今回はここまで。ここまで読んで下さりありがとうございました^^

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