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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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2020年4月の記事一覧

「なんか」のレベルで。

「なんか」のレベルで。

今週末『空中庭園』という場をいっしょにひらく相棒、橋本仁美ちゃんが、案内文にこんなことを書いていた。

 右脳的きき方は体感覚的なきき方。肌感覚とか、熱いとか冷たいとか、硬いとかやわらかいとか。そういう聞き方が入ってくる。それら触感は居心地にかかわってくるから、「この人といるとなんかホッとするな」とか、「この人といると緊張するな」ということが起こる。

 だけど、どうしてほっとするのか、どうして緊

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ぼくの好きな先生。

ぼくの好きな先生。

『ぼくの好きな先生』という歌がある。RCサクセションの曲だ。唄っているのは、いまは亡き忌野清志郎。

たばこを吸いながら
劣等生のぼくに
すてきな話をしてくれた
ちっとも先生らしくない

ぼくの好きな先生
ぼくの好きなおじさん

その「ぼくの好きな先生」というフレーズがふっと出てきたのは、この奥津典子先生のインスタライブ を観ていた時だ。(期間限定公開だったので、もう観ることはできない。)

奥津

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フリスビーの上達。

フリスビーの上達。

最近、毎日のように公園に行っては、フリスビーを投げている。

フリスビーというのは、言ってしまえばただのプラスチック製の円盤だ。それをただ投げるだけなのに面白い。何度も何度も、奥さんと二人、疲れるまで投げる。

最初はぜんぜん下手だった。僕らが投げたフリスビーはくるっと裏返ってしまったり、ヘナヘナと揺れて落ちたりしていた。

でも何投かに一回、ふわっと風に乗って真っ直ぐ進むことがあった。さらにその

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気づいたらそうなっていた。

気づいたらそうなっていた。

昨日の『声で逢いましょう』の最中に、また「草」の話になった。

どんな野草がおいしいとか、どれは食べられるとか。
そんな中、ある参加者さんが

「こういう状況になって食べることを見直した。」

と言っていた。それまでは仕事などにかまけて、今みたいにゆっくり立ち止まって料理をしたり食事をすることはなかったと。「食べることってすごく大事だと気づいた」とも言っていた。

わが家もおなじだった。奥さんの勤

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キャッチする時にあわてないこと。

キャッチする時にあわてないこと。

今日、奥さんと近所の公園に行ってフリスビーをした。
フリスビーを投げるというのは、なかなか難しいもんで、僕の投げるフリスビーも奥さんの投げるフリスビーもあちこちに飛んでいった。何投かに一回、とてもうまくいくことがあって、その時にはフリスビーはびゅっと真っ直ぐ飛ぶのだけれど、なんでそう投げられたのか分からない。

飛んできたフリスビーをキャッチできると、うれしい。まるで出来のいいワンちゃんになったよ

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僕が空を見る時、君は草を見ている。

僕が空を見る時、君は草を見ている。

昨日書いた記事に、

こんなことを書いた。

道中、奥さんと友達は土に生えている草のことを話題にしていた。その名を呼び、食べられるとか食べられないとか言って、持参していたビニル袋にいくつか入れたりしている。

僕はといえば、草は「草」としか思えないので、代わりに関心のある空や雲や鳥を見ていた。ツバメがたくさん飛んでいて、うちの周りにいる鳥たちより断然速くてカッコ良かった。

このときの「草」情報の

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草食ふ人びと。

草食ふ人びと。

昨日、僕と奥さんと友達は林にいた。

そこは川の脇にできた雑木林が人の手によって保護された場所だった。うちのそばには公園があって、そこもずいぶん自然ゆたかなのだけれど、やっぱり天然の林は生え方が違う。整理されていない雑然とした繁り方が「生きてるぜ、生えてるぜ」という感じがしてよかった。

道中、奥さんと友達は土に生えている草のことを話題にしていた。その名を呼び、食べられるとか食べられないとか言って

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時にはぶっ飛んだ話を。

時にはぶっ飛んだ話を。

久しぶりにオンライン読書会『西田幾多郎の「善の研究」を読む』に参加できた。

主催はトミーさんこと中冨正好さん。彼の元に毎回、わざわざ西田幾多郎なんていう難解な本を読もうという物好きが集まる。

はじめて参加した時、僕はこんな記事を書いた。

「ここは思いが強すぎて漏れちゃった」「ここも飛躍してスピード感が出てる!」など勝手な解釈をし合うのも楽しかった。天国の幾多郎が聞いたら「違うわ」と思うかもし

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ほんのちょっと声を出す。

ほんのちょっと声を出す。

平日毎朝6時半から「英語発音チューニング体操」という動画をアップしている中島小百合さんが、夜の6時半からこんな動画を上げはじめた。

以下、中島さんによる解説。

Anne Peckham の執筆したヴォーカル学部の必修科目 "Elements of Vocal Technique"の教科書「ザ・コンテンポラリー・シンガー」の日本語版(ATN刊、中島小百合翻訳)から毎回3分、よきエクササイズを見繕

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好きかどうかか。

好きかどうかか。

毎週一度、障がいをもつ人たちが宿泊する施設の宿直をしている。
そこに一人、同じことをずっとしゃべっている常連さんがいる。

一月に関わりはじめて以来、同じことをしゃべる利用者さんには何人か出会った。でも彼のしゃべっていることは、なんだか聞きづらい。さっき終わったはずの話題が五分後にまたはじまったりすることもあるけれど、それ以上になんだかまとわりついてくる。

僕は人の話をずっと聞き続けるのは苦にな

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クリエイティブの雨。

クリエイティブの雨。

まだ昨日のミスチルのライブの余韻が残っている。

前・後編に分かれていたから、一本のライブの半分のはずなのに、二本ぶんライブを観たような感じがした。そのくらい濃厚で、強烈だった。

25周年。その25年かけて紡ぎ出された曲の数々が惜しげも無く披露される。どれもが時代に響いたヒットソングばかりで、その質と量に驚く。

ほんとうに驚く。これほどの数の名曲を、どうして一人の人がモノにできたのか。自分も素

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ライブは出だし。

ライブは出だし。

『枕草子』の「春はあけぼの」風に言えば、ライブは出だし。アーティストが登場するその瞬間に、どれだけ熱量を爆発させられるか。その熱の高まりを浮力にして、ライブは熱気球のように高いところへと滑空するような気がする。

いま次々と公開されているミュージシャンのライブをそんな観点からみている。中でも昨日のこれは凄かった。

ミスチルこと Mr.Children の25周年を記念したライブ。
数々のヒット曲

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ぼくの家、わたしの家。

ぼくの家、わたしの家。

面白い話をきいた。
家を建てる時に、むかしは「肘から手首まで」というように家主の身体の長さを単位にしたのだという。家の修繕ができないからというのがその理由らしい。

それを聞いて、一人ひとりの身長や腕の長さを基準にした家が建ち並んでいる光景を想像した。まちまちの、いびつな高さのでこぼこな街並み。すごくいい。

身体が物差しというのもいいなと思った。牛乳をいっぱい飲むとか補助手段もあるけれど、基本的

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ニュースにおくれて新聞を読む。

ニュースにおくれて新聞を読む。

昨日、春の公園でのんびり過ごしているうちに緊急事態宣言の対象が全国になった上に、現金給付の基準も変わったらしい。

一日、情報を入れないでいたから不連続的な変化についていけず「なんで急に?」と疑問が湧いた。

それで先ほど、十数年ぶりに新聞を買った。なるほど、公明党が強く推して現金給付のしかたが変更され、それに全国拡大がついてきたのか。

久しぶりに読む新聞は、ネットニュースより状況がよくわかる感

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