ニュースにおくれて新聞を読む。
昨日、春の公園でのんびり過ごしているうちに緊急事態宣言の対象が全国になった上に、現金給付の基準も変わったらしい。
一日、情報を入れないでいたから不連続的な変化についていけず「なんで急に?」と疑問が湧いた。
それで先ほど、十数年ぶりに新聞を買った。なるほど、公明党が強く推して現金給付のしかたが変更され、それに全国拡大がついてきたのか。
久しぶりに読む新聞は、ネットニュースより状況がよくわかる感じがした。一面と二面以降で別の角度から記事を書いてくれている上に、地域欄なんかもあって多面的だから、一つのニュースを取り巻く様々な文脈が立体的に見える。トーンが落ち着いているのもいい。
昨日、美容師さんに髪を切ってもらいながら聞いたところでは「テレビは30分見ていると落ち込む。だから見ないようにしている」のだとか。映像もあってわかりやすいはずのテレビがそんな理由で敬遠されている。本当は必要なはずのニュースが人の心にダメージを与えている。
そんなわけで情報が乏しい中での想像だけれど、今回の急な変更も前の案も精緻にロジックを組み立てたわけでも、体を通して肚で決めたことではなかったのだろうなと思った。でなければ、前の案が跡形もなくなるようなこんな脆い崩れ方はしない。せめて発案の核は残るはずだ。
学生時代、官邸や官庁というのは、僕らの中でも優秀な人たちが行く場所だった。最高学府の卒業生もたくさんいるはずで、僕の知り合いの中でも信じられないほど頭が切れる人が勤めていた。
その人たちが働いていてもこの状態か、と思った。この動き方は、一個人だとしたら「パニックに陥っている」ときのもので、そういうとき、人は極端に視野が狭くなり、自己破壊的な行動をとってしまう。
昨日、公園で延々とヨガをするおじさんがいた。おんなじポーズをずーっと繰り返して、逆立ちしたり、寝そべったり。その様子を夫婦ふたりで眺めていた頃、政治の世界では大変なことになっていたらしい。
ニュースの最前線にいる人たちとニュースにおくれた僕たち。
この温度差は、なんなんだろう。
それでいまはなんだか、あのヨガおじさんのことばかり考えている。広い公園にたった一人、なにを思って同じポーズを繰り返していたのかわからないが、見ていて落ち着く人だった。
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