脳みそジャーニー【31】 「変化」とは、つまり「死そのもの」なのだと知って、目からウロコでした
アドラー心理学の研究者でもある岸見一郎著作の『幸せになる勇気』を読んでいる最中、いくつもハッとさせられる言葉が並んでいましたが、思わずノートに書き留めたのは、「変化」についての記述でした。
変化とは、究極的には、「死そのものである」と著者は言いました。
変わりたいと思う気持ちというのは、これまでの自分に見切りをつけ、それまでの自分を否定し、それまでの自分が二度と顔を出さないよう、墓石の下に葬り去ることを意味するのだと。
なんて、なんて、強い言葉なのでしょう。
今の私にとって、この言葉は、頭をぶん殴られるような、強く厳しい言葉でした。
と同時に、「そうだ、まったくその通りだ」と深く納得できる言葉でもあり、激励を受けているかのような力さえ感じる言葉でもありました。
これまでの人生、とりあえずいろいろと頑張って努力してみたり、乗り越えてみたり、ときどき諦めたり、逃げたりして、それなりに生きてきた「私」。
その「私」を殺して、墓石の下に葬り去る
……どれほどの強い決意と覚悟がいるのだろう……。
「やめて!!!!」
ミソちゃんが、必死で「私を、殺さないで」と懇願してきます。
ミソちゃんよ。
これは、アップデートなのだよ。
パソコンだってスマホだって、更新していかなければ、使いづらくって仕方ないでしょう?
全部を殺すんじゃないんだよ、私の一部を殺すだけだよ。
自分がこのまま持っていると生きづらい、自分を幸せにしない「部分」、その部分だけを殺すんだからね。
だって人生には、悲惨なこと、不運なこと、理不尽極まりないことが、突如として起こる。
平時には、それなりに楽しく生きられる私だったかもしれないけれど、有事にこそ、その衝撃を受け止め、堪えるだけのしたたかさが欲しいんだよ。
そうじゃないと、いつも「悪いことが起こりませんように」「あんなことが起こったらどうしよう」「怖い」「不安」と怯えながら暮らすことにもなる。
「こわいこわい」って思いながら生きてくのって、心が落ち着かないよね。そしてその不安を抱いたからと言って、不運が自分の前から消えてくれるわけじゃない。
理不尽な運命は、いつだって、ドカーンと突然、襲い掛かってくる。
そのことを前提で、生きていきたいんだよ。
だから、何か辛いことが起こっても、もちろん一時的には落ち込みもがいたとしても、なるべく短い期間で浮上できる自分、再び幸福に生きられる自分をつくりたいんだよ。
体調の悪さや不運を呪い、「再発するかもしれない」と怯え、必要以上に悲観したりするような、「マイナス思考・ネガティブ思考の私」を墓の下に眠らせて、絶対に目覚めることのように叩き潰したいんだよ。
「できるよ、ミソちゃん」
「できないよ!」
「できるって。やってみよう」
「できっこない!」
「ミソちゃん、黙ってなさい!」
全部じゃない、ミソちゃんの、一部を殺すだけ。
ミソちゃん、安心して死んでよ。
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