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リー・アイザック・チョン監督 『ツイスターズ』 : 決してひとりでは見ないで下さい。

映画評:リー・アイザック・チョン監督『ツイスターズ』2024年・アメリカ映画)

特に論じることもない「娯楽作品」なのだが、これもトレーニングの一種だと思って、このレビューを書いている。見ようかどうしようかと迷っている人の参考になれば、それで十分だ。

で、結論から言うと、「非常によくまとまった娯楽作品」であり、娯楽映画として「85点」くらいあげてもいい佳作だ。暇と余裕のある人なら、見に行って損はない作品だと言えるだろう。私も、見ている間はそれなりに楽しんだ。

本作の「売り」は、「巨大竜巻の迫力」ということになっているし、今どきのCGだから、「とてもよく出来ている」というのは、むしろ当然である。だから、よく出来てはいるのだが、やはりそれだけでは、もはや驚けはしない。

先日、映画におけるCGの弱点について論じたばかりなのだが、簡単に説明をしておくと、すでに「CGでなら、なんでも描ける」というのが、常識として私たちの頭に刷り込まれている以上、「現実に存在するものや、何らかのかたちですでに見たことのあるもので、しかし、これまでの技術では、映画では十分に描けなかった(再現できなかった)もの」を、CGで描く(再現する)だけでは、もうダメ、なのだ。
怪獣であろうと竜巻であろうと、二次元のイラストで描いてあっても誰も驚かないのと同様、それが「3DCG」だとしても、その「三次元」は見せかけのものでしかない。CGの本質は、「実写映像」としての「リアル」ではなく、「2D」であろうと「3D」であろうと、「立体と見間違うばかりに非常によく描けた、動く2Dイラスト」でしかないのだ。
そして、脳はそのことをよく知っているから、感心はしても、いまさら驚きはしないのである。

そんなわけで、本作がうまくやっているのは、宣伝では「巨大竜巻の迫力」を前面に推し立てているものの、実際の映画の内容は「人間ドラマ」中心で作られている点にある。

たしかに「巨大竜巻」はよく描けているが「それだけではダメだ」ということを、監督自身がよく心得ていて、「巨大竜巻との対決」は、あくまでも「ラブロマンスを生むための舞台」という、身の程を知った位置に据えられているのだ。
だから「巨大竜巻だけで、中身は空っぽのクソ映画」ということにはならないで、それなりに「楽しく見られる娯楽映画」になり得ているのである。

もっとも、「人間ドラマ」であり「ラブロマンスもの」だといっても、それはそれとして、飛び抜けて優れているというわけではない。「100人の中の1番や2番」ではなく「7番」くらいの「おとなしい優等生」という感じで「好感の持てる、まとまった作品」に仕上がっているのだ。だから「85点」なのである。

ヒロイン(ケイト)は「気象好き」の「竜巻」オタクで、素敵な恋人や仲間たちと、「竜巻の現場」で嬉々として研究をしていたのだが、その「まだ恐れを知らぬ若さ」ゆえに、恋人や仲間の多くを「竜巻現場の事故」で失ってしまう。そして、それがトラウマになって、今は「竜巻の現場」から離れてしまった、見かけは「可憐」だが、しかし芯には強いところのある美女である。

ケイト役のデイジー・エドガー=ジョーンズ
ちょっとお人形さん的に整った顔だが、動きが入るとイキイキしてくるところは、さすが人気女優だ)

そんなケイトのもとへ、彼女の「才能」を惜しむ、生き残りの竜巻研究のもと仲間(ハビ)がやってきて「現場研究」への復帰を要請し、彼女はそれに応じることになる。

スポンサーを得て、チームで研究を進める、そのハビのグループの前に、いかにも粗野な「竜巻オタク」グループが登場して、ハビ・ケイトらの研究グループをからかったような態度をとる。
この段階では、ケイトらのグループは「真面目な研究チーム」であり、一方、後から登場したこの「竜巻オタク」グループは、いかにも不真面目な「憎まれ役」だ。彼らは、竜巻発生の現場にやってきて、派手な動画を撮影し、それをネットにアップして稼いでいるような輩なのだ。しかも、それに影響を受けて、遊び半分に竜巻を追うような素人衆が増えてきて、真面目な研究グループには迷惑千万。一一と、そんな感じである。

(タイラー登場)

だが、この後から登場した「竜巻オタク」グループのリーダー(タイラー)が、じつは本篇のヒーローである。
最初は「ふざけたやつ」に見えたが、じつはとてもいい奴であり、彼のグループも、決して「遊び半分」だったわけではなく、彼らが最初、ケイトらの「研究グループ」をからかったのも、それはそれなりの理由があってのことだとわかり、ケイトは、タイラーらのグループに移る。そして、「巨大竜巻による災害」に立ち向かい、その中で彼女は、かつての事故によるトラウマを乗り越えて、タイラーへの愛に目覚める。一一と、こういうお話である。

つまり、まあ「よくまとまってはいる」ものの「型通り」であり、その域を出るものは何もない。だからこそ、安心して見ていられるし、楽しんで見ることもできるのだが、身終えれば、後には何も残らない「娯楽作品」だとも言えるのである。
だから、それでかまわないという人は見に行くといい。

本作では、撮影してあったヒロインとヒーローの「キスシーン」が、最終的にはカットされており、それを惜しむ声もあるようだ。

しかし、このニュースにあるとおりで、私は、この判断は正しかったと思う。

『(※ 主演の)二人によれば、ラストで使用される予定のキスシーンは撮影されたが製作総指揮のスティーブン・スピルバーグの判断でカットされたとのことだ。スティーブン・スピルバーグの判断について、デイジー・エドガー=ジョーンズは「映画を陳腐なものにしないための判断」とインタビューで語っている。』

つまり、そこまでやらないから、ベタなラブロマンスにはならず、適度にプラトニックな、好感の持てる作品に仕上がった、と考えられるのだ。

ちなみに、そのラストの「キスシーン」とは、空港で「故郷へ帰ろうとしているヒロインを、ヒーローが呼び戻す」シーンの後だと思う。
空港ロビーでの最後の「キスシーン」で「こうして二人は結ばれました」と締めくくるパターンだったのだろうが、それではあまりにも「ハリウッド的にベタ」だと判断して、二人が見つめ合うところで映画を終えたのではなかったろうか。

まあ、そんなわけで「爽やかなラブロマンス映画」として、本作はデートにぴったりな作品だと言えるだろう。
つまり、あまりにもベタなロマンス描写に気を遣う必要がないし、下心を見透かされる恐れもなく、好きな男性または女性を映画に誘えるからである。

「この映画、竜巻の迫力がすごいらしいよ。でも、一人で行くのもなんだから、一緒に見に行かない?」と言って誘えば、いかにも「無邪気」を、装えるからである。

まあ、そうとは知らなかったから、私は独りで見たのだが…。



(2024年8月21日)

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