記事一覧
春が来るとかお構いなしに人は死ぬ。だから私は好きなことして生きていく。
新学期を控えた昨晩。
祖母がコロナで急逝した。
気の強い祖母だった。
ASDの気を持つ旦那(私にとっての祖父)とはよく喧嘩というか言い合いをしていた。
私は大学時代、障害特性からあまりバイトもできず、講義もあまり行けてなかった(2年生からは通信制に切り替えていて、ほぼ引きこもりのような感じ)だったので、見かねた祖父母が農業の手伝いに誘ってくれた。
夏と秋、絹さやの収穫と選別の仕事。
太陽の下
人生がくすぶった時には
人生がくすぶっている時、
私はドキュメンタリーを観る。
NHKのドキュメント72時間や、
フジテレビのザ・ノンフィクション。
特別大きなエンターテインメント性のない、淡々と素人さんの人生を追ったものが好みだ。
そこには大病を患ったり、
苦難に見舞われた人も多く登場する。
映画だとか、芸能人のドキュメンタリーでは「こうなりました」と語られるはずの"現在"は、
そういったドキュメンタリーにおいて
魚の切り身は泳がないことを私は知っている。
アサリが怖い。
あの砂を吐き出すピロピロが怖い。
そんな私にもアサリが平気で食べられる時代はあった。
鍵っ子だった小学生のとき、母が砂抜きのため薄暗い台所に放置していたアサリを見てしまったのがきっかけだった。
調べてみたらあのピロピロは「出水管」というらしい。水を吸うほうが「入水管」。まんまだな。
ひとつ前のポストで私は「好き嫌いのない子供だった」と書いた。
昔から今まで、まあ食べようとすれ
オトナの醍醐味、甘美な「苦み」
コーヒーはわりと飲む方だが、実のところ美味しいと思っていない。
香りは好きだ。それも豆が挽きたてのときだけに姿を見せるあの儚い香り。
淹れたときの香りも悪くはないけど、あれはもう私の好きなものではない。
カフェラテは好きだけれど、
あれはミルクの中にコーヒーの風味を感じるものであって、コーヒーを味わうものではないと思っている。
つまりコーヒーを飲むとき、ましてやインスタントなどを飲むとき、私
30代、反撃の狼煙。
20代最後の朝は、
清々しい自然な目覚めでもなく聞き慣れた目覚ましの音でもなく
緊急地震速報の不安感を煽る音色で目が覚めた。
テレビで規模を確認して被害はなさそうだ、と落ち着きを取り戻したあと
最悪の目覚めだな、と笑ってしまった。
まあ、世間のサラリーマン・OLが大体仕事を始めるであろう時間に寝ている私が自然災害に腹を立てるのもお門違いだろう。
落ち込むでもなく笑ってしまったのは、
まあそうい
うさぎと私と、ちょっぴり綾小路翔さん。-かわいいって何だ?-
実家でメスのうさぎを飼っている。
私が実家に暮らしていたときからつれないうさぎだ。
ご飯をくれる父になんとなく心を許しているのがわかるくらいで、基本誰に対しても甘えることがない。
私には玄関でのうさんぽ(うさぎのお散歩)がしたくて「出せよ」と言わんばかりの態度を取ってくる。それも見ようによっては甘えているとも言えなくもないが、態度を言葉に変換するなら絶対「出して〜(ハート)」ではない。「出せよ