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オトナの醍醐味、甘美な「苦み」

コーヒーはわりと飲む方だが、実のところ美味しいと思っていない。

香りは好きだ。それも豆が挽きたてのときだけに姿を見せるあの儚い香り。
淹れたときの香りも悪くはないけど、あれはもう私の好きなものではない。

カフェラテは好きだけれど、
あれはミルクの中にコーヒーの風味を感じるものであって、コーヒーを味わうものではないと思っている。

つまりコーヒーを飲むとき、ましてやインスタントなどを飲むとき、私は心から美味しいものだと思ってやしないのだ。

あれは私が「大人ごっこ」をしているものだと思っている。
 

苦味は舌が老化して鈍感になることで、
美味しく感じるようになると言われている。

私は子供の頃からピーマンが普通に食べられた。妹もだ。

ピーマンだけでなく好き嫌いに関しては親に苦労させない姉妹だったようだ。子供の頃食卓に出ることはなかったが、妹が苦手なゴーヤですら、私は美味しく食べられる。

それなのに、コーヒーとビールだけは美味しいと感じない。

ビールは飲めないけど、
コーヒーは「美味しく感じない」だけであって不味いとはちょっと違う。それどころかコーヒーの酸味がダメで苦味に寄ったものを好む。

精神的に未だ全然大人になりきれない私が、
ひとときだけでも大人になった気分に浸れるのが、コーヒータイムなのだ。

そう、言うなればスタバに行って
オシャレな都会人になった気でいるようなものだ。

私は青森県出身だから、八戸にスタバが出来たことで行列を作り、ネットニュースになったことはよく覚えている。実際に行列を見た私が言うから間違いない、あれはネタじゃなくマジだった。
 

……と、少し話題が逸れてしまった。そんな青森県民が愛おしいという話は今度するとして。

私は気分に浸りたいからコーヒーを飲む。
30歳になった記念に、ケーキとコーヒーのテイクアウトをした。
……と言っても、やっぱりとっておきの好きなものを注文するならカフェラテなのだ。

それでも私は、今後も時おり飲み続けるのだろう。

お店でゆったりと来るのを待ったりおうちカフェの準備をしたり――。そんな余裕を感じるところに、

大人の時間は流れるのだと信じて。

#エッセイ

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