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駆け抜けろ、ミドサー。

色々あった一年だった。

年をとると一年を過ぎるのがあっという間でそれが加速していくというが、
それは生きてきた年数に対する「一年」の割合、
その他に、やってきたことの密度も関係するという。

いわゆる「ニート」をしていた頃は、
慢性的に焦りを感じていたうえに、年末になると焦りがさらに加速していた。

今年は「やりきった」と素直に思う。

年始の帰省で10日ほどずらして休みを取った直後、職場である派遣先は様変わりしていた。
仕事をようやくパターンで覚えて安心していたはずの浦島太郎は、
部署が合併して新しい仕事を覚えることに苦しんでいた。

派遣で働くことに迷いを抱えながらも、
覚えたことを間違いなくできる自分にちょっとだけ自信を持っていた矢先。

どうせ新しい環境で苦労するなら、まっさらに新しい環境を求めたほうがいいんじゃないか。
そう思い、一社目の書類選考へ応募したのが1月末のことだった。

障害者として生きること

私は昨年の秋に障害者手帳を取得していた。

それは障害者控除や障害者割引という、
少しでもお金の負担が減ればいいなという思いで、
その頃は障害者雇用で働くことなど一切考えていなかった。

私はもともと障害者手帳の取得さえも自分ができるレベルなのを知らなかったし、
障害者雇用は一般就労に比べて賃金が低いことが多い。

気づかれない程度の障害だからこそ、健常者になりすますことができる。
だからこのままそうやって生きていくのだろうと思っていた。

でももう疲れたのだ。

ASDが功を奏したのか「つながり」で覚えてしまえば忘れないので、工場勤務では頼りにされていたと思う。でも隠していることはいっぱいある。

名札がなく髪型も隠れる工場の作業服では人のことが覚えづらいし(相貌失認)、
常に機械が音を立てていて指示をうまく聞き取れない(APD)。

不注意は服薬のおかげで緩和しているとしても、人のことを世話している余裕はないというか、いつもいっぱいいっぱいだった。

「苦手」を明らかにして、必要な配慮を受けながら働きたい。
数年前には思ってもみなかった望みだった。

占いや迷信は半信半疑だけど……

急な話だが、私はオカルト番組が好きだ。

「うそくせーw」とか言いながら、もしかしたら実在するかもしれない生物や現象、ものを見ているとワクワクする。

占いは朝のニュースのを見て次の瞬間には忘れている。

神や仏は「いたら戦争や凄惨な事件は起こってないだろ」とか思いながら、まあ御朱印集めが趣味の両親の影響で気まぐれに訪れてはちゃっかりお参りする。
おみくじも引いて内容をよく読む。すぐ忘れるけど。

私が今の職場に内定を貰ったのは6月末のことだった。

私はおうし座で、今年の5月半ばから木星がどうとかで一年間幸運期なのだそう。

朝の占いは一瞬で忘れるくせになぜかその幸運期というのは印象に残っていた。
希望を抱きながら。そうだといいなと願って。

一方で、私は今年33歳の後厄というやつだ。
厄年なら厄払いとかしたほうがいいのか?めんどくせぇ……と思ううちに後厄にまでなっていた。

本当に信じていたならきっちりと厄払いしているものだと思う。

先延ばしという癖があるとはいえこんな感じでここまで来たのは、「じゃあ厄払いしないとどうなるんだ」と面白がる気持ちもどこかにあった。

つい最近、占いの番組で厄年について占い師が解説していた。
厄年というのは「大きな変化のある年」のことなんですよと。

なるほど、と思った。

ものは考えようなのだ。
人によっては年初に起きた仕事上の変化のようなことが「最悪……厄年だ」と捉えることもあるのだと思う。
ただこれは、私にとってはいいかげん仕事を変えようと思ったきっかけに過ぎなかった。

私はけして明るい性格ではないのに、「根岸ちゃんはポジティブだね」と言われて驚いたことがある。

つとめてポジティブに考えているわけではないし、普通に落ち込むことも多い。
でもこういうものの捉え方が、悪い出来事をいなしているというか、そもそも「悪いこと」と考えていないことも多いんだろうな。

いい意味で鈍感でよかった。

障害があるから、うまく行かないことも多い。でもハプニングを楽しんでいけたらこっちのものだ。

33歳、泣きました

年初の事件をバネに素晴らしい職場にたどり着いたかのように語ってはいるが、
なにも本当に理想の職場にたどり着いたわけではない。

オフィス入り口がスロープになっていたりして身体障害者に優しいつくりになっていたりはするが、
入ってみると障害者なのは私が初めてらしかった。

私は前述したような困りごと、相貌失認やAPDをメインに報連相がうまく行かないといったコミュニケーション上の障害について配慮をお願いしているが、
もちろん、配慮をいただいているとは思うものの、オールオッケーになったわけではないなあと。

職場内での私への配慮のすり合わせで、
仕事の指示は口頭より視覚ベースでといったことが伝えられたときに、「全く話せないということ?」というやりとりがあったらしかった。

もちろんそんなことはなく会話はそれなりにできるけれど。

「普通に見える」からこそ、
「音は理解できるけれど意味が理解しづらい」というのが伝わりづらく、結局こちらが誤魔化していることも多い。

職種としても「人が覚えにくかったり一部配慮が必要、人付き合いは積極的に取る方ではないけどそれ以外は普通の人」として括られているようで、
事務だけど営業職で取るような資格の試験は受けさせられるし、当番も全部混ぜられている。

電話番も内線限定だけどやってみようとされていて、各支部の役職と名前が一致しなくて苦労させられている。
電話主の名前がわかって取り次ぐ相手の名前がわかるだけでいいなら取り次ぐだけで済むのに。

先日は、賞状の印刷を頼まれて見本の通り赤字で印刷したら、黒字で印刷してほしかったと言われ、本社に用紙を依頼しなおすハメになった。

めっちゃASD〜!!という感じのミスで、改めて考えたらおかしいでしょ?って自分でも思うから、
本当に恥ずかしくて、落ち込んで、家に帰ってから泣いた。

とはいえなんだかんだでお金はある程度の悩みを解決するというか、
祝日休んでも毎月同じ給料を貰えるのは本当に精神が安定するなというのを実感しています。

バイト三昧じゃなくても給料減らないので、数年ぶりに年末年始を故郷で過ごす予定。
入社時期の関係でまだ寸志にはなるけど、ボーナス貰えたし。
今回のボーナスは妹の入籍祝いに大体消えてしまうけれど……

生きることを面倒くさがっていた私ですが、
少しずつゴミ溜めの部屋を片付けたり、
ロクシタンやリンツのアドベントカレンダーでクリスマスを楽しんだり、
朝弱いのに平日の朝早起きしてちょこザップに通ったり。

結局、物事を好転するには腐っていてもしょうがなくて、なにか行動するしかないのだなと思えました。

実行機能障害があるADHD、そして行動するごとにトラウマを負ったASD持ちには難しいことではあるけどね。

まあどうにもやる気がでない日はあるけれど。
元気ではないけれど、ほそぼそと生きていきます。

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