涙雨の日に
先日、叔母が亡くなった。
仕事上のストレスから依存症になり
病気を発症して一年にわたる闘病をしての旅立ちだった。
いつ亡くなってもおかしくない状態と聞いていたので、それほど驚きはない。
私がすでに成人した後に、母方の叔父と再婚したひとなので、
会ったことがあるのは片手で数えるほど。
お祭りの日に祖母の家へ、叔父一家が家族総出で泊まり込むのでそのときぐらいだった。
――そしてその時も、決まってお酒を飲んでいた。
うちの家系は揃いも揃ってシャイな血筋なのだけど、
叔母は違って、会ったばかりの姪である私にも気さくに話しかけてくれた。
成人してから突然出会う叔母や、年端も行かない従兄弟4人に私はちょっとだけ戸惑ったのだけど、みんないい人たちだった。
私にもっと早く打ち解けられる能力があればよかったんだけど。
――数年後の祭りに、叔母の姿はなかった。
半年ほどして私の従姉妹にあたる、もう一人の叔父の愛娘の結婚式があった。
闘病中の叔母は、結婚式に出席すると言った。
許可を貰って病院を抜け出すにも短時間で留めなければいけないほど、予断を許さない状態だった。
――新婦の父は、祝い事にそういったことを持ち出さないでくれと出席を断った。
なぜ叔母がしんどい身体で、なんとしてでも出席をしようとしたのか。
新婦である従姉妹も私と同じく成人していて、叔母とそこまで関係が深いわけでもなかったと思う。そこがずっと不思議だった。
今から数ヶ月前、式から一年経ってやっと私はひとつの仮説を立てた。
叔母は自分の愛娘の結婚式を見られないことを悟って、
姪の晴れ舞台を娘に重ね、目に焼き付けたいと思ったのではないか。
――それを踏みにじった。
私は新婦の父である叔父によく優しくしてもらったけれど、
いつまでもこのことを忘れないと思う。
叔母の下の子はまだ新一年生になったばかり。
他の兄弟も小さいので、
まだまだ成長を見守っていたかっただろうと思う。
何もできない自分が、情けなかった。
大丈夫だとは思っているけれど万が一コロナを持ち帰る危険性があるから、まだ帰省するのもやめておきたい。
何も持ってない私が、毎日を浪費してのうのうと生きている。
愛する家族を置いていかなきゃいけないお母さんに比べたら、
私の価値なんてあるのか。そんな事を考える。替われたらよかった。
どうしてその人なの、と。
押しつぶされそうな雨空の下ぐるぐると、考えていた。
新婚である従姉妹より歳上な私が、せめて結婚式を挙げられたらよかったのに。
そしたらあの時の無念を晴らせて、喜んでもらえたかもしれないのに。私は結婚どころか仕事とか自分の人生すら幸せにしてあげられていないことを、悔いた夜もあった。
でも私は、他人と替わることはできないのだと。
親戚どころか家族でさえ、痛みや苦しみ、死に至るまで、替わることはできない。
自分の人生は自分のものだ。
冷たいようだけれど、それが真実だ。
あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日なんだ。
という言葉がある。韓国の小説の一節らしい。
形を変えてネット上で言い伝えられているこの旨の名言を読んだとき、
私は衝撃を覚えたものだ。そうか、一日一日を大切に生きねばと。
ただ、
亡くなった叔母の分まで……というほど、私は他人の人生を背負えない。
その上で、上手く行かない現実に押しつぶされそうな日もある。
でも、
自分の人生を諦めることだけはしたくないなと。
仕事のストレスから依存症になり、やがてそれが病となり身体を蝕む。
その怖さ。人生の意味。
お祭りの日にしか会うことのなかった叔母。
その死は私の思考を呼んだ。答えの出ない問い。梅雨に入りいつもよりずっと低い雨空の下。
あなたの分まで、なんて言いません。
ただ自分の人生に改めて向き合い、生きていきます。
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