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平等とは笑いとは 人間とは 『新宿野戦病院』に思う

平等ってなんだろう。
平等は難しい。正しさも難しい。
もしかしたら笑いと同じくらいに。
 
笑いは難しい。
例えば誰かを笑う笑いのすべてが悪いことはない。
身体的特徴やそのひとが触れられたくないようなことをいじることは、
ほぼほぼほとんどの場合「ぜったいよくない」。
でもすべてが「悪」では必ずしもない。
関係性や場所によってはそれらは他者が決めつける「絶対悪」ではない場合もある。
そこだけのそこだけを「切り取り」でみて否定や排除することは危険だ。
 
人間は、難しい。
 
宮藤官九郎は人間誰しも皆の持っている愚かさや弱さ、
見て見ぬふりをしたいような自他のナカミを笑いにする。
時に俗で悪で露骨すぎることもあるその笑いや描き方は、
誰もが観られる地上波のテレビドラマではたいへん厳しく危うく、
正直「アウト」だろうところも少なくない。
 
でもそれでもそうして伝えたい「大切なこと」をいつも、特に近年、感じてならない。
 
伝えたいから、だから、
愚かさや弱さや滑稽さをカオスと笑いで描くことをやめないのではないか、とも思うようになった。

例えば古来よりの「にほんてきな」美や考え方、
「陰と陽」「正と悪」その両方があるからこそ、ないまぜの中で光がはっきりする、というような。
これはちょっと美化し過ぎで、美化は出来ないレベルのカオスだけれども。
 
カオスの中で伝えたいことを届けるのは受け取ってもらうことは難しい。
「答えはこう」とおふざけや色々をそぎ落として伝える作品とは違い、
「間違っている」から「違う」「無理」と決めつけられ、伝えたいメッセージを受け取ることすらしようともせずに切り捨ててしまいもされる。
「カオスな部分」だけを面白がられて本質に辿り着いてもらえないときやこともある。
 
でも、もしかしたら、カオスで、ふざけもしているその作品は、
「正しさを正しいとそのまま答えひとつで伝える」作品と同じくらい、
人間に対して真摯なんじゃないかともわたしは思いもする。真剣に。
 
特に今回の作品、歌舞伎町を舞台に街と病院をモチーフにし、命は平等だと「雑に」でも心から何度も言う『新宿野戦病院』に思わされた。
 
近頃は「正しさ」をちゃんと伝える作品がちゃんと作られちゃんと評価されている。
本当にいいことだ。
「ちゃんと」伝えることができ、それが伝わっているということだから。
でも、いいことだと本当に思うから考えもする。
「そういう作品だけがいい」となってしまわないかな、って。
「答えをはっきり示す」作品ばかりが増えてしまうことはちょっと怖いことだ。
「答えをはっきり出す」ようにしないと受け取ってもらえない、それはとても怖いことだ。
正さを正しく伝えるものや正しさをわかりやすく伝えるものだけが持て囃されることは危うい。
他は駄目と決めつけたり、なきものにしたり、
そうして様々がなくなってしまうなくされてしまうことにも繋がりかねないから。
 
そんなことを考えるとき、宮藤官九郎のつくるものは、わたしの胸を打つ。
時にアナーキーなまでの作風や作品に、ツッコみまくりながら、元気をもらい、時に涙すら出る。
伝えること、伝えようとすること、そのやり方、それぞれの方法と、
人にとって、人と人にとって大切なことを考えさせられる。
考えることをやめてはいけないと思わされる。
 
人間は、難しい。
正しさが人を傷つけてしまうこともある。
そこから取りこぼされる人も実際は実際に居る。
正しさが正しくもその強度故に呑み込めない呑み込まない人も居る。
正しさが正しいからうまく作用しないときだってある。
正しさが正しいから呑み込まない人も居る。
正しさを正しいこととして伝えることも押しつけかもしれないし、
正しいからと相手に全力でぶつけることは傲慢さと紙一重だ。
それぞれのやり方を(たとえ自分は疑問や嫌いと思っても)「違う」と決めつけなきものにすることはたいへんな傲慢でありそれも暴力ではないかとわたしはいつも考えている。
 
私たちは知っている。人の簡単ではなさを。
例えば誰かにいい顔をするためそれをキープするために他人を蹴落とす人やことがあるということ。
例えば悪いやつだと思われている人がおおきなものから虐げられてそうなっていること、でも「悪いから当然だ」で終わってしまっていること。
弱き者の立場に立つことは人として当たり前、
なのだけれどどうしてもその人に行い的にも気持ち的にも寄り添せないことがあること。
声を上げるべき、でも声をあげられない人だっていること。
人と人とは違うしすれ違うこと。
思い込みゆえにだったり人生の変化によってすれ違ってしまいもすること。
日々や人生を重ねるごとに嫌というほど知ってゆく。
でもそれでも自分のためではなく皆のために諦めてはいけないことや大切なことがある。
それぞれにとって答えは違うかもしれない、けれど人間として。
大切なそのことを考えることをやめてはいけない、人間だから。
 
そのような中、
金持ちも貧乏人も平等であるべきとだとカオスの中で伝え、
だから「ではどうしたらいいか」や「それぞれのやり方」を考えさせてくれる作品にわたしはぐっと来た。


というようなことを考えるようになったのも、
劇場で芝居小屋で舞台を人間をみているからかな。

すべての作品は舞台は人間はばかにしたりされたりなきものにしたりされたらいけないよ。
例えそれがあなたやあなたたちが思う正しさからであろうとも。

という昨日くらいから書いていたこの記事を置いて、夜ふらりと芝居小屋に行きぼぉっと観ていたら、ある歌詞がすぅっと入ってきた。

〝正しさのその先で君と手をとりたい〟


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【略歴や自己紹介など】

構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。

旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中。
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