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日々日々

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1日(なるべく?)1エッセイ。思うこと考えることを綴っています
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記事一覧

昼と夜

解体工事の若い人たちが土の上で昼寝していた。 ガタイのええ2人が太陽の下クレーン車の横で作業着のまますげえ気持ちよさそうに転がっていた。 熱いやん。焼けるやん。でもああ皆生きてるな生きてるんよあ。 「!」「?!」からの意味不明にじーんとしながら通り過ぎた。 街を歩いていたら桑田佳祐の祭りのあとが流れてきたから思わず言ってしまった。 「なんでやねん」「ダサ!(笑)」 せやけどこれ聴いて歌って泣くおっちゃんらとか少なくないんやろな。 エモいという言葉はこういう時使うのがしっく

アリクイと名月とさんま

最寄り駅ですれ違った人の鞄にアリクイのぬいぐるみが付けられていたから二度見した。 思い出したのは夜のことだった。 なんでアリクイやったんやろ。 アリクイってどこにおる動物やったっけ。 アリクイ。アンツイーター。 めっちゃ強いプロレスラーみたいな名前やな。虎ハンター的な。関係ない。 なぜちいかわではなくおぱんちゅうさぎでもなくサメでもなくアリクイだったのか。 余計なお世話である。  ただアリクイだっただけ。 アリクイが好きなのかもしれないしたまたまなのかもしれない。 意

雷獣と仙人 連載中のTabistory最新話も出ていますおおきにねの話

昨夜、獣に遭った。 近所のコンビニ近くの細道を細長い狸のようなものが歩いていて、 傍で三毛猫とおっさんがぼーっと見ていた。 まず猫に気付いて「あ、猫。猫や―」と呼びかけふと目線を下ろすと 狸にしてはちいさくてイタチにしてはおおきいやつがゆっくり歩いていた。 幻ではない。結構長い時間だったから。 悠然と歩いて行って暗がりに消えていった。 三毛猫はぼーっとしていた。 なんだか気まずいのでおっさんとは目を合わさずにコンビニに向かった。 向かいながらあれは雷獣だったのではないかと思っ

夏の大晦日

いつからか8月が振り返りの月になった。 最後な今日はなんとも言えない不思議な気持ち。 子どもの頃から知っている感覚? すこし違うようにも思う。 来たるべき9月に向けての そわそわとかどきどきとか不安とか、 しゃきっとせな、したい、とか、 そんな気持ちの入り混じりは年々積み重なって、濃くなるから。 1年前の今日はどないしてたかな。 2年前の今日は何考えてたやろ。 3年前は? その前は? メモ代わりに使ってるスマホの写真フォルダーを見返し「あー」なんて言ったり、 見返さなくても

どうぞ気をつけて

美容院に行ったら若い子が言った。 「来る来る詐欺っすよねー。来てるんやけど」 「あの図の見方ぜんっぜんわからんくて。皆わかるんですか? すごい!」 店長は「トロくないっすか。チャリくらいの速度なんすよね」 わたしは「傘って持って出ると使わんですよね。 で、持って出ないと降り出して「やっぱヤバいかな」って嫌々ビニ傘買う、ほなやむねんよなあ」 そんなあほな話をしての、今日。 速度はチャリからジョギング並みに変わったとか。 笑うことじゃないかもしれない。 色々考えると笑えない。 笑

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張

踊ってゆこう 気持ちとかたち

音頭とか祭とかの流れか、 夏のこの時期、 浮かれることばかりじゃなく皆で想いを馳せ考えたい時期だからか、 昨日今日『ホライズン・マーチ』(ソウル・フラワー・ユニオン)が ずっと頭の中を流れていた。 尊敬する劇作家がよく舞台で使っていた楽団の歌だ。 ふとしたときに思い出すのはやはりこのリズムだからかもしれない。 自身のルーツを通して、 わかりあえない悲しみと可笑しさとでも希望を描いていたそのひとは、 劇団を解散した後も、 若い人たちと共にこの国と自身の国で舞台から想いを伝え続

バカサバイバー 櫓とあの階段

祭りの櫓に上って踊ることを望む人を 「ヤグラー」「ヤグリスト」と呼ぶこともあるらしい。 櫓はお立ち台文化の元祖だと考えられる。 とは、昨日書いた話の中でも触れた 「盆オドラー」「盆バサダー」さんのとてもいい本で知った。 (『東京盆踊り天国 踊る・めぐる・楽しむ』 佐藤智彦 山と渓谷社 2022) 「ほぉー」「ほほぉー」ってなって、でも、そっから忘れていた。 せやのに、のに、 今日用事に向かいながら歩いていたら「バカ段」のことを思い出した。 バカ段? 馬鹿段? 文字にしたらどっ

きちんと、丁寧に しっかり

きちんと、丁寧。 大平一枝さんが聞き、書かれる人の話、いや人と話、 そして捉え方書き方にいつもじんわりじっくりと“人間”を感じさせられる。 「市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆」 改めて読んだプロフィールにもじんわりひたひたと込み上げてくるものがある。 人間は、苦しい。でも愛しい。愛しいのだ。 そう思いたいし思うのだ。思いにくいことばかりだからこそ。 きちんと、丁寧な筆に思わされる。 きちんと、丁寧な筆がおだやかに

うそとほんとと好きと嫌いとサイコロふたつ

その日芝居小屋で耳にしたピストル歌う『落陽』がよかった。 嫌いな役者が踊っていた。 竹原ピストルの歌は面倒臭い辛気臭い押し付けがましい嫌いじゃない。 でもこういうひとを神格化するまわりは嫌いだ。 気持ちはわからなくないがそういうのは気持ち悪い。 落陽。拓郎。ピストル。お腹いっぱいやな。 拓郎。岡本まさみ。古い。けど、時代など関係なしに中身は届く。 物事を意味だけで判断するのは愚行だと決めつける人たちが居る。 何故なんだろう。それもその人の捉え方だ考え方だ。 歌は歌

花火と場所 祭は日々の中にある

夜空にドンっと打ちあがったときにあなたの居る場所はどこだろうわたしの居る場所はどこだろう。 花火のシーズン、祭りのシーズンである。 今日は淀川花火だ。 正式名称はなにわ淀川花火大会。 大阪で開催される花火大会の中でも結構ビッグかつ皆が注目するやつである。 そう遠くはない地域に住む者にとっては 「見に行きます?」なんて挨拶がわりになったりもする。 昨年チャリを走らせてちょっとええスポットを見つけたので今年も狙っていた。 だがどうも今年はばたばたしていて見られそうにない。 だ

とても、の話 「好き」の力

日々の中で例えば誰かが想いや気持ちを込めて書いた文を読むととても力をもらう。 好きな作家や書き手の本などを読むことなどは勿論だが、 誰かが自分のアカウントなどで例えば好きなものやことについて綴る語るものにも、とても。 そこには色気のようなもの、つまり人間力や人間が滲み漏れてくるような気もして、 いつも知るそのひとの深いところに触れたような気持ちと、 いつも知るのに知らない深いところにも触れられたような気持ちにもなり、 尊敬と共に、また会ったとき会えたときに話そう話したい会

「素敵」と「切り取り」 今日も素敵な1日を

「皆様にとって素敵な一日になりますように」 ある日地下鉄御堂筋線の朝の電車に乗っていたら車内アナウンスで流れてきた。 なんやねん。 行く度にガリバー旅行記みたいな気分になる某大型量販店でも 同じようなこと言う店員さんが居たことを思い出した。 「今日も素敵な一日をお過ごしください」 このときは、このときも、帰りのチャリを漕ぎながらずっとめっちゃ考えた。 どういう意味やねん。 そもそも素敵ってなんやねん。 この言葉って勿論いい意味。 でも広すぎる言葉やなあと思うことも

愛と太陽 日常の中の訳わからんものはいつも

それはいつもそこにあるのかも。 ただ皆が素通りするだけで。 最初は気にしても次第にあたりまえというか気にも止めないようになれどもそれでも。 すこし離れるが遠いわけではない場所には有名な“太陽”がある。 こちらには有名だからか皆が押し寄せる。 でもすこし離れたところにあるものを知る人はそう多くはないようでいつも誰もいない。ほぼ一対一で向き合うことになる。 訳わかんなくてこわくてキモくもあり得体が知れなくもあり、 でもでもとにかくすごく伝わるものというかすごいことやものであり