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旅芝居スケッチブック

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旅芝居・大衆演劇は「人が生きること」そのもののそのことの舞台。 芝居小屋って生の場所。 舞台。人間。時代。生老病死。旅。男。女。 どうしようもなくて。愛しくて。涙出たり。怒ったり…
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踊 丁々発止皆必死

大衆芸能、のようなものに興味を持ってきたなぜかずっと。 古いもの受け継がれているもの、歌舞音曲、 土地土地のそれら、物語とリズム、気持ち。 だから旅芝居・大衆演劇をおもしろく思ったのもあるかもしれない。 逆に旅芝居・大衆演劇をおもしろく思うから、 それらをより深く思えるようになったのかもしれない。 旅芝居を観始めてびっくりしたのは和装で踊るJ-POPだった。 正直に言う。寒気がした。 初の際に観たのはドリカムやと島谷ひとみでの女形と、立ち姿での近藤房之助 & 織田哲郎の『

うそとほんとと好きと嫌いとサイコロふたつ

その日芝居小屋で耳にしたピストル歌う『落陽』がよかった。 嫌いな役者が踊っていた。 竹原ピストルの歌は面倒臭い辛気臭い押し付けがましい嫌いじゃない。 でもこういうひとを神格化するまわりは嫌いだ。 気持ちはわからなくないがそういうのは気持ち悪い。 落陽。拓郎。ピストル。お腹いっぱいやな。 拓郎。岡本まさみ。古い。けど、時代など関係なしに中身は届く。 物事を意味だけで判断するのは愚行だと決めつける人たちが居る。 何故なんだろう。それもその人の捉え方だ考え方だ。 歌は歌

COLOR 今の旅芝居・大衆演劇で最も人気の劇団を観て

今の旅芝居・大衆演劇界で最も人気のある劇団の舞台を観た、 ひさびさに、先日。 最も人気だなんて書いたが間違いではない。 正確に言うなら「最も人気のある劇団、の内のひとつ」か。 興行が盛んな関東、関西、九州、おおきく3つにわけた どれもの地域でどこのどの劇場でもお客さんを集める劇団だ。 前楽、つまり千穐楽の前の日の夜だった。 関東のコースを6か月廻ってきての大千穐楽前夜。 二階席までぎっしりの満員の客席の熱に圧倒された。 拍手喝采、悲鳴のような歓声も上がる。 二階席から落ち

華の刻 つまり淋しいのはお前だけじゃない

淋しさって一体なんやろ。なんなんやろね。 戯曲『淋しいのはお前だけじゃない』を読んだ。 タイトルがいいじゃないか。 今更だけれども。 ご存じの方も多いかもしれない、 市川森一脚本、1982年に放送されたTBSドラマ、の戯曲本だ。 借金取りの西田敏行が借金をしたやつらと旅芝居の一座を結成する。 座員は彼と彼から借金をした素人たち。 座長はヤクザの愛人だった女剣劇座長の娘(木の実ナナ)で、 看板役者はその男である旅役者(梅沢富美男)、 この二人もまた彼から借金をしている。 っ

芝居小屋と人 『木挽町のあだ討ち』

自分で自分の書いたものを改めて引用するなんて全然よくない。 でもふとそうしたくなったのは、 読み終えたとある1冊が、ほんとうによかったからだ。 読みながら何度もぐっときて、じぃんとして、 読み終えて、そうしたくなったからだ。 直木賞受賞作だし、人気作だし、 尊敬する劇作家たちも薦めていたから気になってはいた。 にもかかわらず、手に取るのが遅くなったのはすごくしょうもない理由だ。 「もう時代小説はええかなあ」 うんと若い頃一時期、ずっと時代小説を読んでいた。 心はずっと江戸

大衆演劇と人間の話をしたいこれからのために 芝居小屋は皆の場所

旅芝居の話、芝居の話、舞台の話。 いやこれはたぶん人間の話じゃないかとも考えもする。だからいま書きたいと思った。 旅芝居・大衆演劇を観る機会が何度かあり、思ってもいなかった観劇の機会に恵まれたりもしたし、SNSで流れてきた旅芝居へまつわる提言めいたものというかそのようなものも目にした今月の最後に。 どうしても一方向からの発信となってしまうことについてはすごく悩んだ。 以下はあくまでわたしの観方考え方、 ひとつの客席を埋めるだけのわたしの観方考え方でしかなく正しいかもわからない

田園 なんて場所なんでしょう芝居小屋とは舞台とは

芝居小屋とはなにかおおきなものの縮図だよな、 とは常々思っているのだけれども。 昨日、フード着物にキメキメダンス…… ダンスでもないか、 キメキメばりばりに目線を配りながら 玉置浩二の『田園』を踊っていたヤンキーみ多々の若い役者を見た。 ズッコけ、ツッコミ、真顔になり、笑い、 でもまた真顔になるわたしの心身をあの歌詞とメロディーが通ってゆき、 舞台上の役者の胸元は華やかになった。 生きているんだなあ。 お祝い? じゃないが、 この日のいわば主催イベントの主であるベテラ

かぶき者 ヤンキーと精神分析を読んで旅芝居と旅役者を想う

年末に近所じゃないけど近所のおおきな商店街に出かける用があった。 その際、近くにある芝居小屋の宣伝で貼られていた 旅芝居・大衆演劇のポスターを見た親戚姐(以前にも書いた北斗の拳とベルセルクなこの人)が言った。 「なんか、、、これ、どうなん?」 わたしは答えた。「極めてとても〝ヤンキー的なもの〟やなあ」 親戚姐はつぶやいた。 「竹の子族とかよさこいとかそういう流れの中っていうか、それ的な?」 「そう、そんなやつ」 「あー」 「なんか、なんかそういう1ジャンルとして独自の進化と展

喝采と花 「それでも舞台に立つ」から「すべての人の心に花を」

「それでも舞台に立つ」という歌と「すべての人の心に花を」と伝える歌を美しさとアクの強さの両方を感じさせる夫婦がそれぞれに踊った。 『泣き虫三姉弟』でお馴染みの劇団だ。 『ザ・ノンフィクション』がそのようなタイトルを付けて長年密着し放送をした。 「大衆演劇の楽屋で生きる子供たちの笑い泣きの舞台の日々」 といういかにもあの番組な「らしい」「泣ける」旅芝居・大衆演劇像が、 何年にもわたり日曜昼のお茶の間に流されたこと自体がいいか悪いか好き嫌いかはさておいて。 三姉弟(プラス

流転 旅芝居、紫式部な名女優

ヤンチャで、おきゃんで、強くて、 何がわるい。ごめんあそばせ。 女、ひとり。私は役者。性別? 年齢? それがなにか? うれしくなった。いや、うれしい。 どこを切り取っても「かたち」がきれい。 曲の中の世界に居る。曲の中の人。 へらへらともの欲しそうにお客さんに媚びない。 変に表情をつくらない。 でも明るい曲での舞踊では時ににこっと笑う。 にこっとじゃないな。「にかっ」だ。 その「にかっ」の顔には、書いてある。 書いてないけど、まるで言っているようにわたしには見える

労働と信仰のラブソング 旅芝居、好き嫌いとズレと生きること

それは手踊りだった。 もはや手話の域ですらある、 歌詞にとても忠実な。 歌詞に沿って気持ちから出てくる振りだ手だ仕草で動きだと思った。 決してきれいでちゃんとしたとは言いにくい劇場で。 自分と息子と、 ずっと役者をしてきた訳じゃない娘たちと、 お手伝いの若い子と、 数日間ゲストのフリーの女優さん(この後、次の記事にこのまま続けます)、 一日や一か月の舞台をまわしてゆくには限界に近いようなメンバーや状況、 いや、いろいろもう限界はとっくに超えているのであろう状態で、 若くないけ

鬼 野獣郎見参と松井誠

劇団☆新感線の『野獣郎見参』は好きな芝居のひとつだ。 作者の中島かずきが「〝いのうえ歌舞伎〟リスタートとなった作品」と言っているが、今も人気の同劇団の芯や方向性を感じるような1本だと思う。 安倍晴明や陰陽道をベースにした、人と妖、 同劇団が得意とする伝奇活劇(チャンバラ)だ。 晴明ブームは初演時にはまだなかった。 映画の陰陽師だったり、OSKの『闇の貴公子』が上演されたり、 で、晴明神社がなんか観光チックになったりしたのは、 再演の前後だったように記憶している。 同劇団らしく

うつくしさも、グロテスクさも 津川竜三回忌追善特別興行

ロビーに設置されたポストに気付いた。 「三回忌追悼特別興行」 私が行った日はその第2弾。 前半に行われた故人と親しくしていた座長たちを集め偲ぶ特別公演に続き、劇団だけで夫であり父であり祖父であり師匠だった彼を偲ぶ公演だった。 好きな作家が手掛けこの日初演となる芝居を目当てに訪れ、休憩時間にふと目に入ったのが件のポスト。 「故人にメッセージを書いて下さい」 「抽選で粗品を差し上げます」 粗品要る?! と芸人粗品的ツッコミを入れてしまったのだが、 このポストと手紙が公演のハイライ

20XX年に 北斗の拳、ベルセルク、旅芝居の芝居

古いアニメや漫画を語ったり、 キャラの台詞や引用をすると「さむっ」「知らんし」となる時代らしい。 『ベイビーわるきゅーれ』の主人公たちが言っていた。 このところ仕事中のBGM代わりが『北斗の拳』だったわたしには「!」である。 せやけどここからどんどん広がっていった、考えた、色々。 「さむっ」「知らんし」すみません。 すごく長くなりましたが、よろしければお付き合い下さい。 きっかけは先月放送されたNHK『アナザーストーリーズ』(再放送)だ。 原哲夫&武論尊による「制作秘話」を