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まとまらないままに書きたくなった。 さいきんのテレビドラマを観ていてだ。 きっかけは朝ドラからだったような気もする。 観ていますか。 SNSでは大絶賛の嵐だ。 うんうん。よくわかる。 でもわたしは初回から観始めて数話進んでいくうちに 「うん」と共に「んー?」を感じるようにもなった。 いい意味で「わかりやすい」んじゃないか、と。 「みせたい側を引き立てるために わかりやすいわかりやすすぎる役割というか設定をされている」 っていうといいかなあ。 それがきっと「良い」のだろ
ドラマ『不適切にもほどがある!』については何度か書いた。 回を重ねるごとに、違和感と「これはあかん」が重なりもし、 入り込めなく集中できなく(集中して楽しめなく)なった。 最終回を「どう終わらせるのかな」っていう期待はあったのだけれど、 「んー………?」「うんうん」「なるほどな」「でもなあ」 だからもう一度観なおしたらほろりとはなりもしたけれど、 いろんな人の気持ちを考えて「どうなんやろうなあ」となったのもほんとの気持ち。 悪い意味でもいい意味でもいい意味でも悪い意味でも 「
表紙と装丁の元となっているのは広重の「両国花火」。 でも花火も屋形船も切り落とされている。 ただ黒洞々たる夜の橋があるばかりだ。 と、羅生門の最後の一行なぞもじりたくなったのは、その内容故かもしれない。 手にするとずっしりと重く感じるのは、 タイトルと帯に書かれた宣伝文の力もきっとある。 『夜露がたり』(砂原浩太朗・新潮社) 目次をみると全8篇、 それぞれのタイトルからも滲みが漏れ、否が応でも期待は膨らむ。 「帰ってきた」「向こうがわ」「死んでくれ」「さざなみ」 「錆び刀」「
自分で自分の書いたものを改めて引用するなんて全然よくない。 でもふとそうしたくなったのは、 読み終えたとある1冊が、ほんとうによかったからだ。 読みながら何度もぐっときて、じぃんとして、 読み終えて、そうしたくなったからだ。 直木賞受賞作だし、人気作だし、 尊敬する劇作家たちも薦めていたから気になってはいた。 にもかかわらず、手に取るのが遅くなったのはすごくしょうもない理由だ。 「もう時代小説はええかなあ」 うんと若い頃一時期、ずっと時代小説を読んでいた。 心はずっと江戸
古典と世界史の授業が好きだった。 いい先生に巡り合えたからというのも大きい。 伊勢物語「あずさ弓」の現代語訳という宿題を びゃーっと書いて提出したところ、 年配の色っぽい先生が笑ってくれた。 卒業するまでずぅーっと言われた。 「『桃尻語訳 伊勢物語』のmomoさんね。うふふ」 今思うと橋本治というより田辺聖子気取り、というか、読んでいたから書いた書けたのだろうと思う。 でも、たくさんの真面目な回答の中、いきなり出てきたあんな訳を読まされたらそりゃびびるやろうな。 「江
箱(棚)貸書店コーナーの一部をシェアさせていただいている 東京・湯島のBookstore&Gallery「出発点」店長であり、 出版社「旅と思索社」代表によるご挨拶がHPにアップされています。 よろしければお読みいただき、 記載の営業時間&定休日をご確認の上、 是非、「本屋・桃花舞台」も含む、 素敵な箱主さんの本屋や、御店主セレクトの本、 いろんな作家さんによる雑貨などに出会いに遊びに来ていただければ嬉しいです。 これまで来て下さった方お買い上げいただいた方、本当に嬉しいで
金網の中でのごちゃごちゃ血まみれぐちゃぐちゃ試合をただ観た。 直接会ったこともないその選手のことを勝手に書きたい。 入団したころから観ていた訳じゃない。 会場に足を運んで生で観たことだって両手で数えるほどだ。 新日本プロレス在籍としての最後の試合も大阪だったけれど行かずに配信で観た。 いつの間にか気付けば目で追っていた。 むちゃくちゃだからだ。 なんでそんなに身体張るねん。 知人は見るたびに言っていた。 「やさしいなあ」 どんな選手のどんな技もやりすぎくらい受けまくる
人は誰しも「思い込み」を持っていると思う。 大きなものから小さなものまで、 言うなれば 「こう、と、されている、ことを疑いすらしないこと、かーらーの固定」だろうか。 その「かーらーのー固定と凝り固まり」が、 誰かをしんどくさせたり誰かにとっての暴力となりもしかねない。 と、考えたことはあるだろうか。 「こうであることが当たり前of当たり前すぎて疑いもしない」 その向こうには、「ではない」「そうなれない、出来ない」ことやものやひと、も、「ある」「いる」。 その絶望や苦しみを考え
ドラマ『不適切にもほどがある!』が、結構叩かれているみたい。 「せやろな」「せやな」と思った。 1話目を観たわたしはうれしかった。 笑ったり笑ったり、なつかしさを感じたりもしていたから。 時事ネタがではない。 「よく観ていた頃の小劇場」感、がちゃがちゃごちゃごちゃ生き生き感、ギャグやオフザケを散りばめながら「言いたいことを伝える」を感じてだ。 でも、かな、だから、かな。でも、かな。 2話目くらいから「ん?」を思い始めた、「ん?」と「んー?」だ。 「ああ、これは、叩きがいがある
それは表現ですか? 表現ですか。 そうですか。 その表現は誰かを傷つけていませんか? それは恋ですか? 恋だったのですか。 そうですか。 相手もそう思っていますか? 相手の身体や尊厳をおかしていませんか? それにすら気付かなかったり、 気付く気付かない以前に酔ったり思い込んだりして 気付こうともしてはいなかったりしませんか? 例えば、あなたがそうしたことやそう言ったこと、それは他者への想いからですか? 自分のためですか相手のためですか? 相手のことを思っての言
クドカンの新作ドラマが昨日から始まったことを知らなくて、 ばたばたが少し落ち着いた??な昨夜、 ネトフリで何か観ようとしたら配信されてた! 観た! じわっと涙がでた笑いながらも。 思うところ考えるところがたくさんと、 ドラマは勿論あの頃舞台とかから観てきたからこそ変遷というか いろいろ思うところがあること、 そのひとが、今、≪こんな≫ドラマを書いて、放送されていること、その内容に、じわっと。 物語は始まったばかりなのだけれど、 いろんなこと思い出したり重ねたりして、もう胸がい
年末に近所じゃないけど近所のおおきな商店街に出かける用があった。 その際、近くにある芝居小屋の宣伝で貼られていた 旅芝居・大衆演劇のポスターを見た親戚姐(以前にも書いた北斗の拳とベルセルクなこの人)が言った。 「なんか、、、これ、どうなん?」 わたしは答えた。「極めてとても〝ヤンキー的なもの〟やなあ」 親戚姐はつぶやいた。 「竹の子族とかよさこいとかそういう流れの中っていうか、それ的な?」 「そう、そんなやつ」 「あー」 「なんか、なんかそういう1ジャンルとして独自の進化と展
紅白歌合戦の伊藤蘭を観て涙がぶわーっと出ていた。 正確に言うと違う。 紅白歌合戦の伊藤蘭とその応援さんたちを観て涙が止まらなくなった。 あたりまえだが世代じゃない。 でも懐メロ番組に長年も長年かかわってきたのもあり、昭和歌謡には詳しい。 キャンディーズ? 好き。拓郎も好き。って、わたしのそんなことはどうだっていい。 紅白は毎年観る。 でもこの数年のわたしの怒りはMAX of MAXだった。 歳をとったからだ。 違う。 あきらかにネット民のバズりを期待してる感を感じるか
今朝「おすすめされていた作家さんの本を買いました」というメールをいただいて、なにかが繋がったような、不思議な気持ちになったのは、 ここ最近、このnoteを思い出していたからかもしれません。 ちょうと一年前に書いたものです。 振り返りネタが続いてしまっていますがサボっている訳ではない(笑) 赦しと復讐とコインの裏表のこと。 シェイクスピアとか近松とか己のことや、 いくつかの本と舞台の話とかと併せて、なんか憑かれたような気持ちで書きました。 ちょっと長いけど、ほんま、いろいろ