ヨルシカのパレードの歌詞について
ヨルシカさんの、主に『パレード』と『声』の歌詞について考察したことです。
アルバム『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』初回限定盤のネタバレがあるのでご注意下さい。
歌詞には「」を付けています。
パレードは、絵の具を置くパレットに掛けている気がします。
「一人ぼっちのパレード」は一色だけのパレット、詩を書く為の万年筆のインクかなと。
MVで万年筆を待っていますし。
楽譜に並ぶ音符を行進に見立ててる気がします。パレードという文字列には音階のドとレがありますし。
口から出した声も音符のように行進するのでしょう。だから『パレード』の対となる曲が『声』なのだと思いました。
「一人ぼっちのパレード」はエイミーが一人で歌を作ってる、あるいは一人で歌を歌っている姿なのかなと。
「君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる」の指先は、詩を書く指先でもあり、ピアノ、つまり音楽を鳴らす指先でもある気がします。エルマは詩を書き、ピアノを弾くので。
「身体の奥 喉の真下 心があるとするなら君はそこなんだろうから」から、エイミーの喉の奥にエルマがいると思えます。
エイミーにとっては「君だけが僕の音楽」(藍二乗)なので、声や言葉が出来る場所である喉の奥にエルマ(君)がいるのは自然だなと。
エルマにとっての神様がエイミーだという事と、「黙ったって喉の奥にいる、神様の話」(声)から、
エルマの喉の奥にもエイミーがいると思えます。
心に空いた穴こそが、エルマの喉の奥にいるエイミーなのでしょう。
エルマは日記帳で、頭の中の空白は(エイミーの好きだった)余白の色だ、と書いています。
頭の中の空白=心に空いた穴 とすると、
心に空いた穴は余白であり、新たに文字を書く事や音楽を作る事で埋められるのかもしれません。
エイミーがいなくなって心に空いた穴を埋める為、エルマは『エルマ』収録の楽曲を作ったのかなと。
心に穴が空いていなかったら、創作をしたり、歌を歌ったり、自分の言葉を発さなかったかもと思うと、
心に空いた穴は口でもあると思えます。
穴とは傷口でもあり、外界へ通じる道でもあるからです。
声は、心に空いた穴から出ているのかもしれません。
「一人ぼっちのパレードを」には、誰かの為じゃない自分の為だけの創作、という意味があると思いました。
通常パレードは人に見せる為のものなので、一人ぼっちという事は自分だけが観客なのだろうと。
創作家はみんな(一人で物語を描き続けた)ヘンリーダーガーであるべき、という内容をエイミーはエルマへの手紙に書いています。
売れる為じゃない、自分の為だけの創作を少しでも長く続けたい、という気持ちが、「もう少しでいい もうちょっとだけでいい」に込められているように感じました。
一人ぼっちという語には寂しさがあるので、
「もうちょっとだけでいい 一人ぼっちのパレードを」は、君(エルマ)のいない寂しさにもう少しだけ浸っていたい、と読めます。
エルマのことさえも忘れ、本当の意味で他者がいなくなったら、自分を一人ぼっちだと思う事もできなくなりそうです。
「忘れないように 君のいない今の温度を」とありますし、エイミーは完全な独りぼっちにはなりたくないのでしょう。
エイミーは想い出の幻たちと共に歩いているから、一人ぼっちでもパレード(行進)なのかなぁと思いました。
「君のいない今の温度」は、
温度=音頭 と思えます。
一人ぼっちのパレードの音頭を取るのかなと。
エイミーの手紙の「パレードという詩について」によると、
「気分によって暖かくも成り、冷たくも成る」ものが声なので
声の温度、音頭の温度と思えます。
「一人ぼっちのパレード」
→こどく(孤独)な行進
→コード進行
とも連想できます。
コードは複数の音で出来ていて、賑やかなパレードのようですが、
ピアノやギターでは一人で鳴らせます。
パレードのような賑やかな音を、一人弾いているのかなと。
「君のいない今の温度」は、
「今の暮らしはi^2 君が引かれてる0の下」で零下(藍二乗)、氷点下なのかなと。
「一人ぼっちのパレード」を、
人気が出なくていい(売れなくていい)=一人ぼっちでいい と思うと、
「何度でも君を書いた 売れることこそがどうでも良かったんだ」に繋がります。
ノートと喉は音が近いです。
藍二乗「君が主役のプロットを書くノートの中」と、
パレード「喉の中で言葉が出来る」「喉の真下 君の書く詩をただ真似る」が対応してそうです。
言葉はノートに書いたり、喉を通る事で伝わります。
「詩の表面 その上澄みにだけ君がいる」は、ノートの上や喉の上でもあると思いました。
「喉の真下 心があるとするなら君はそこ」(パレード)と、
「心の形は長方形 この紙の中だけに宿る~上澄みにだけ君がいる」(六月は雨上がりの街を書く)も、心と君の関係が対応しそうです。
「君が引かれてる0の下」はノートや喉の真下で、
藍二乗(0の下)は、ノートや喉の上に乗らない(言葉で表現できてない)心だと思います。
「身体の奥 喉の真下 君の書く詩をただ真似る日々を」は、
身体の奥のドの真下
≒音階のシ (ドの下)
≒詩(し) とも取れます。
「喉の真下」=喉呑ました と思うと、
対の曲『声』の「この喉を通るさよなら吞み込んで」に繋がるなと。
神様のダンス「どうでもいいことばっかだ 君の口癖が感染ってる 喉の真下には君がいる」は、
「どうでもいい」が口癖のエイミーが乗り移ったようだから「喉の真下には君がいる」だと取れます。
感染ってるの、ドの真下には君がいる
「どうでもいい」の「ド」が口から出た時、エイミーの存在を内側に感じるのかなと思いました。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。