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"ゆずれない考え"は持つべきなのか?

「ロウソクの芯は熱くならないらしい」とカバー画像の説明のところに書いてあった。
ある程度の情熱や熱意を持って、芯を燃やしながら.....炎を上げながら....そういう生き方をしている方はどのくらいいるのだろう。



3連休で5社くらいES選考ありのインターンに応募してみた。結果はどうあれ結局は経験が大事だと思う部分もあるので若干の期待はしておきたい。

業界研究や企業研究をする中で多くの会社の経営理念や企業理念が目に入る。
そんな中で考えるのは「人はゆずれない考え、絶対的な考えを持つべきなのだろうか?」ということである。

ゆずれない考え....いわば人生の軸となるもの、自分の価値観の芯となるものは誰もが持っているものなのかもしれないが、それはどの程度絶対にゆずれないものなのだろうか?

例えば自分の信念だったり価値観のど真ん中にあるもの(生き方の芯となっているもの)を誰かに否定されたとしたらどうだろう。

「誰か」がもし面接官だったとしたら、おそらくその会社と自分は合わないだろう。
「誰か」がもし友達だったとしたら、そういう友達とは関係を続けたくないと思う人もいるだろうし、特に気にしないという人もいるだろう。
「誰か」がもし大人だったとしたら、そういう大人にはなりたくないと思うかもしれない。その人の考えを聞きたいと思うかもしれない。


ここで問題なのは「誰かの考えを自分の価値観で否定しても良いのかどうか」ということではなく、
「"絶対にゆずれない考え"を持ち続けるのは良いことなのだろうか」ということである。


例えば1つの信念を重視する会社がある。考えを進化させ続けることを重視する会社がある。柔軟性や臨機応変さを重視する会社がある。価値観の多様性を認める会社がある。

ゆずれない考えに対する気持ちが強ければ強いほど、それは自分の中で強固なものになる。
否定されたら怒るか落ち込むか悲しむか。
自分と対立する考えの人が現れればそれに立ち向かうか多様性を認めるか無視するか。

色々なパターンが考えられるが、「絶対にゆずれない」考えは時に恐ろしい。それを持っているだけでは問題ないし、むしろ持っておくべきかもしれない。

でもそれは誰かの「絶対にゆずれない」考えを脅かすかもしれない。他者の価値観の否定や他者の価値観を認めないことにつながるかもしれない。

その信念が強いものであればあるほど、周りを排除していくかもしれない。



私個人は「ゆずれない考え」が自分の中にしっかり芯(というか軸)として根付いていると思っているし、それを否定されたら怒るだろう。
けれど自分の周りの人間の価値観を変えてしまおうとまでは思わないし、(もちろん望まれれば話は別だが)価値観が真逆の人と共に時間を過ごしたことが全くない....なんていうことはない。

「ゆずれない考え」は自分の中に根ざしている考えであり、自分に大きな影響を与えるものである。

けれどそれだけではなく、周囲にいる身近な人にも大きな影響を与える可能性があるものでもある。
そしてそれはその人自身が置かれた環境や生きてきた環境次第な部分もある。
"ゆずれない考え"のおかげで好機が訪れることもあれば、そのせいで転んでしまうこともあるかもしれない。




これだけはゆずれない!という信念や考えを、これを読んでくださっている皆さんはお持ちですか。それはどの程度の"熱量"で持っているものですか。
他者との関わりの中でそれはどう変化してきましたか、どう周囲に影響を及ぼしてきましたか。




また付け加えることが思いつけばいつの日か続きを記したい。