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どうやって海外企業で働くだけの語学を身につけていったのか

↑こちらの続きです。


慣れない土地でまずは友達を作りたかった

残念ながら新卒で、憧れのファッションデザイナーという職業に就けなかった私は、暫定的ではあるが、幼い日、同じくらい憧れていた「学校の先生」という職業に就くために、仙台で初めてひとり暮らしを始めた。

仙台という街には家族も知り合いもいなかったので、まずははじめに友達を作りたかった。

何か習い事を始めたら、そこで誰かと仲良くなれるのではないかと思い、街のガイドブックを見ると、ずっと行きたかった英会話学校の他に、なんとフランス語の学校もあるではないか。

しかも、どちらも、営利を目的としていない団体の運営する語学教室だったので、お財布に優しい受講料、新卒で貯金もなかった私には、うってつけの習い事であった。


語学を勉強するのは学生の頃から好きだった

幼少期から欧米の文化に興味があり、外国人との文化交流にも関心のあった私は、英語が上手になりたいと思っていたと同時に、もうひとつの外国語を習いたかった。

もともとファッションや芸術、映画が好きだった私は、高校に入ってから、テレビやラジオのフランス語講座を時々観たり聴いたりするようになった。だが、毎年、新年度になると必ず購入するテキストもだいたい6月号まで。自力ではなかなか継続することが出来なかった。

文化服装学院でも私が専攻したアパレルデザイン科は、1年生で英語を習い、2年生は選択制で英語かフランス語が選べた。私は迷わずフランス語にしたが…

毎日のアルバイトと宇都宮⇄新宿の通学でクタクタだった私は、事もあろうに授業中、毎回居眠りをしていた。だからテストはいつも赤点で、憧れの「フレンチ」は全く身につかなかった…


結局フランス語教室に

そういった過去の経緯もあって、今度こそはフランス語をちゃんと勉強しようと決心した私は、迷わずフランス語の学校に通うことにした。

こうして、夜間クラスに週2回、5年後に専門学校を退職するまで、通い続けた。


パリに渡ってからは

2000年に渡仏した私は、最初の1年間、昼間はファッションの専門学校に通っていたので、パリ市役所が運営する外国人のためのフランス語講座に夜間、週2回通った。そしてその後、スタージュ (インターンシップ) やバレンシアガで正社員として正式に採用されてからも通い続け、こちらもトータルで5年間受講した。

それでも2002年、バレンシアガに採用された時には、あまりのフランス語の拙さに、会社から100時間の個人レッスンを課された。

海外企業で、ネイティブの同僚たちと対等に仕事するには、ちょっと語学学校でかじった程度のフランス語では全く歯が立たなかったのだ。

ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、ファッション業界、特にデザイナー職に就くと、海外のメゾンでも、コレクションやショーの準備で毎日遅くまで残ったり、週末出勤をしなければならない。その中で会社が準備した個人レッスンと自身で登録している夜間講座に通い続けるのはかなりキツかった。

でも、それよりキツかったのは、会社の同僚たちの言っている事が早すぎて全くわからなかったことや、自分の言いたい意見を思ったように伝えられない事だった。発音を馬鹿にされ、忙しい時には無視され、いつもひとりぼっちで取り残された気がして、悔しくて当時はよく泣いていたと思う。

プレゼンなどがあった日には、極度のストレスでめまいがして、目の前が真っ暗になりプレゼンどころではなくなった。それを克服するために、演劇をするフランス人の役者さんが開いている、人前で話すことが苦手なフランス人たちのための「人前で話す講座」を外国人でひとり、受講していた時期もあった。


デザイナーって仕事は、オフィスで黙々と、デザイン画を描いてりゃいいってもんじゃない

デザイナーって、当然、デザイン画を描く仕事なんだけれども、意外とチームワークが多く、他のデザイナー達とはもちろん、アトリエのパタンナーたちや生産管理、その他の部署や、生地屋さん、工場などとも連絡をマメに取らなけばならないので、語学が話せないと仕事にならないのが本当のところ。会議やプレゼンもめちゃくちゃ多い。


フランスのブランドに勤めていてもフランス語を話せない同僚たち

当時、ニコラ・ジェスキエール率いるバレンシアガのデザインチームはニコラがフランス人だということもあって、メンバーもほぼ全員がフランス人だったので、フランス語でコミュニケーションを取った。

しかし、その後の職場では、当時も今も人気のあるデザイン学校が、ロンドンやベルギーのアントワープにあったりするため、採用されたデザイナー達が全くフランス語を話せないことが多かった。

また、ブランドの顔であるクリエイティブ・ディレクター達も、英国人やアメリカ人、イタリア人などが多かったので、たとえフランスの会社であっても、デザイナー同士の会議やフィッティングは必然的に英語となった。

また、ファッション・ウィーク (パリコレ) では、モデルやヘアメイクや、その他スタッフ達が世界中から集まって一緒に仕事をするので、自動的にショー準備中は英語がコミュニケーションツールになる。


今度は英語が話せない!

せっかくフランス語が話せるようになってきたのに、今度は英語でコミュニケーションが取れないという事態に…涙。

幸い、転職先のランバンのクリエイティブ・ディレクター、アルベール・エルバスも、次のニナリッチのピーター・コッピングも英語の他にフランス語も話せたので、彼らと普段の会話はフランス語で、会議の時は、英語の聞き取りはそこそこ出来たので、英語で聞いて、フランス語で答えるという、実に器用な事をしばらくやっていた。


長期休暇はせっせと英語留学

それではやはり不便だったので、2006年の7月に4週間ニューヨークで、2009年の3月に2週間マルタ島で、それぞれ語学学校に通い、英語を学んでいる。


ニューヨークで転職しても英語レッスン

その後、コーチに採用されて、2015年から2019年までニューヨークに移住するわけだが、会社から計150時間の英語の個人レッスンを課され、それでも不安な私は、コーチに転職する以前、まだパリにいる頃からほぼ毎日1時間、スカイプ個人レッスンを受けていて、それは今も続けている。

あとは、時間のある時だけ週1回、日本人のための発音講座にも通ったりもした。


何事もコツコツと、忍耐強く

語学を勉強するのは好きだが、正直なところ私は、あまり語学のセンスはないと思う。

でも諦めずに、コツコツと、長い年月をかけて努力した。

おかげで今は、フランス語も英語も仕事でほとんど困らないくらいになった。(と思う。)


資格、検定は?

実は、私はTOEICとかTOEFLは受けたことはないし、それらの有無も転職の際に聞かれたことはない。まあファッションの専門職として経験も豊富なので、多少語学に不安があってもそこは免除されていた。

仏検、DELF、DALFもしかり。あっ、でも仏検はもしかしたら3級持ってたかもしれない、面接でまず聞かれないので、はっきり覚えていない。


他の業界、業種で海外企業に就職する場合は、もしかしたらこういった資格は必要なのかもしれない。





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