見出し画像

――――という、はなし。

先日、2018年1月12日は父の4回目の命日にあたる。本当に本当に早いものだし、無事年を越したあとは「じゃあ次は命日かぁ」と、新年を迎えると思い出すようになっていた。

※1年前の記事…「妖精の命日。(おっさんへ)
※2年前の記事…「おっさんの妖精が本当になった日。」

22歳で父が亡くなり、今わたしは26歳。22年間しか一緒に居れなかったのか、という気持ちと、一応自分のお金で生活できるレベルにまで成長した自分を見せられた、という部分では非常に良かったと思っている。わたしの一人暮らしにおける最大の憧れであった「正月に実家に帰る」というイベントも、ギリギリ2回は叶えられたのだ。

とはいえ、あれから4年。こんな自分を見せたかったな、とか、こんな大きな決断をした話を聞かせたかったな、と思うことがたびたびある。人間関係の形成がどうしても難しくてフリーになったよ!なんて話をしたら、父はどんな顔をするのかな?今年に入ってからずうっと胃腸の調子が思わしくなくて、でもたぶんその原因はストレスで、こんなに顕著に体に出る体質だって、父は知っていたかな?

「お父さんはどうだった?そんな経験ある」「お父さんだったらどう思う?」「今のわたし、間違ってないかな?」――という風に、父に質問してみたいことが、時折生まれては消えていった。実際に対面で話したいという気持ちがある以上は、それはやっぱり切ない。でも、お祈りをしたり、たとえ声が聞こえなくとも、こちらから父に話しかけたりはできるのだ。この1年は、その冷静な気持ちを持ちながらも、ときどき、寂しさを覚えた。

22年間、家族で居たわたしたちは、「22年間の自分たち」しか知らないはずだ。だから、これがあと10年…32歳のわたしと、78歳の父だった場合、今度は「32年間の自分たち」を互いに知ることができるのだ。今のわたしにとっては、それって素敵やん!と思える。去年、生前父が使っていたネクタイやベルト、CDなどを物色していたら、動物シリーズのネクタイが多かったり、実はロックやプログレッシブ音楽を好んで聞いていたことが判明した。(サンタナやピンクフロイドのCDがあった!)亡くなってから初めて知った父の趣味嗜好…これは一部分で、きっと、まだまだ知らない部分があったのだろう。


”こんなとき、お父さんがいればなあ…”、こういう気持ちは、年々薄れているように思える。単にそういう場面が少なくなったのかもしれないが、大半は、自分で決断し行動に移せる肝が据わったからだろう。(もっとも、父にべったり相談するような関係性でもなかったが)それに、わたしには気持ちを吐露できる相手がいることも幸いしている。そういう意味では、なんだかんだ、父が亡くなってから自分は、毎年数ミリずつ人間として独り立ちできている感じだ。

しかしなぜだろう……。それでもやっぱり『父の気持ち』を聞きたい、知ってみたいという思いがあるのは。どんなに人間性を熟知していても、その人自身の本当の気持ちまでは、わたしたち他人には想像することしかできないからだろうか。たとえ今父が生きていて何か悩みを相談したって、いつものちょっとイラッとする皮肉な感じで返されるのは重々承知。でもその上で、”26歳のわたし”と話している父の反応を見てみたいのだ。


日々、後悔のないコミュニケーションをするのは難しい。自分のことだけで精一杯。キャパが溢れれば体まで壊す。毎日がこんなに難しいことだとは知らなかったぜ。あなたの可愛い末娘は、今そういう感じです。どうです、たまには夢に出て、気の利いたアドバイスでもしてやりたいと思いませんか。


そして、最近手に入れた素敵な本がある。

<という、はなし/吉田篤弘(文)・フジモトマサル(絵)>

【ひっそり、のんびりといきたい。
しかし、なかなかそう上手くはいかなくて、静けさと余裕はこの世で最も高価なものになりつつある。】

冒頭の2行で、ああ、そうそう、そうなんだよ……と湯船に沈み込んだ。わたしはお風呂に入りながら本を読むのが好きなのだが、この本を読んでいる瞬間が、今まさに”そういうこと”…価値のある時間なのだよ!と強く感じた。優しく丁寧に、日々の息苦しさや幸せを言葉に表していて、すごくホッとした。面白いのが、この話は、別にエッセイではなくて、ちゃんと”おはなし調”なこと。だけど、そこに作者の日々感じたさまざまなことをフィクションのように書き綴り、また感慨深げな動物たちのイラストがあるので、まるで動物たちのささやかな日々を読んでいるような、不思議な気持ちになるのだ。

(穂村弘さんのショートエッセイなども大好きなのだけど、彼のはもう少し痛快かつ確信をえぐるような面白さがある。そういうエッセイが好きだったので、こういう寄り添うような話に心がじんわりした!)

心に余裕がないのは、本を読んでいないからかもしれない。本の虫だった父。干し柿やブドウなどを部屋に持ち込んでは静かに本を読んでいた、かと思えばガーガー眠る。(黙ってハリーポッター全巻を読んでいたのには驚いた…)わたしが星真一さんが好きだと言ったら、入院中に星さんの本を買いまくって読んでいた父。そういえば、太宰治とか江戸川乱歩とか、その辺はどうだったのかな、好きだったのかな。やっぱりこういう時に、父のこと、もっと知りたかったなと思う!そうするすべがない今、わたしはやはり本をめくろうと思う。そして、父も自室で手に入れていたかもしれない『この世で最も高価なものになりつつある”静けさと余裕”』を手に入れよう。

今年もよろしくな、おっさん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?