お金とは何か

お金とは何か

・お金についての思惟

 私の趣味は勉強です。

 昔はありとあらゆる科学の分野を勉強しつくす歳とともに対象を絞ろうとしています。

 その残った勉強対象に経済の勉強、もっと言えばお金の勉強があります。

 頭が疲れてないときは数学の勉強を優先し、数学の勉強をするには脳の疲労たまっているときには経済学の勉強をし、それも疲労で出来なければ漫画を読む傾向があります。

 結局漫画になっていることが多いのですが。

 ついでにいうと私のライフワークは現代哲学を広めることで余裕があれば現代数学をわかりやすい形で表現して広めることがあります。

 しかし最近は経済を構造化主義化することに興味が出てきました。

・お金に関する長年の疑問

 数十年持っていた疑問は「お金とは何か」というものでした。

 もっと具体的にいうと「なぜ実質的な価値のない貨幣や紙幣が信用を失わないのか」です。

 金本位制ならわかります。

 しかし要するに管理通貨体制でなぜコモディティとしての価値がないものが信用されて取引や貯蓄に使われるのか、が分かりませんでした。

 まだ不勉強ですが私なりに最近ようやく理解したと思いますのでまとめます。

・フィッシャーの交換方程式

 お金を考える際に大切な数式があります。

 フィッシャーの交換方程式と呼ばれるものです。

 MV=PT

となります。

 Mはお金の量です。

 Vはお金の取引流通速度です。

 これは言い換えるといかに世の中にお金が回っているのか、です。

 Pは物価です。

 Tは取引数になります。

 この式からお金の量を増やすとインフレになると言うことが分かります。

 問題はVやTです。

 我々は大きなくくりでいうと自由交換経済体制にいます。

 要するに売り買いが出来るし取引ができます。

 これはお金なしでも可能です。

 物々交換でもいいです。

 あるいはITなどのインフラが整備されれば物理的なお金は必要なくなるかもしれません。

・取引にお金は必要

 問題なのは実際現実的には取引にはお金が必要、と言う事です。

 それが上の式では示されています。

 改竄不能な正確な取引などの時間経過も終える大容量記憶媒体があれば物質的なお金は必要ないかもしれません。

 しかしその場合でも電子的なお金は必要になります。

 それを主張しているのがフィッシャーの交換方程式です。

・財政政策と金融政策

 この式はマクロ経済学を学ぶ際には一番最初の方に出てきます。

 二十世紀でもっとも重要な経済学者を2人あげるとケインズやフリードマンが候補になります。

 現在物価や雇用を調整するのは経済政策でも大きく分けて財政政策と金融政策で行われますが、財政政策の思想に寄与しているのがケインズで、金融政策の思想に寄与しているのがフリードマンと言えます。

 もちろん他の多くの経済学者も寄与していますが。

 MV=PT

 この式には金融政策が含まれています。

 Mの増量が金融緩和で減量が金融緊縮になります。

 これを重視するのがマネタリズムでフィッシャーやフリードマンの流れになります。

 公定歩合、今でいうと政策金利やアメリカのFFレート、量的緩和はこの考えによります。

 VやTを増やすのはMやPも関係ありますがそれを無視してMやPを固定するとVやTを変えるのが財政政策になります。

 VとTを増やすのが財政緩和、積極財政、財政支出などと呼ばれます。

 VとTを減らすのが財政緊縮と呼ばれます。

 ケインズや戦前の不況のニューディール政策はこの考え方です。

・価値づけのとしてのお金

 お金の役割は物の交換比率を決めることです。

 しかしこれは実物のお金が必要なわけでは必ずしもありません。

 実際コンピュータ社会が発達すれば実物のお金は必要なくなるかもしれません。

 記録が信用できればいいからです。

 セキュリティさえ強力なら電子媒体で仮想的なお金の代わりを作ってしまえばよいと言う事で世の中そういうことが盛んになってきています。

 物物の交換比率を決めれば交換が可能ですがうまく割り切れない、端数や余りが出る場合があります。

 コンピュータは一旦置いておいて実物のお金が必要なのはこういう場合です。

 ものの交換プラスぴったり量が合わせきれなかった場合の端数をお金で払う。

 ただしこれはお金である必要ではなくて手形や小切手や借金証書でも担保でもいいかもしれません。

 お金にしても小切手にしても手形にしても借金証書にしても担保にしても大切なのは信用です。

 信用制度、信用創造、クレジット、こういう経済の信用にまつわる言葉はこういう部分ともかかわっています。

・お金の価値

 財やサービスの交換だけなら比率が分かればいいですが端数が出ることもありますし色々な都合上、比率だけでなく絶対値も決めておくと便利です。

 というわけで財やサービスの相対的な価値比率だけではなく絶対値を知っておくと便利です。

 ぴったり交換が成立しなかった場合などにはその数値を知りたいでしょう。

 それ以外にもいろいろな事情がありますが一つにはお金というもの自体に価値を持たせたいという意味があります。

 お金は交換比率を定めたり価値の貯蔵だけでなく、「取引」にとって必要で必要があると言う事は需要があると言う事で需要があると言う事はお金自体が財とサービスと同じ意味で価値があると言う事です。

・お金の量

 結論から書きます。

 細かいことは置いておきます。

 お金の価値が比率ではなく価値の絶対値を決めます。

 MV=PT

 またこの式に登場してもらいます。

 2つのパラメータが一定なら2つのパラメータが従属して動きます。

 PとTが一定ならMとPが比例します。

 お金の総量が財やサービスの総量と同じになります。

そしてこれに財やサービスの交換比率が分かれば値段や物価が決まります。

もちろん財やサービスの総量を補足するのは現実にはよほど小さな経済でないと無理でしょう。

ただ大雑把にはこの考え方で大枠を考えてください。

・取引の大切さ

 管理通貨制度では実物のお金にはコモディティとしての価値がありません。

 紙幣はただの紙切れで貨幣はただの金属片です。

 これに価値をつけるのは取引のための受容です。

 MV=PT

はその事も表しています。

 通貨には実需があります。

 実需があるものは需要と供給の関係で値段をつけることができます。

 現物にせよ仮想にせよお金のある機能が発揮される場合ですが。

 つまり相対的な価値比率付けです。

 この場合は比率だけでよく絶対値は求めません。

 ではなぜ比率だけではだめで絶対値が必要かというと、1つはMV=PTの式です。

 別にはお金の量が有限であれば自然に絶対値がついてしまいます。

 まず前者を見ると取引は必要です。

 もっと言えば交換は必要でその手段が取引です。

・交換、貸し借り、窃盗、破壊、戦争

 財やサービス、お金は交換することができます。

 まあ貸し借りすることもできます。

 また盗むこともできます。

 この3つの共通点は社会の中から財やサービス、お金の総量は変わらないと言う事です。

 実際消費したり使ったり持っていたり所有者は違っても世の中から消えてしまうことはありませんし実質持っている人が消費なり投資なりすればまた世の中にお金は流れます。

 借金の踏み倒しでも窃盗でもいいことに注意です。

 問題は破壊や戦争で財、サービス、お金が世の中から消えてしまいます。

 人口も減ってしまうかもしれません。

 単純に経済規模が縮小します。

 大きい経済、小さい経済というのは普通には人間集団が財、サービス、お金、労働力などを交換し合っている世界です。

 窃盗は所有権の侵害で倫理的には悪いことかもしれませんが経済規模は縮小しません。

・資本主義

 「資本」という言葉を分解すると「次」「貝」「本」で「貝」は「金」のことですから「次」「金」「本」と言う事になるます。

 「次」と「本」という言葉には時間の経過と増えていくこととと取引のニュアンスがあります。

 資本主義は「物」と「サービス」を増やす主義ですが、物とサービスを増やすならお金も増やさないといけません。

 これはMV=PTの帰結です。

 このお金の増やし方も問題です。

 物とサービス、そして人口もですが、それらの総体の量が増えているのにお金がそのままだとデフレになります。

 「お金が回らない」「取引が行われない」状態になります。

 MV=PTのVとT、そしてMが小さくなるわけです。

 結果Tも小さくなりがちです。

 つまり経済が小さくなります。

 たとえ財やサービスや人口の増加があってもです。

 お金は実需で需要があるので価値があって値段を付けられます。

 お金以外の経済規模の拡大についてはお金をどれだけ増やしていくのかが問題になります。

 簡単には同じだけ増やすことが考えられます。

 物価も値段も変わりません。

 お金の増加を相対的に減らすことも考えられますが不自然ですし、取引が行われにくくなるので経済活動が阻害されます。

 経済はお金が動く、取引があってなんぼで、取引のない経済は経済破綻と言っていいでしょう。

 不景気の行きつく先が取引の消失だとすればそれは経済の崩壊ともいえるかもしれません。

 最後に増やす場合を考えてみましょう。

 FRB議長だったバーナンキがノーベル賞を取りました。

 インフレターゲティングと言ってお金を財やサービスや人口(厳密には労働力)の総計に対して2%余計にふやして2%のインフレを起こします。

 これが現在の潮流です。

 ただしまた時代によって変わっていくかもしれません。

 ここ30年の日本のデフレ環境では1.5%くらいが妥当という意見もあり経済環境により流動的です。

 ただし財、サービス、労働力の成長よりお金の供給量を増やすというのがポイントになります。

・お金をどうやって市場にいれるか

 現在の金融システムでは中央銀行がお金を銀行に貸すことで市中のお金の量を増やす方法が主流となっています。

 ただ貸さなければいけないかというとそうでもなくて配る方法もあります。

 クーポンや商品券のように贈与する方法もあります。

 例えば国民全員に同じ額のお金を配ります。

 これはこれでありです。

 それに対応したシステムを作っていくことになります。

 お金は取引のために必要なものですので需要があります。

 高度な経済には必要なものです。

 でもお金なら何でもよいものではないので信用できるお金でなくてはいけません。

 そこで政府が保証人になります。

 法定通貨はそれで税金を払わないといけないなどの制限がつきます。

 そういう意味では江戸時代のお米はお金の側面もあったのです。

・中央銀行、国債

 現在の通貨制度は少し複雑です。

 政府が直接通貨を発行するわけではありません。

 通貨の発行は中央銀行に任せています。

 中央銀行は民間銀行にお金を貸し出す形で世の中にお金を流通させます。

 政府は国債を発行します。

 国債は金融市場ではお金のように使われます。

 債権には色々あります。

 お金も国債もそうです。

 株も社債もそうです。

 色々な債権の中で信用度マックスなのがお金と国際です。

 ただしこれは日本での話です。

 日本の通貨と国債は財務状態が良すぎて国際的に最高レベルに優良です。

 優良ですので信用されています。

 アメリカや経済先進国の国債やお金は信用されていますので使われますしお金の価値も高くなります。

 為替取引で高価な通貨になります。

 逆に信用がない国、経済が弱い、政情不安定、経済危機やデフォルトが最近あったなどがあると国の信用が低下します。

 するとその国の通貨の信用も低下します。

 信用がなければ需給関係だけでは通貨の価値の安定を保てない場合があります。

 すると担保が必要です。

 例えば金、ドルなどの外貨準備、国土そのものを担保にするなどです。

 外国の通貨を使ってしまうという手もあります。

 お金の発行母体は国である必要性はありませんが大体国です。

 中央銀行も国の機関です。

 お金も国債も国が発行するのですから国の信用度に依存します。

 両者の違いは扱われる市場と流動性です。

 どちらにせよ日本のような国では国にも経済にも信用が高いので日本円も日本国債も安全資産です。

・お金の需給管理

 お金は取引手段として必要なものです。

 つまり価値があります。

 やはりここでも

 MV=PT

です。

 取引の頻度や速さ、お金の動きがP、すなわち物価や価値を生みます。

 逆に財やサービスの価値とそれらの取引とその頻度と速さがお金の価値を生みます。

 ですからお金に価値を持たせるために担保は必要ありません。

 取引が行われるならおこにお金が登場し、お金が価値を持ち始めます。

 金や外貨や国土と交換できなくてもそれ自体で価値がつきます。

 お金の価値を決めるのは需給ですのでお金の量が問題になります。

 お金を経済に流通させるのには贈与でもいいと先ほど書きました。

 しかし贈与には欠点があって、市中のお金を増やすのに比べて減らすのが難しい点です。

 贈与の反対が奪取だとすると乱暴です。

 そのためだけではありませんが、お金の量の調整には貸し借りを使います。

 中央銀行も貸し借り、民間銀行も貸し借り、会社も投資家も貸し借りです。

 お金が貸し借りなら国債も貸し借りです。

 中央銀行や民間銀行など挟まず国が国民と直接お金や国際の貸し借り、やり取りをすればいいのかもしれませんが、そこは歴史的経緯やら長所短所があって今のような制度設計になっています。

 

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