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『依存』の定義

某有名人が薬物依存で逮捕され物議を醸していますね。
『依存症』の元となる行動原理は、幸せの相乗ではなく恐怖の相殺です。

それがなくては生きられない・つまらない・あまりに苦しい・絶望する

自己愛と現実のリンクが切れた時、その根本原因に目を向けたくない時、
人は逃避の手段として『強い刺激』の依存症に陥ります。

薬物・ギャンブル・アル中・ヘビースモーカー
泥沼恋愛・爆買い・過食(拒食)
過労(ワーカホリック)・ネズミ講・カルト宗教...etc

《過労・ワーカホリック》
多忙を言い訳に、考えたくないことを考えなくて済む状況を自ら作り上げ正当化する状態。

《泥沼恋愛・カルト宗教
ドラマ(ストーリー・役作り)に没頭することで思考停止して、問題から目を背けている状態。

《薬物・ギャンブル・アル中・ヘビースモーカー・爆買い・過食・拒食》
不安からくる精神的苦痛を、興奮と肉体的快楽で上書きしている状態。

依存症は様々な形がありますが、
本質は恐怖と不安の元を一時忘れる為の『慰め』+『カンフル剤』
『何を』しているかは違っても、『何故』しているかはどれも同じです。

依存を辞めるには?

自己愛と現実とのリンクが途絶えてしまったら、
根本原因(トラウマ・不安・恐怖)と向き合わない限り、別の依存に置き換えることは出来ても、ただ辞めるということは出来ません。

『強い意志をもって!成長しよう!』
『子供の為、みんなの為に頑張ろう!』
『辞められないのはただの甘えだよ!』

こうしたセリフ(要求・命令)はただ責めて追い詰めるているだけ。
何の助けにもなりません。

善悪・優劣・比較・競争・ルール&ペナルティ

怯えて依存症に陥っている人を『自己愛と真逆の概念』で脅すのは致命的。
ギリギリで踏みとどまっている所に追い討ちをかけ、生きようとする意志を破壊して『もう依存すら必要としなくなる』最悪の絶望状態へ導く危険さえあります。

答えは本人の内側『何故そうなったか』に隠されています。
『何をしたか、何をすればいいか』という外側に答えはありません。

因果を蝕む恐怖の源泉

それは本人が決して認めたくなくて、
何重にも埋められ、上書きされ、飾られ、隠されてきた想い(本音・本心)。

誰かの為にしか生きられず、自分の為に生きられなくなっている。
過去や未来に心が置き去りで、今を生きられなくなっている。
理想的な他人になろうと、本来の自分を否定する努力を続けている。

心の傷を認めず、膿んでいく傷を痛み止めとブランド物の絆創膏で覆い隠す。
言い訳と責任転嫁を繰り返し、それを正当化し続ける自傷行為。
それが依存症の定義です。

依存症の人を助けるには?

身近な人が重度の依存症に苦しんでいる時、
『わたしに何か出来るかな?』と思い悩みますよね。

・本人が気持ちを整理できるように話を傾聴してあげる
・本人がゆっくり考えられる時間を作ってあげる
・せめて追い討ちをかけないよう気をつけながら見守る

こうした間接的な補助は出来ますし、その有無は天地ほどの差があります。

しかし、心の傷を本当の意味で解放できるのは本人だけです。
基本的には『本人のスピード・やり方に任せる』前提を忘れはいけません。
※ただし命の危険など、致命的な状態になっている場合のみ強制介入アリ

複雑に絡み合った抑圧感情を紐解くのは容易なことではありません。
相手の恐怖を無理やり暴こうとすれば、拒絶反応で頑なに心を閉ざし関係が壊れる危険性もあります。
(特に年齢を重ねるほど、既存の生存戦略崩壊には抵抗を示します)

また、重度の依存症だと『もはや行き着くところまで行き着くしかない』、究極の状態に陥る経験をしない限り立ち止まれないケースもあります(例の有名人のように)。破滅へと直進していく人の背を見送るしかない時もあります。

しかし、生きてさえいれば『手遅れ』はありません。

自然栽培・オーガニック食品の生産者に還元します