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累犯障害者/山本譲司「刑務所が居場所」これからの福祉のあり方

このテーマを選んだのは、ベストセラーになった「ケーキの切れない非行少年たち」を読まれた方には、こちらも是非とも読んで欲しい!思ったので取り上げました。

こんにちは。カリスマSST(ソーシャルスキル・トレーニング)講師こと大先生マダオです。


「彼らの自立支援に向けた新しい施策を展開するとしても、世の中が納得しますかね。障害者といっても、彼らは罪を犯した人ですよ。普通に考えるなら、一般の障害者への施策拡充を優先させるべきではないですか」

こんな質問を受けることがあるが、私は次のように答えている。

まずは、彼らが受刑者となってしまう経緯を理解していただきたいと思います。彼らが罪を犯すに至った背景を探っていくと、必ずそこには『福祉の不在』がありま
す。福祉がサポートして、地域社会や就労へとつなげていれば、彼らは、罪を犯してしまうような劣悪な環境に置かれることはなかったんです。結局は、貧困や孤独のな版 か自暴自棄になって、ついおにぎり一個を盗んでしまう。本来なら、刑務所に入るような罪ではないですよ。にも拘らず、福祉や家族から見放された彼らは、要保護性が高いということで、いとも簡単に実刑判決を受け、刑務所に保護されてしまっているんです。こうした実態をまず理解していただきたい。そこで、なぜ罪を犯した障害者を支援しなくてはならないか、という質問にお答えします。彼らは、罪を犯したということで、もっとも排除の対象となりやすい人たちです。そうした人たちでも支援をするということ、それは、すべての障害者を支えるという行政側の姿勢を示すことにもなるのではないでしょうか。姿勢だけではありません。結果として、必ずや、障害者福祉全体の底上げに繋がると思います。
┈┈┈┈累犯障害者   あとがき

もちろん障害福祉従事者は読んでいるとは思いますが笑

というのも、今年、触法障がい者研修会に参加した時に強く実感したことがあり、司法と福祉には余りにも隔たりがあるということ、そして「福祉は無力化する」ということです。
弁護士の方や医療刑務所の方、他福祉従事者とのグループワークは意味のない悲惨なものでした。
そもそも弁護士は福祉になんか興味が無い。出口支援ってことにも勿論、興味が無い。今回の極めつけはファシリテーター役の弁護士の発言で、これには耳を疑いました。

「懲役3年、執行猶予5年、保護観察付き。この判決を受けて、私は負け裁判だと思いました。」

罪名は忘れましたが、知的障害者の犯罪ケースの報告で、、っていうか勝ち負けって弁護士のエゴですよね?あなたの個人的なプライドを混同させるのはどうなんでしょうか? 理解に苦しみますし、正直ショックでした。

私は、一概に保護観察が悪いとは思っていない人間です。保護司との相性などはあると思いますが優しい方はほんとに優しく(ボランティアで高齢が多い)月2回の面談が再犯のストッパーを兼ねていると思っています。

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入ります!

「累犯障害者(るいはんしょうがいしゃ)」とはつまり、軽微な犯罪を繰り返し、刑務所と実社会を行き来する知的障害者のことを意味します。

どうして犯罪を繰り返し、何度も刑務所などと言う場所に行っているのだろう?と思う人は多いはずです。一般的に見れば、刑務所は居心地の良い場所だとは考えられないでしょう。しかし、自ら望んで軽微な犯罪を繰り返し、刑務所に戻りたいと思う障害を持った犯罪者がいるのは事実です。

▼ この記事でわかること
・ 山本譲司とはどんな人物か
・ どうして累犯障害者は刑務所に戻りたいのか
・ 山本譲司の伝える「累犯障害者」とは
・ 今後の福祉のあり方とは

この記事では、「累計犯罪者—獄の中の不条理」山本譲司(やまもとじょうじ)の見た累計障害者の住む社会や、累計犯罪者にとって刑務所が居場所になってしまう理由、今後の福祉のあり方について詳しくお伝えします。

山本譲司とはどんな人物?累犯障害者との出会い

山本譲司は1962年に北海道に生まれ、佐賀県に育ちました。
早稲田大学教育学部を卒業し、菅直人代議士の公設秘書、都議会議員2期を経て、1996年には衆議院議員に当選しました。しかし、2期の当選を果たした2000年の9月に、政策秘書給与の流用事件を起こし、2001年の2月に実刑判決を受けます。
獄中で433日もの時間を過ごした元衆議院議員は、その生活を「獄窓記」として記しました。
「累犯障害者」では、刑務所で暮らす知的障害者たちとその背景について、生々しい現実の姿が赤裸々に綴られています。

✔受刑者の5人に1人が知的障害者
受刑者数2万5千人のうち、約4200人は知的障害を持っている人であることがわかっています。
そして、受刑者数の数は年々減っているのに対して、知的障害がある人たちの犯罪は減っていません。
彼らのほとんどが、窃盗や無賃乗車、無銭飲食をした結果実刑判決を下されています。
これは、裁判官が「障害者のため」に実刑判決をしているのかもしれません。
障害者たちは社会に戻ると、いじめられたり、ホームレス状態に戻ったりすることになります。刑務所はそのような障害者にとって、一時的な避難所となっているからこそ、実刑判決を下すのかもしれません。
しかし、そのような世の中のあり方は果たして正しいと言えるのでしょうか?

「知って、見ることの重要性」そこにあるのは知らない世界

山本譲司自身も、累犯障害者が「実社会にいるよりも刑務所の中にいた方が暮らしやすい」と言うのを実際に目撃しています。
山本譲司はこのように言います。

彼らは満期が近づくと、『シャバに戻るのが怖い』と自傷行為を始めたりするんです。
見かねた私が『社会は怖いと言うけど、社会には自由がありますよ』と励ますと、『刑務所に自由はないけど、不自由もない』と返されたことがあります。刑務所の工場で部品がなくなると、疑われた受刑者は人前で裸にされ、お尻の穴まで検査されます。法的に人権が制約されている場所だと言えますが、では、社会の中での彼らはどうだったんでしょうか。彼らは刑務所に入る前、路上生活をしていたことが多いんです。コンビニのゴミ箱を漁っていると、からかわれて裸にされ、お尻にライターで火を付けられるようなこともあったんだそうです。人権など全くないですね。ならば、ぎりぎりのところで、まだ刑務所のほうが自分の尊厳を守ってくれるという逆説が成立してしまうんです”

一般の人にとって刑務所は、人の自由を奪う場所です。しかし、実社会で不自由を体験してきた人たちにとっての刑務所は、帰って暮らし心地の良い場所なのです。

「累犯障害者」からわかる犯罪者となる障害者たちの背景

山本譲司の書いた「累犯障害者」は第6章に分けて、累犯障害者と呼ばれる人々の背景に迫ります。
放火犯から殺人事件まで、そのような事件を起こしてきた障害者たちの背景は様々です。そして、彼らが障害者として育つ背景を知っていることは、今後の社会のあり方を考えるためのヒントになると言えるはずです。
本で取り上げられている背景の例を2つ、詳しく紹介します。

「生きがいはセックス」売春する知的障害女性たち(第3章)

横浜市に住む、田中早苗さん33歳の話しです。
彼女は中度の知的障害を持っていて、10代前半から家出を繰り返していたと言います。
行きずりの男性とベッドを共にして、小遣いをもらい、16歳のときにはシンナーの売人と同棲をはじめました。
そしてその男がきっかけで、売春を始めます。
18歳の時には少年院に1年ほど入院し、成人後はキャバレーなどの水商売を始めたと言います。
23歳のときに客の子供を妊娠しましたが、客は忽然と姿を消しました。その息子は軽度の知的障害を抱え、今では養護学校に通っているのだとか。

田中早苗さんや障害を持つ人たちには、「異性」や「恋愛」に強い執着を持っている場合があります。
これは、彼らにとって人間としての最も基本的な存在意義なのだと山本譲司は考えます。
「人を本気で好きになっても、バカなのがバレてしまうから捨てられる」と田中早苗さんは言います。
自分のことを女としてみてくれる人はいなくても、ベッドの中では男性が優しくしてくれることを知っているからこそ、そこに「居場所」や「生きがい」を見つけいくのです。

彼女たちにとって、客の男たちとセックスをすることは「人間としての存在を自覚」するための方法であり、喜びを感じるための「生きがい」と言えるのです。そして、そこにしか居場所が見つけられなかったのでしょう。

ろうあ者暴力団-「仲間」を狙い撃ちする障害者たち(第5章)

ろうあ者と言う単語を聞きなれない人も多いかもしれません。ろうあ者(聾唖者)の意味内容としては多義的ではありますが、主に聾学校卒業者や日本手話使用者、聾社会に所属している人、つまり耳が聞こえない人や口がきけない人たちが自分のことを「ろうあ者(聾者)」と呼びます。
そして、そのようなろうあ者の持つコミュニティーを「デフ(耳が聞こえない人)・コミュニティー」と言います。
そのコミュニティー内では、ろうあ者がろうあ者を狙って行う詐欺事件が増えているのです。
とある聾学校の校長は、ろうあ者には健常者ほど知識を得る力がないのだと言います。そして、聾学校の仕事はそのような生徒たちをなるべく健常者に近づけることであると考えています。
そして、その問題点は知的障害者を教える学校の教育体制にあると、校長は続けました。
聾学校ではつく知識レベルは9歳程度であると言われることが多いです。
その理由は、例えば「1+1」を勉強するとき、答えが「2」であることが重要なのではなく、「いちたすいちは、に」を正しく発音することに力を入れるからだと言います。
発音が間違っていれば、口に手を突っ込まれます。
第4章では、ろうあ者である細江幸司(48)が同じく聾学校の同級生で不倫相手だった海野かよみ(48)を殺害した事件について語られています。
この細江被告は、母親の英才教育の甲斐あって聾学校では優等生となりました。
読唇術や口話法を習得していました。
それにも関わらず、聴者である細江被告の弟から見ると、とても大人気なくて常識のない兄であるように見えたと言います。
このように聾者たちをみている健常者からは、「常識がないのが目立つ」と言う声が上がっています。
しかし、そもそも常識とはなんなのでしょうか?常識とは、自分の属するコミュニティーの中で形成されるものです。
ろうあ者にとって、聴者が生きる社会の常識として作られるルールは理解しがたいものがあるのでしょう。
違う言語を操っているため、全く違う文化であると言っても過言ではありません。

<終章>行き着く先はどこに-福祉・刑務所・裁判所の問題

障害を持った受刑者には、身元の引き取りをする親族などがいない場合が多いです。
身元引き受け人がいる場合は仮釈放が認められるのですが、身元引き受け人がいない場合は仮釈放が認められません。
最近ではそのような行き場のない受刑者たちを、刑務所内で引き受け、専門家による生活訓練が行われています。
しかし、このように刑務所内の福祉をいくら充実したとしても、社会の福祉制度が充実しない限り、より多くの障害者が実刑判決を受け刑務所に送られてくる流れを止めることはできないのではないでしょうか。

刑務所は福祉施設か?今後の福祉のあり方 

重度の障害者に対する福祉が素晴らしいものとして評価される一方、累計犯罪者に対しての支援はじゅうぶんと言えるのでしょうか?
数十円ぶんを盗んで刑務所に入る知的障害者がいる実態を、福祉施設は社会に隠し、社会は見て見ぬふりをしているのが現実です。
こうして知的障害者による犯罪は減らず、刑務所は福祉の代替え施設として機能しているのです。これは、正しい社会の在り方だと言えるでしょうか?
福祉関係者は実際に、「犯罪を犯す知的障害者については書かないでほしい」と山本譲司に抗議したことがあると言います。
そして、刑務官は福祉施設で研修を受けることで知的障害者の対応方法を学び、刑務所に戻るような人もいると言います。
仕事熱心で素晴らしい姿のように見えますが、それは本当に「刑務所のあるべき姿」だと言えるのか疑問です。
社会や福祉が存在を無視し、彼らにとっての居場所はいつしか刑務所以外には無くなるのです。刑務所に入る知的障害者こそが、最大の被害者だと言えるのではないでしょうか。
どうしても犯罪を犯さなくては逃げる術がなかった障害者が結果的に犯罪者となり、社会はこのような累犯障害者を見て見ぬふりしてきたのです。
罪を犯した障害者が社会から排除されるのではなく、そのような障害者を支援する社会が必要なのではないでしょうか?
今後の日本は、人口が爆発的に増えることはないでしょう。だからこそ、「罪を犯した障害者を社会に受け入れる」ということが、この国にとってプラスになっていくのではないか、と山本譲司は発信をしているのです。

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