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シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(上)』(岩波文庫、2010年)を読んで。
「根をもつこと」、それは根を張ることであり、根を張るべく自らを掘り下げていくことでもあるだろう。ヴェイユの言葉に解釈は不要かもしれないが、『根をもつこと』を読むことで感じたことをいくつか記してみたい。
ヴェイユの著作は『自由と社会的抑圧』を除いてすべての著作が死後刊行である。死後刊行ともなればそこにヴェイユが意図したことではない配列やニュアンスが含まれるのではないかとよく指摘されるところである
大貫隆『ヨハネ福音書解釈の根本問題』(YOBEL, Inc.、2022年)を読んで。
研究者の多くは自らのことを語ろうとはしない。しかし、大きな仕事をした人は多かれ少なかれ自伝的なものを何か残している。本書の著者、大貫隆氏は新約聖書学を牽引し続けている碩学である。氏の業績は『福音書研究と文学社会学』に一つの頂点を見出すことができ、引き続くマルコ研究とヨハネ研究は今もなお新約聖書学において特異な位置を占めていることと思う。広くグノーシス研究者として知られているかもしれないが、本書の
もっとみるおすすめのブックカバーフィルムについて
本を読む人にとって、ブックカバーは千差万別で人それぞれに自分なりの定番を探すのも楽しみの一つかと思います。筆者は手に汗をかきやすいので、蒸れて本のカバーの内側に水分が行ってしまうことに抵抗があるので大抵は布製や防水紙のカバーを使用しています。ですが、本の表紙を隠したくない、見える状態が良いという気持ちになるような本もあるのではないのだろうか。例えば、岩波新書とか。あるいは変形サイズで文庫や新書の
もっとみる田中美知太郎『人間であること』(文春学藝ライブラリー、2018年)を読んで。
『人間であること』。この書名は「人間ということ」でも「人間とは何か」でもなく、やはり「人間であること」でなければならないのだと改めて思う。本質探求を旨とする科学万能の観を呈する現代世界において、本書が問いかける問題は全く古びていない。それは本書が「人間であること」の問いに貫かれているからである。本書は人間であることの探求の書であることは当然である。しかし、人間をある一つの枠組みの中に同定すること
もっとみるケネス・バーディング「歌って学べる新約聖書ギリシア語」について
ギリシア語学習者にとってまず超えるべきハードルは文字に慣れることであろう。そして格変化を覚えていくこと。その最も難しい部分を軽快なリズムに乗せて歌ってくれる新約聖書ギリシア語文法入門がある。
著者ケネス・バーディングが新約聖書ギリシア語の文法を大学生に教える時に工夫して作られたのが本作である。アルファベットの歌、定冠詞の歌、主要動詞の歌、分詞の歌、エイミ動詞の歌などなど、古典ギリシア語学習者
山田邦男『フランクルとの〈対話〉』(春秋社、2013年)を読んで。
本書『フランクルとの対話』は東日本大震災をきっかけに広く読まれるようになったフランクルの思想に焦点を当てた本である。その原型はNHKの「こころの時代」の番組で放映された内容なのだが、本文にも書かれているようにその時の問いかけを深める形で記されたものである。フランクルの著作では『夜と霧』が有名であり、池田香代子訳によって多くの人が手に取るようになり、評者も最初に通読したフランクルは池田訳の『新版
もっとみるインターリニアー聖書について
聖書学習者にとってギリシア語もヘブライ語も慣れるのにはハードルが高い。新約聖書も旧約聖書も紙のインターリニアー聖書がかつてあり(現在は品切れ)、十数年ほど前まではこれを手元に置いて読み比べていくのが定石であった。今も説教などの準備に原語を確かめるために用いている方もいると想像されるが、現在は便利なことにインターリニアー聖書アプリというものがあるので、その使い方について少し具体的に踏み込んで紹介し
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