クラウス・リーゼンフーバー/村井則夫編訳『中世哲学の射程』(平凡社ライブラリー、2023年)を読んで。

 本書はリーゼンフーバー氏の待望の一巻選集である。著者であるクラウス・リーゼンフーバー氏は日本における西洋中世哲学研究を牽引し続けた碩学である。その氏の仕事は『中世における自由と超越』『中世哲学の源流』『中世における理性と霊性』『近代哲学の根本問題』など数多くの大著にまとめられており、どれもA5版ないし菊版にして700頁を超える大作である。氏の研究の道程で発表された論考をまとめたそれらの大著は、体系的な構成によって書き記されたのとは違った知の結晶を思わせる著作群である。一見周縁的な主題に思われる論考でさえ、著者の論考を読み進める読者はその認識を改めなければならないと思わされる、そういった知的喜びを抱かせる論考に満ちている。そして本書はそのことをありありと感じさせてくれる一巻選集なのである。
 本書は『中世哲学の源流』と『中世における理性と霊性』という到底持ち運んで読むには困難な大著から重要論文を抜粋したものである。最初のページから最後のページまで氏への愛を感じさせる本書は、主題の緊密な構成のもとに配された論文を通して中世哲学の礎石を明らかにするものである。中でも「サン=ヴィクトルのフーゴーにおける学問体系」はそのためにだけ原本の『中世哲学の源流』を手に入れたいと思っていたものである。それだけでなく、理性的存在者としての人間の姿を見定める人格論、中世におけるボエティウスの『音楽教程』の重要性を明らかにする「ボエティウスの伝統」、能動知性をめぐる数々の論争を具体的な諸相において明らかにする知性論、ディオニュシオスの神名論を核に展開される否定神学論、強烈な印象を残す新プラトン主義者としてのフィチーノをめぐる論考。どの論文も文字通り解説を要しない、中世哲学研究の礎石となる論文である。
 収録された論文もさながら、長年に亘って翻訳を通して著者に伴走した編者による解説は本書を特異なものにしている。膨大な著者の仕事の全体図を提示しつつ、本書には採録されなかった『近代哲学の根本問題』や『中世における自由と超越』に含まれる論文との関わりを含め、著者の関心が中世哲学を自体的な完結した研究としてではなく、近代や現代の思想との繋がりにおいてそれらの源流に位置付けていたことを明らかにしている。一つひとつの論文がどのように翻訳されて世に出ていったかを書き記した、余人には書き得ない編者による解説は、著者であるリーゼンフーバー氏の仕事の全貌を明らかにし、読者を中世哲学研究の沃野へといざなうものである。

 本書を読み進めていて気が付かされることは、フィチーノ論を除いた数々の論考で言及される中世哲学の一次資料が『中世思想原典集成』によってその大半が翻訳されていることである。著者がそれぞれの論文を発表していた時には訳されていないことからして、著者の仕事そのものがいかに膨大な文献の中から最重要箇所を精選して紹介していたのかが窺える。そういった今私たちが当たり前に目にする文献が日本語で世に出るために、著者が並々ならぬ熱意をもって関わっていたことをも垣間見させてくれる選集といえよう。そしてフィチーノ論もまた、フィチーノのテクストの位置づけの再考を促すものである。加えて、リーゼンフーバー氏の司牧的な著作が自費出版を通して刊行されていることは意外であった。『内なる生命』と『われらの父よ』は是非とも再版が望まれる。

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