のぶたか

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おすすめの調べものツールについて

 前回に引き続き、勉強していく上で参考になるサイトや役立ちそうなツールを紹介していきたいと思います。  何か気になる人や思想が見つかった時にまず確かめるのがお勧めなのはコトバンクに収録されているニッポニカです。コトバンクにはブリタニカ国際大百科事典と世界大百科事典も収録されているので、併せて読むことをお勧めします。ニッポニカの特徴は押さえておくべき事実を中心に第一線で活躍する研究者が自らの名前でそれぞれの項目を執筆していることです。大きな項目であれば簡単な参考文献も付されて

    • おすすめのポッドキャストについて

      今回のノートでは大学生のころに早く知りたかったあれこれを紹介してみたいと思います。論文を調べたりする時のツールやポッドキャストについて書き始めたのですが、書き始めたらそれなりの分量になったので今回はポッドキャストのみを紹介したいと思います。記事の中ではオリジナルのサイトを掲載していますが、以下に紹介するポッドキャストはiTunesやSpotifyなどの音楽配信サービスで探すことが出来るので、気になった方はご自分が使っているポータルから探してみてください。Spotifyのアプリ

      • ヴィクトール・フランクル/赤坂桃子訳『精神療法における意味の問題』(北大路書房、2016年)を読んで。

         本書はフランクル存命中に刊行された一巻選集である。フランクルの著作は膨大なものであり、ドイツ語でも英語でもその著作の全体を把握するのは容易ではない。フランクルの重要な著作でさえ、オリジナルの言語では手に入れにくい状態が見受けられる。私たちはともすれば当たり前に受け止めてしまうかも知れないが、日本で二つの出版社から著作集が組まれて容易に手にできるということ自体が特別なことと言えよう。本書のまえがきにおけるフランクルのホーボーゲン番号が必要かもしれないという指摘は誇張ではないの

        • 田中美知太郎『戦争と平和』(中公文庫、2024年)を読んで。

           私たちは戦争の時代を生きているのかもしれない。いま私たちの生活が直接に脅かされるという現実を目の当たりにしていなくとも、いつこの生活がなくなるとも知れないことを、各地で起こっている戦争の出来事を通してふと思わされるのである。田中美知太郎のエッセイ集『戦争と平和』を読んでいてその感をますます強くした。この本は昭和の保守の論客として知られていた田中美知太郎の姿を垣間見させてくれる一冊である。田中美知太郎の文章はエッセイであれ、講演であれ、古典研究であれ、読者をはっとさせる哲学的

        おすすめの調べものツールについて

          クラウス・リーゼンフーバー/村井則夫編訳『中世哲学の射程』(平凡社ライブラリー、2023年)を読んで。

           本書はリーゼンフーバー氏の待望の一巻選集である。著者であるクラウス・リーゼンフーバー氏は日本における西洋中世哲学研究を牽引し続けた碩学である。その氏の仕事は『中世における自由と超越』『中世哲学の源流』『中世における理性と霊性』『近代哲学の根本問題』など数多くの大著にまとめられており、どれもA5版ないし菊版にして700頁を超える大作である。氏の研究の道程で発表された論考をまとめたそれらの大著は、体系的な構成によって書き記されたのとは違った知の結晶を思わせる著作群である。一見周

          クラウス・リーゼンフーバー/村井則夫編訳『中世哲学の射程』(平凡社ライブラリー、2023年)を読んで。

          山本芳久『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版、2021年)を読んで。

           本書はキリスト教に興味を持った人に真っ先に薦めたいキリスト教入門である。「学びのきほん」シリーズの一冊である本書は、帯に二時間で読めると書かれている通り、短い紙幅にエッセンスをギュッと凝縮したキリスト教入門である。とはいえ必要な部分だけを解説するというスタイルではなく、アブラハムの宗教と言われるユダヤ教とキリスト教とイスラム教の関わりから説き起こし、何が共通していて何が違うのか、そして聖書には具体的に何が書かれているのかという全体像を示しつつ、そこからキリスト教のエッセンス

          山本芳久『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版、2021年)を読んで。

          バッグインバッグについて。

           カバンの中で本と革の財布が擦れて財布の色が本の小口に移ったりしたことはないだろうか。カバンの中にちゃんと本の居場所を確保するのはなかなか至難の業であった。「であった」と過去形であるのは、ようやく解決策を見つけたからである。それが今回紹介するバッグインバッグである。  まずは失敗談から。ネット広告や宣伝記事などで無印良品のバッグインバッグをまず使ってみたのだが、A5サイズのメッシュタイプのもので、確かに自立はするのだが、自分の使っている二つ折りの財布を横倒しに入れようとするに

          バッグインバッグについて。

          三嶋輝夫『汝自身を知れ 古代ギリシアの知恵と人間理解』(NHKライブラリー、2005年)を読んで。

           古代ギリシアは人を魅了して止まない。しかしその秘密はどこにあるのだろうか。その汲めども尽きぬ知恵の所在を明かしてくれる一冊の本、それが本書『汝自身を知れ』である。哲学はソクラテスの死に始まる。そのソクラテスを知恵の探求へと導いた、あまりにも有名なデルフォイの神託。あるいはギリシア神話におけるオイディプスやメデイアの物語。ギリシア哲学やギリシア神話、ギリシア悲劇と古代ギリシアには豊かな文化的遺産がある。多くの概説書ではあらすじが語られ、その愉しみ自体は読者自身がさまざまな形で

          三嶋輝夫『汝自身を知れ 古代ギリシアの知恵と人間理解』(NHKライブラリー、2005年)を読んで。

          プラトン/三嶋輝夫・田中亨英訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社学術文庫、1998年)を読んで。

           プラトンの著作で最も有名なのはやはり『ソクラテスの弁明』であろう。哲学することの喜びを焚き付けてくれる田中美知太郎訳をはじめとして、今では全く初めての人におすすめしたい充実した解説の付いた納富信留訳もある。しかしプラトン自身の哲学の原点を明らかにし、哲学のことを最も切実に命を賭すべきものとしてソクラテスに語らせているのは『クリトン』であると思う。というのも、裁判という形式ではなくクリトンという一人の人に向かって語られており、あるいはそこではソクラテスの死をプラトンがどう受け

          プラトン/三嶋輝夫・田中亨英訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社学術文庫、1998年)を読んで。

          國方栄二『哲人たちの人生談義』(岩波新書、2022年)を読んで。

           現代は多様性の時代である。SNSや実際に人々の交流を通して国境があいまいになり、地球の裏側まで瞬時にニュースが飛び交う時代である。まさに身近なことが地球規模に影響を及ぼす、あるいは地球規模のことが身近にある、グローバルな時代なのである。しかしそれだけではなく、安定していた豊かな閉じられた世界では感じられることのなかった様々なことが露わとなり、国を超えなくともごく身近な範囲で分かりあうことの難しさを痛感するという意味でも、日々多様性を感じさせられるのではないだろうか。  スト

          國方栄二『哲人たちの人生談義』(岩波新書、2022年)を読んで。

          田中美知太郎『読書と思索』(レグルス文庫、1972年)を読んで。

           短い文章でも深く心が揺さぶられる書き手というのがいる。私にとって田中美知太郎はそのような書き手である。プラトンの翻訳を始めとして田中美知太郎の仕事の大きさは計り知れず、それを享受すると言うにはあまりに程遠い。しかしそれでもなお、現在手にし得る幾つかの仕事を通して知られるその仕事の数々は、一つの世代そのものをも築き上げるような仕事であったことがうかがえる。プラトンに関する仕事だけではなく、アリストテレスとギリシア文化についての仕事は今読んでも全く古びておらず、むしろ改めて読み

          田中美知太郎『読書と思索』(レグルス文庫、1972年)を読んで。

          ブックカバーについて

           本を読む人にとってカバー選びは悩みの種の一つかもしれない。書店の文房具コーナーや民芸店などで素敵なカバーを見つけてひとめぼれをしてしまうということは多々ある。しかしどんなカバーといえども本の寸法ぴったりとはいかないことが多いのではないだろうか。一つひとつの本に対しておあつらえのフィルムカバーを付けてジャケットを見せるのも手ではあるが、やはり目隠しの意味でもカバーをかけたいと思うときもあるであろう。そんな人にお勧めしたいのがアーティミスのブックカバーである。  このカバーは不

          ブックカバーについて

          ジョルジュ・パスカル/橋田和道訳『アランの哲学』(吉夏社、2012年)を読んで。

           アランは要約を受けつけない哲学者である。それはアランの文章の一つひとつが読者の心を揺さぶり、行動を促すことを企図していることの表れでもあるのだろう。『幸福論』の読者は含蓄に富んだ奥行きのある叙述をさらに理解したいと思ったことがあるのではないだろうか。そういったアランの人間理解の深さを覗わせてくれる論考、それが本書ジョルジュ・パスカルの『アランの哲学』なのである。  アランのプラトン、デカルト、カントに対する敬意はよく知られているところである。しかしその思想の奥行きを確かめる

          ジョルジュ・パスカル/橋田和道訳『アランの哲学』(吉夏社、2012年)を読んで。

          エピクテトス/アンソニー・ロング編/天瀬いちか訳『自由を手に入れる方法』(文響社、2021年)を読んで。

           哲学は小難しい。そう思う人は多いのかもしれない。例えばプラトンやアリストテレスやカントの倫理思想を紐解く人々は、書いてあることはそれなりに理解できたとしても、よくわからないという実感をもつこともあるかもしれない。そういった人々に薦めたい哲学者がいる。それはエピクテトスである。いっときマルクス・アウレリウスが注目され、その著である『自省録』を読んだことがある人もいるかもしれない。そのマルクス・アウレリウスの思想の基盤にあるストア派の考えの基礎を築いたのがエピクテトスなのである

          エピクテトス/アンソニー・ロング編/天瀬いちか訳『自由を手に入れる方法』(文響社、2021年)を読んで。

          イマヌエル・カント/大橋容一郎訳『道徳形而上学の基礎づけ』(岩波文庫、2024年)を読んで。

           本書は熟読を勧めたい最初に読むべきカントの著作である。カントといえば三批判、特に翻訳も多い『純粋理性批判』に手を伸ばす人も多いであろう。しかしどの翻訳が良いのかは読者の置かれた状況に応じて変わってくる。その良し悪しを見極めるにはカントその人の文章に慣れる必要がある。三批判に取り組む前に読むものとしてぜひとも勧めたいのが本書なのである。  カントは感性界(現象界)と叡智界(知性界)とを峻別した。わたしたちがどのような世界(感性界)に生きていて、どのようにその世界を捉えるべきか

          イマヌエル・カント/大橋容一郎訳『道徳形而上学の基礎づけ』(岩波文庫、2024年)を読んで。

          シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(下)』(岩波文庫、2010年)を読んで。

           ヴェイユの文章は、ニーチェの言葉を借りれば、血で書かれている。そのことを『根をもつこと』を読み進めていると強く実感する。  『根をもつこと』は十全な仕方で発表されたものではないため、ヴェイユ自身による細かな学術的注が付けられていない。とはいえ、それを発表するために彼女に準備する時間が残されていたとしても、彼女がそれをしたかどうかはわからないであろう。というのも残された原稿がすでに自らの命を削るようにして書かれていることを感じさせるものだからである。  ヴェイユの文章には多数

          シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(下)』(岩波文庫、2010年)を読んで。