プラトン/三嶋輝夫・田中亨英訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社学術文庫、1998年)を読んで。

 プラトンの著作で最も有名なのはやはり『ソクラテスの弁明』であろう。哲学することの喜びを焚き付けてくれる田中美知太郎訳をはじめとして、今では全く初めての人におすすめしたい充実した解説の付いた納富信留訳もある。しかしプラトン自身の哲学の原点を明らかにし、哲学のことを最も切実に命を賭すべきものとしてソクラテスに語らせているのは『クリトン』であると思う。というのも、裁判という形式ではなくクリトンという一人の人に向かって語られており、あるいはそこではソクラテスの死をプラトンがどう受けとめたのかさえ想像させてくれるものだからである。
 『ソクラテスの弁明』があまりにも有名なため、『クリトン』は裕福な登場人物との対話を記した挿話的な作品であると思う人もいるかも知れない。ともすればそこに従容と死を受け容れる高潔の士ソクラテスと無理解なクリトンの姿を見出してしまうこともあろう。しかし、ギリシア語の原文に対峙してクリトンの切実な言葉にふれると、そうではないことが伝わってくる。クリトンの口を通して語られる言葉はむしろ、プラトン自身が切に願っていたことをも語らせているのではないかと思われる節さえあるのである。誠実なクリトンの切実な訴えに対して、時に冗談を交えながら答えるソクラテスの姿がそこにあるのである。
 クリトンにはいくつかの翻訳がある。いま手元には田中美知太郎訳、山本光雄訳、田中亨英(三嶋輝夫)訳、朴一功訳がある。中でも原文を読む際に常に参照しているのは山本光雄訳である。というのも山本光雄訳はまさに逐語訳と言うべきもので、原文との対照が容易だからである。このことは朴一功訳も同様である。しかし常に訳文を参照していても、直訳ではいまいち文意のはっきりしない箇所というのが必ずある。そんなときに参照するのが三嶋輝夫・田中亨英訳である。
 三島・田中訳は、逐語訳ではなく、読めば結果として原文の正確な理解が得られる翻訳を目指したと書かれているように、既訳よりも踏み込んだ箇所がある。しかしそれは原文と離れてそうしているではなく、原文の正確な意味を考えたときに導き出される訳なのである。原文の入り組んだ構造から、その骨組みを取り出し、肉付けしていく様は圧巻である。純粋に日本語の作品として読んでもハッとするところの多い、翻訳上の課題を考えさせてくれる翻訳である。
 ギリシア語原文の正確な理解を謳っているごとく、田中亨英訳の『クリトン』はクリトンの切実な訴えを受けて、ソクラテスがその言葉の意味を一つ一つ取り押さえて議論を積み重ねていく様子がいきいきと伝わってくる。どうして死のうとするのかというクリトンの切実な訴えと、時に冗談を交えながら答えるソクラテス。この二人のやり取りは、よく生きること、そして「国法」の語りへと及ぶ。ソクラテスの国法との対話に読者は内なる良心の呼び声を聞くことになろう。本書はプラトン対話篇がなぜ対話でなければならないかを切々と感じさせてくれる、クリトンを読むすべての読者に勧めたい一冊である。

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