田中美知太郎『読書と思索』(レグルス文庫、1972年)を読んで。

 短い文章でも深く心が揺さぶられる書き手というのがいる。私にとって田中美知太郎はそのような書き手である。プラトンの翻訳を始めとして田中美知太郎の仕事の大きさは計り知れず、それを享受すると言うにはあまりに程遠い。しかしそれでもなお、現在手にし得る幾つかの仕事を通して知られるその仕事の数々は、一つの世代そのものをも築き上げるような仕事であったことがうかがえる。プラトンに関する仕事だけではなく、アリストテレスとギリシア文化についての仕事は今読んでも全く古びておらず、むしろ改めて読み返されるべき洞察に満ちている。
 田中美知太郎の主著はおそらく『ロゴスとイデア』であろう。『ロゴスとイデア』で積み重ねられていく省察はギリシア文化を根本まで問い詰めることを通して私たちの文化を振り返させるものである。またその大著『プラトン』は容易に汲み尽くすことのできないプラトンの思想に正面から向き合い、読者にその全体像を提示する密度の濃い論考である。それらの重厚な研究の間に連なる論評の数々は私たちの生を根本から問い直し、思いもよらぬ奥行きを伴って幾度となく読者である私たちをアポリア(行き止まり)へと導くものである。
 本書は重厚な研究群と時事的な論評群の間で著者が自らの生を語る文章をまとめた稀有な一冊である。世界の名著のプラトンやアリストテレスの解説において垣間見せる著者の人間性の奥にどのような経験が控えているのかを知らせてくれる本書は、読み手の人生をも問いかける力に満ちている。著者の文章では、数々の目を引く洞察が時局的な論考の中にちりばめられており、重厚な研究においては対象への粘り強い追求の果てに見いだされる哲学的洞察が特徴的である。本書に収められた文章は著者が自らの人生を語る中で、そういった時局的な話題とも文献学的研究とも離れて、哲学的主題へとまっすぐ突き進んでいくことに特徴がある。本書を手にする読者は田中美知太郎自身の人間性を垣間見させる生き生きとした文章群の中に、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を思わせる自己論を見出すであろう。他の論考にはない直截的な仕方で主題へと突き進んでいく論考は哲学者の本性(ほんせい)を垣間見させてくれるのである。
 目次からも明らかなように本書は第一部の自己論、第二部の読書論、第三部の教養論に分かたれる。田中美知太郎の読者であれば、自己論に引き続く読書論は興味をそそるに違いない。そしてまた第三部の教養論における著者の論は、いま私たちが直面する性差の問題を予見するかのように根本的な視座を提供してさえいる。本書はさまざまな文章が集められたものでありながらも哲学的洞察、その人、学問観を垣間見させてくれる最良の田中美知太郎入門なのではないだろうか。

 本書は書店で手にしたこともなく、図書館でもお目にかかることができなかった。アマゾンのオンデマンドで刊行されていたものを手に入れたのだが、非常にきれいな製本で送られてきた。オンデマンド出版のためか単行本ほどの値段の新書ではあるものの、田中美知太郎の読者であればぜひ手元に置いておきたい一冊であるに違いない、おすすめな本である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?