matsumura31
記事一覧
ありのまま見る冥想20230222
ありのままに見る
2023年2月8日から書き始める
■ヴィパーサナ瞑想
wikipediaでは、ヴィパーサナ瞑想の項目で、「ヴィパッサナー瞑想(ヴィパッサナーめいそう、巴: vipassanā-bhāvanā)は、ナーマ(こころのはたらき、漢訳: 名〔みょう〕)とルーパ(物質、漢訳: 色〔しき〕)を観察することによって、仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想(バーヴァナー)で
四元素を整理する20230207
四元素を整理する
2023年1月24日から書き始める
■土の元素が優勢になっている習慣
最近、タロットカードの小アルカナカードの教材をぼちぼちと作っている。大アルカナカードと、小アルカナカードは、作ったチームが違うらしく、実際かなり違う思想で作っているのではないかと思う。大アルカナは、アーキタイプを示しているとすると、小アルカナは、四元素をあらわし、ウエイト版はともかく、たいていは数札とい
5つの生命の樹とラーの目20230123
5つの生命の樹とラーの目
これは、5つの生命の樹とパスワーク(4)にあたるものだが、内容としては、パスワークがあまり入っていないので、タイトルを少し変えた。
2023年1月13日から書き始める
■フーバーメソッド
youtubeで、しばらくアセンダント、ノード、月の関係などについて話していた。多くの人がこのあたりが曖昧な理解しかしていないと思う。R・Sさんがノードをアセンダントにするフー
5つの生命の樹とパスワーク(3)20230112
5つの生命の樹とパスワーク(3)
2022年12月30日から書き始める。
■生まれる前から学習は始まっている
前回、生命の樹の中のひとつの円に、ユクステワ式の上向きの12サインをあてはめた。そこで、わたしの夢で、子供に15万円を二回渡すというのがあり、これは15が15悪魔のカードのイメージを思い出させ、また12サインで考えると、子供は5ハウス(しし座)に対応する。子供の自我を新しいおひつじ
5つの生命の樹とパスワーク(2)20221229
5つの生命の樹とパスワーク(2)
2022年12月18日から書き始める。
■おうし座、2ハウスは、掘り下げること
数日前に、寝ようとして半眠の時に、右手がかけ布団から外に出ていた。それについて「11ハウスの太陽はこれだ」という説明が聞こえた。その後二日後くらいに来たメールの中の、「さらに、私は2ハウスに月があり、2ハウスの惑星の象徴を書き換えるという話は、上記のことすべてに通じている話でも
5つの生命の樹とパスワーク(1)20221217
5つの生命の樹とパスワーク(1)
2022年12月9日から書きはじめる。
■ふたりの天使
瞑想と夢見は、(26)まで進み、長く書きすぎたので、本書のタイトルを5つの生命の樹とパスワークに変えた。フラワー・オブ・ライフの中で、ひとりの人間が成立するのに、最低限必要なのは5つの生命の樹だ。実際には7つ、あるいはもしかしたら12かもしれないが、そうなると複雑になりすぎるので、最低限の5つの生命の
瞑想と夢見(26)20221208
瞑想と夢見(26)
2022年11月29日から書きはじめる。
ムーの年始特集
年始の雑誌「ムー」に、大予言特集というのがあり、(2月号で、1月9日発売らしい。)毎年、執筆依頼が来る。ほかに誰が書いているのか知らない。というのも、送られてきたムーを一度も読んだことがないからだ。(封筒を開けてない。)
占星術とスクライイング(水晶、水盤、鏡)を併用して、予言をしている人で有名なのはノストラダ
瞑想と夢見(25)20221128
瞑想と夢見(25)
2022年11月19日から書き始める
複数の生命の樹
昨日youtubeで、Cの生命の樹では、右の柱と左の柱の惑星が、独立性(自我)を持つことができないと説明した。円の中心点が自我であり、円周は、その記憶とか、また質量性、対象性をあらわす。右の柱と左の柱の惑星に、この中心点としての自我があると想定すると、その円周があり、円周はCの生命の樹には収まらず、右の柱にはBの樹、
瞑想と夢見(23)20221108
瞑想と夢見(23)
2022年10月31日から書き始める
三脚つきの高級カメラ
今日の夢は、昔住んでいた家に行った。そこには数人が住んでいた。自分が使っていた部屋に行くと、そこに少し自分の荷物が置いてあり、中に、高級なカメラが二台か、三台三脚につけられたまま、立てられていた。数年前、ライカのカメラを使っていた時期があり、だいたい気に入る画像というと、ライカのレンズで撮影したものだ。透明なの
冥想と夢見(21)20221020
冥想と夢見(21)
2022年10月12日から書き始める。
命を奪う主婦
今日の夢は、普通の主婦の中にも、生命を吸い取る存在が潜んでいるというものだった。生命を吸い取るという言い方ではなく、その部分が言葉になっていないので、適当にみつくろう必要があり、たとえば最近テレビのニュースで見た、毒キノコであるドクツルタケが「死の天使」と言われているので、普通の主婦の中にも死の天使が潜んでいるという言