瞑想と夢見(25)20221128

瞑想と夢見(25)

2022年11月19日から書き始める

複数の生命の樹

 昨日youtubeで、Cの生命の樹では、右の柱と左の柱の惑星が、独立性(自我)を持つことができないと説明した。円の中心点が自我であり、円周は、その記憶とか、また質量性、対象性をあらわす。右の柱と左の柱の惑星に、この中心点としての自我があると想定すると、その円周があり、円周はCの生命の樹には収まらず、右の柱にはBの樹、左の柱にはDの樹が必要だ。
 わたしが40年以上前から占星術を説明するときには、この生命の樹を意識しているので、たとえば、金星に関しては、どんなにハードなアスペクトでも構わないし、金星からすると、それは華であって、たとえば思い切り暗い華でも、それは趣きのあるものだと説明していた。これは金星を、いわば「お飾り」とみなしていることでもあり、生命の樹の中心的な立場にはない。中央の柱には、おもに月と太陽があり、ここにハードな要素があると、人生そのものがハードになるのだと説明していた。しかしこうした縁にある装飾と、中心の要素という対比は、ひとつの生命の樹の中で言えるのであり、フラワー・オブ・ライフとして、右や左に生命の樹が並んでいたりすると、視座の複数性が出てくるので、時には金星が中心にあり、太陽はお飾りであるという見方もできる。
 ハタヨガのクンダリニの説明では、クンダリニはスシュムナという中央の柱を上昇するものであり、ピンガラ、イダという右と左の柱を上がると、それは「邪道」であるという解釈も、ひとつの生命の樹、あるいは縦に一本の樹のように伸びたチャクラという考えから来ており、わたしがクンダリニはおもに左の柱のものではないかと書いたのは、フラワー・オブ・ライフの複数の樹のことを意識したものとも言える。視座の移動は、自我の移動でもあり、Bの樹や、Dの樹を入れると、中心の生命の樹でも、すべての惑星(セフィロト)を自我の中心にすることができる。

解離性障害

 複数自我ということを考えると、すぐに思いつくのは、解離性障害のことだ。昔は、これを多重人格と呼んでおり、フラワー・オブ・ライフは、たくさんの自我があるので、多重自我と考えることができる。しかもわたしは横に並ぶ7つの樹をスイッチを切り替えて、いつも使うのはひとつだけという考えでなく、少なくとも、Cの樹とDの樹は同時にオンにしておくなどと説明している。多四体は、4次元の4つの要素を同時にアクティベートしている。
 wikipediaでは、解離性障害の項目に、「解離性健忘では、一般的な出来事や社会常識などの記憶は保たれているにもかかわらず、自伝的な(個人的な)記憶が欠落する病。離人症性障害は自分を外から見ているような離人感や現実感消失感があり、それが持続的あるいは反復的に現わるために社会的・職業的に支障を来す病である。解離性同一性障害では一人の人間の中に複数の人格(パーソナリティ)が存在するような状態が見出される病[2]。これらの症状は他の精神障害や身体疾患でも見られるため、鑑別は必要とされる。解離性障害の人は、防衛機制の解離を無意識的に使用しているとされる。」と書かれているが、生命の樹のセフィロト(惑星)を、月や太陽を中心にして、それ以外の惑星をすべて月や太陽に従属している周縁的なものとみなすと、統合する人格はひとつとなり、まとまりのある言動をすることができる。小説でも、主人公や登場人物は、継続するひとつのキャラクターを持っている。
 しかし、フラワー・オブ・ライフに従って、いったんすべてのセフィロト、またほかの樹に、自我を持たせてしまい、しかも立場としては、ほかの惑星と太陽や月は公平な位置にあると考えると、この解離性障害に近いものになるのかというと、似たものにはならない。
 メディカルノートというサイトでは、解離性障害についての原因は、「ひとつの原因として、何かしらの心的外傷に曝されることがあります。たとえば、幼少期に身体的虐待や性的虐待を受けていた、愛情をしっかりと受けていなかった、などが原因になることがあります。そのほか、戦争や災害などにおいて突然大きな恐怖を受けることも、解離性障害を発症するひとつの原因になります。 」と説明されている。
 エドガー・ケイシーは、戦争で負傷して、痛みから逃れるために、身体から幽体を切り離すことを試みた前世があり、これがケイシーの横になって、変成意識に入る能力を持った原因だと説明している。わたしは前世を、過去の人生と考えず、フラワー・オブ・ライフのように、並行した樹だと考えるので、自我を身体から、もう少し上の、あるいは横の円に移動させる能力は、ケイシーが自力で開発したものだと考えるし、これが逆に、戦争で負傷した時、痛みから逃れるために、解離性障害に似た行為をしたというひとつの応用例を発揮したとみなす。この場合、痛みを感じないためには、痛みを感じる部分の自我の円から、完全に退去しなくてはならない。前の自我といったんつながりを切り離すのは、フルトランスと言われるもので、ケイシーは自分がトランス状態になってセッションした後、目覚めても、自分が何を言ったのかは記憶していない。
 解離性障害は、嫌なものを見たくないということで、身体の中のどこかに、逃げ込むことだと考えると、この場合、人間の居住可能地域が少なくなる。フラワー・オブ・ライフの場合には、Cの樹の中でも、自我のありかが増加して、さらにBの樹やDの樹が増えていくので、人間の居場所が増える。
 自我の拠点が増加した場合、ヴェシカパイシスによって、異なる円に移動した時、記憶の受け継ぎ、翻訳が行われるので、これは体内の重要な各所を血液が移動することに似て、一気に記憶が失われることはないが、しかし記憶の変容は生じる。
 この記憶の受け継ぎについては、たとえとして言えば、水星がお腹が空いている時、水星は自分がお腹が空いていると言う。太陽に自我が移動した時には、「水星はお腹が空いているようだ」というふうに視座が違ってくるということだ。
 以前テレビで見ていて、解離性同一性障害では、Aという人格が食べても、Bという人格に移ると、Bは何も食べていないというので、これだとヴェシカパイシスのよる記憶の伝達というものがないのだ。解離性障害が、回避行動だとすると、追っ手を避けたいので、ヴェシカパイシスの橋を絶ちたいのだと思う。誰でも毎日睡眠をしており、この時には肉体と一体化した日常自我から、アストラル体やメンタル体にフルトランスで移動しているので、複数の人格の切り替えというのは、誰もが親しんでいるものだ。ヴェシカパイシスの橋がうまく働いていない場合には、夢は目覚めた後には覚えていない。

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