大学生時代を遥かに超越する知的な時間が流れ出した 年金生活 同期に昔から〇〇は3σ(シグマ)の外だったと言われた日 その2 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
天気もよく、温かな日…く
3ヶ月前から日程が確定していた同期との会食。別荘から音楽を聴きながら丘陵の尾根伝いに隣駅まで散策、各駅電車の車窓からの眺めを堪能し終点に。
今回はその続きです。
近郊を含めて再開発の進むターミナル駅で、後続の地下鉄直通列車に乗り換えました。ここから歩こうかと思ったのですが東京駅まで100分少しということで、18時の集合時刻には厳しいタイミングなので断念したのです。まぁ各駅電車の車窓からの景色を堪能したから良いか…
直ぐに地下に入るので運転席後ろの窓は車内の光が漏れるためブラインドが降ろされました。平日の夕方…コロナ禍からの回復が進むことを感じる混雑ぶりでした。
どこで降りるか…
気まぐれに…
敢えて現役時代にできなかった状況に自分を置いて楽しみました。結局戯れに…、部門ごと移ったIT企業の本社が有って、通勤に使った駅まで地下鉄で行くことにしました。背広を着ていない、平日の夕方というのも新鮮な感じでした。
駅自体は当時のまま、変わっていませんでした。懐かしい。エスカレータと階段を乗り継いで表のロータリーに。目に飛び込んだのはこの前COSTCOでレトルトを買ったカレーのお店。
景色が変わってる…
そして銀座に…
とても興味深い歴史のある通称KK線沿いに東京駅に向かいます。その歴史とは…
1951年(昭和26年)、財界人23人が、戦後の銀座の復興と飽和点に達した自動車交通量の緩和を目的として東京高速道路株式会社を設立。銀座を囲む外堀、汐留川、京橋川を埋め立て、高架の自動車道路を建設し、その建設費と運営費をビル賃貸収益で回収するという現代のPFIにも通じる画期的な運営の仕組みを導入した。部分開通は1959年であり、首都高速道路より長い歴史を持つ。全線開通は1966年である。
出典
ここも再整備が…
「銀座コリドー街」、「西銀座デパート」(NISHIGINZA)、「銀座ナイン」も含め銀座もコロナ禍で店が入れ替わっているものの、海外からのお客様も戻ってきていて賑わっていました。
接待で色々使ったなぁ…。駅前の鮨屋から接待を伴う店に閉店まで居て、馴染の個人タクシーさんが戻ってくるまで時間つぶしに使った朝まで営業していたラーメン屋さん。今はこなれた値段の居酒屋さんチェーン店になって居ました。
そして有楽町。ここは財団の常務理事をしていた頃お世話になった街。今回は財団の事務所があった皇居側ではないところを通過したものの、それでも何とも懐かしい…
そしていよいよ東京駅界隈に。
鉄鋼会社の本社は丸の内側、皇居の大手門付近でした。
昼休みにはその大手門から入って皇居内を良く散歩しました。
一方今回散歩した八重洲口側の方は猥雑な街になっていました。丸の内、大手町とは全く異なる風景。仕事帰りには良くそちら側に行きました。というか、八重洲口側は夜が面白い(笑)。勿論飲食だけではなくカラオケなんかも楽しみました。
八重洲口側のロータリーを越えて目的地鉄鋼ビルに到着したのでした。集合時刻の15分前。
現役時代、
新橋から東京駅まで通しで歩いたことは無く、過去の経験を思い出しながらの散策…
これもまた年金生活者の特権かと…
つづく
蛇足
同期と会食するだけなのに、集合場所に行くだけでもこんなに楽しめる…。
現役の方々にこういう時間の使い方ができる日が来るのを楽しみにしていて貰いたく…
羨ましいでしょう〜
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