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#184 あの名経営者が導入した「週5日制」は「1日教養、1日休養」が狙い

今日1月14日は、1989年に国の行政機関の第2・第4土曜日閉庁を開始した日です。1週間分の「記念日」にちなんだ出来事をビジネス目線で深掘りする「ビジネス頭の体操」を毎週日曜日に投稿しておりますが、今回、「週休2日制」の始まりについて、非常に興味深かったので深掘りのためにスピンオフ投稿させていただきます。


1、松下幸之助さんが「週5日制」を導入した想い

日本で最初に「週休2日制」を取り入れたのは、松下電器。
なんと、1965年、今から50年以上も前、役所や金融機関の20年以上前です。

PanasonicさんのHPには、「松下幸之助の生涯」というページがあります。

そこから「週5日制」(松下さんはこのように表現しています)導入についてみていきましょう。

「週5日制」を考え始めたきっかけは1951年のアメリカ視察だと言われています。その時の様子は以下のように書かれています。

昭和26年1月18日、社長はアメリカに向けて旅立った。
アメリカに来てみて、まずその発展ぶりに驚いた。ニューヨークでは、昼でもこうこうと電気がついていた。当時の東京は毎日午後7時から1時間停電していたのである。また、GE社の標準型ラジオが24ドル、工員の賃金の2日分ほどの値段で売られていた。日本で同じ程度のラジオを買うためには、従業員は1ヵ月半ほどの賃金を払わねばならない。
その他例をあげればきりがないが、それほど豊かさに大きな差があった。社長はその繁栄ぶりを見聞するにつけ、日本の現実を思い、「早くアメリカのようにしなければならない」と痛感した。そして、その繁栄の原動力について考えた。国富の違いもあるが、社会や企業などあらゆる面で、各人の天分なり、知恵が存分に生かされるような仕組みになっていることに思い至った。

そしてそれから、9年後、1960年(昭和35年)に、5年先に週5日制を導入することを発表します。

昭和35年1月、社長は経営方針発表会の席上、「国際競争に打ち勝つためには、設備の改善やオートメーションを進めるとともに、仕事の能率を大いに高めなければならない。そうなると、アメリカと同じように週2日の休みが必要である。それができて、はじめて世界のメーカーとして互角に商売ができると思う。5年先に週5日制を実施したい」と述べた。この発表は全員を驚かせた。

この時期の日本は、岩戸景気に沸いていました。しかしそれは保護貿易政策により実現されたもので、外国から日本に対する貿易自由化の要請が強くなっていた時期で、昭和35年は、3年後に自由化率を90%にするとした「貿易為替自由化計画大綱」を政府が出した、そんな状況での5年後の「週5日制」導入の発表でした。

さらに、翌年の1961年(昭和36年)に、松下幸之助さんは、好景気に沸くその時に、「文藝春秋」誌12月号に「所得倍増の二日酔い」という一文を発表しているのです(前年の12月に池田首相が「国民所得倍増計画」を発表しています)。

「日本経済が戦後16年間でこれだけの発展をして来たのは、他力によるものである。それを自力でやってきたかのように錯覚したために、今日の経済の行き詰まりが急速に起こってきたと思う。所得倍増もいいが、その言葉に酔って甘い考えをもってはならない。1つのことを行うに当たっては、その基礎には国民の精神を高める呼びかけがなければならない」

こうした流れがあった上で、1965年(昭和40年)4月16日から「週5日制」を実施するのですが、松下さんが懸念した通り、前年から不況が深刻している状況で、社内外でも疑問視する向きが多かったそうです。

翌4月17日、会長は在阪幹部を本社講堂に集めて、「2、3年前から警告してきた“経済国難”に、今直面している時に、われわれは週5日制を実施するのである。これは容易ならないことである。このことをよくわきまえて、先輩国のアメリカ以上に合理的経営を生み出す決意で臨んでいただきたい。そして、日本を一挙にアメリカに近づけるその先達を松下電器が担うのだという意気込みでやってほしい」と訴え、全員の自覚と奮起を促した。

さらに、2年後の1967年(昭和42年)には、「5年後に欧州を抜く賃金を」と発表しています。

40年不況を越えて、日本経済は同年後半から戦後最長のいざなぎ景気へと移行し、いよいよ経済大国の道を歩み始めた。
しかし、好況が続くにつれて、社内の各層に再び過去の惰性で仕事をする姿が見られることを会長は憂慮した。そこで、昭和42年1月の経営方針発表会で、「多少の余裕のできた今こそ、日本国民は根本的に反省し、再出発をするときである」と警告し、同時に松下電器の進むべき道を示した。
このとき、理想を描いて進むことが大切であるとの信念から、「今後は5年先に、他との調和を失することなく、松下電器の経営および松下電器の賃金を、欧州を抜いてアメリカに近づけるようにもっていきたい」と提唱、「これは産業界にいい影響を与えると思う。松下がやれるならばわれわれもやろうということになり、いわば産業界に黎明をもたらすことにもなる」と全員の奮起を促した。

4年後の昭和46年に、松下電器の賃金は、欧州の中でも一番賃金が高いといわれる西ドイツと肩を並べ、5年後には欧州を抜きアメリカに近づくまでになった。


このように、松下幸之助さんの「週休5日制」は、単に欧米先進国の真似をする、ということではなく、世界の大きな流れの中で、自社とその従業員が成長していくためにどうあるべきか、そして、それが国内の他の企業にどのような影響を与えるか、ひいては日本という国がどうなるか、を考え抜いた上での施策の一つであったことが分かります。


2、「1日教養、1日休養」が「週5日制」の狙い

松下幸之助さんが「週5日制」を導入したときのスローガンは、「1日教養、1日休養」というものです。

これについて、同氏自身の著書『社員心得帖』(PHP研究所)に記載がありますので長いですが引用します。

私どもの会社では、昭和四十年に完全週五日制に踏みきったのですが、それから半年ほどたったころ、私は社員につぎのような話をしたことがあります。「わが社が週五日制になってから半年の月日がたったけれども、皆さんは週二日の休みをどのような考えで過ごしておられるだろうか。一日教養、一日休養というように有効に活用できているかどうか。二日間の休みを無為に過ごすのでなく、心身ともにみずからの向上をはかる適当な方法を考え、実行していただきたいと思う。ただ、そのみずからを高めるというか、教養を高めたり、仕事の能力を向上させたり、あるいは健康な体づくりをすることと関連して、私は一つ皆さんにお尋ねしたい。それはどういうことかというと、ほかでもない。皆さんが勉強なり運動をするときに“自分がこのように自己の向上に努めるのは、ただ単に自分のためばかりではない。それは社会の一員としての自分の義務でもあるのだ”という意識をもってやっておられるかどうか、ということである。そういうことを皆さんは今まで考えたことがあるかどうか、また現在考えているかどうかをお尋ねしたいと思う」そのとき、なぜ私がそのようなことを質問したのかといいますと、そういう義務感というものは、社員一人ひとりが常にもっていなければならない非常に大切なことだと考えていたからです。


いかがでしょう?

皆さんが勉強なり運動をするときに“自分がこのように自己の向上に努めるのは、ただ単に自分のためばかりではない。それは社会の一員としての自分の義務でもあるのだ”という意識をもってやっておられるかどうか?

と尋ねられたら…


3、まとめ

今日のスピンオフは、先ほどご紹介した松下幸之助さんの「1日教養、1日休養」について、日曜日の投稿では深くご紹介できなかったためです。

実は、アメリカで先んじて週休2日制を導入し、賃上げも行なったという点では、ヘンリー・フォードさんも同じで、こちらも興味深いエピソードがいろいろあるのですが、松下さんの方が経営者としての奥行きは優っていると思います(あくまで個人の感想です)。

今では「週休2日制」は多くの業界で定着していて、当たり前のものと感じてしまっていますが、

☑️ 導入当初には「1日教養、1日休養」という考えがあったこと
☑️「週休2日制」ではなく、それまで6日間でやっていたことを5日間でやる、そのために効率を上げる工夫をするのだ、というメッセージが込められた「週5日制」であったこと

など、いろいろな気付きがありました。

「物事の本質を見る」って具体的に何するの?という投稿でも触れましたが、こうした「当たり前」のことを改めて「どうしてこうなった?」と考えることは、やはり勉強になるなぁ、と思いました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

私のメモですが、何か皆様の参考になるところがあれば嬉しいです。


こちらが今回の元となる投稿です。フォードのことも少し出ています。

毎週日曜日に投稿しているもののマガジンは以下になります。
昨年の7月からですのでかなりいろいろな「へぇ〜」があると思います。
よろしければご覧ください。



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