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腐った感情をワインに

忙しく生きていた。

一日の余った時間を全てスマートフォンを握りしめ、ネットサーフィンをする毎日。

動画を見ることに忙しくて、気付けばとんでもないスピードで20代が駆け抜けていった。

小さい頃から我慢して溜まった感情で、心の容量がパンパンに詰まっている。

人に嫌味を言われモヤモヤしたとき、悪意があるのかないのかこちらの気にしすぎなだけなのか、みたいな複雑な処理を行うことができない。
適切に順序を踏んで、感情を味わってる暇がない。心は既にお亡くなりになっている。

だから全てのことを後回しにしてスマートフォンを握るのだ。
アルコールのように、その容量がパンパンになった胃袋をひと時だけ忘れさせてくれる。



文章を書くことは僕にとってコストが低く、元々誰に読ませる気もない日記とも言えない感情の吐き出しを、18歳くらいのときからほぼ毎日スマートフォンのメモアプリに打ち込んでいた。

それを人が読む為の文章に変えたのはつい最近だ。
自分で自分の物語を面白く読めるように、自分の文章を読み返せるようにしたかった。
スマホに吐き出した感情の箇条書きは意味不明で読み返せないから。

内容は人に見せるには十分バイオレンスなものだと思っていたから公開する気はなかったけど、僕の文章が好きな友達が楽しみに読んでくれるのを見て元々のナルシズムが顔を出した。


いつもは大抵一人で創作をしているか運動をしてるかの二択の無職生活を送っている。
映える毎日は送っていない。

ネタに困ると自分の過去のことを書く。
自分の過去の話をネットの海に放出する人は大抵痛々しいので嫌だったのだけど、自分の為だからしょうがない。

自分が読みたいものは(自分の中で)過激なエピソードであり感情が大きく動いた物語。
そういう話は大抵、当時は感情を抑圧していて、スッキリしていない。
だからいつまでたっても覚えているのだ。

その溜まった感情が今、悪さをしていて
コンビニで「いらっしゃいませ」を言わない店員を睨みつけてしまうワケだ。


子供の頃から怒ったときは黙っていた。
構ってほしい、察してほしい。

だって、
泣きわめけば、高圧的な父に睨まれ、怒鳴られる。
泣けば泣くほど、力で適うはずのない年の離れた兄が、嬉しそうに、楽しそうに笑う。
黙れば遠くのほうで「また拗ねてる」と聞こえる。

やるせない思いをしてきた。

そもそもエネルギッシュで感情的な性格なのに、子供の頃から怒りを適切に出せなかった。

欲が強くて深い。
性欲の強い人間ほど抑圧されるとおかしくなってしまうのだ。

家族に対する殺意が抑えられない。
殺意は、感情と共に文章で吐き出せばいい。

日記が過去の感情を清算するいい機会になっている。
人生が、少しずつまわり始めた気がする。

を読んで。



「あのとき思い切り泣いておけば、こんなにこじらせなかったのに。」

これが抑圧人間の全てだ。
浸りたかった。
僕らは、自衛の為に、忘れる為に、ただ浸りたかっただけだ。
それよりも、怒られ見捨てられる恐怖が勝ってしまった。

熟成されたブドウを、ほとんどの人がただの腐った果実としてゴミ箱に蓋をする中、ワインとしてパッケージに出来る人は限られているよなぁ。

せっかく腐ったなら、ワイン造りをしてみたいものだ。


あと人間のワケの分からないところがギュッと詰まっている素敵民族の話好き。


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