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Random Walk

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執筆したショートストーリーをまとめています。
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2021年2月の記事一覧

LAST HOLIDAY

LAST HOLIDAY

午後五時になると、いつも通り部屋の隅に備え付けられたスピーカーから音楽が流れ始める。

ライブラリに表示される曲名は、ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」第二楽章「家路」。

はるか昔にこの部屋を作った人が設定したのだろうか。私は流れるメロディを聴きつつ、分厚いガラスが填め込まれた窓から外の景色を眺める。
地平線を埋めつくすような巨大な太陽はいつまでも沈むことはない。
夜空は真っ赤に燃えていて

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獺祭魚

獺祭魚

このところずいぶんと暖かくなってきたけれども、山中にはところどころに残雪が見え、さらさらと流れる渓流の水もまだ冷たさを残しているようだ。滑り止めのある長靴を履いているとはいえ、油断して川にでも転がり落ちてしまえばことだな、と考えながらごろごろとした岩場を渓流に架かった細い吊り橋の上から眺める。

釣りを始めてからずいぶんと経つ。子供が独立して肩の荷が下り、定年退職になってこれで家でゆっくりできると

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CATCH A COLD

CATCH A COLD

あ、風邪を引いたな、と分かる瞬間がある。
それは背筋を走る寒気だったり、止めどない鼻水だったり、全身を包むだるさだったり、喉を圧迫する咳だったりさまざまなのだけれど、あるタイミングで確信に至る。
子供の時はそれでも元気に走り回っていたような記憶があるけれど、いつの頃からか風邪を引いたという自覚をもって行動ができるようになった。これが大人ということなんだろうか。

「風邪引いたみたい」
「大丈夫?」

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揺れるハートに祝福を

揺れるハートに祝福を

今年のバレンタインデーは日曜日になった。
ということは、当日に学校でチョコを渡すわけにはいかないということ。

「土曜日を使って手作りの準備ができるのはいいけど、渡し方に悩むよね」
「そうだねー」

週末の金曜日、学校帰りのマックで友達と作戦会議。
だらだらと関係ないおしゃべりもしながら作戦会議をしたけれど、結局は当日にLINEで相手を呼び出すか、当日に渡すのは諦めて週明けの学校で渡すしかないとい

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虚無の声

虚無の声

目の前に座る老人が言葉を発する。
ぽっかりと空いた虚(うろ)のように大きく口を開け、喉を震わせて空気を振動させた、はずだった。

「――――。」

しかし老人の目の前に座っているにも関わらず、鳥越には発されたはずの言葉は全く聞き取れなかった。
最初は聞き間違いかと思った。老人が発した言葉を、たまたま聞き取ることが出来なかったのだと。

「ええと、すいません先生、いまなんと仰られたのでしょうか?」

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素顔のままで

素顔のままで

最初に会社に入ってきた姿を見たときはさすがにびっくりした。
マスクの下で隠れて見えないことを幸いに、私は口をあんぐり開けていたと思う。事務員同士のお昼休みのおしゃべりでもあっという間に話題になっていた。

なんの話かというと新入社員のワタルくんの話。つい先日に私が事務員として勤める運輸会社に荷物の仕分け作業員として入ってきた男の子だ。

なにがびっくりしたかというとそのビジュアルで、真っ青に染めて

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『このアカウントは存在しません』

『このアカウントは存在しません』

『このアカウントは存在しません』

画面に出てきたメッセージを見て俺は思わずほくそ笑んだ。

お、こいつもついにアカウント消したか。
こいつを狙い始めてから確か……2週間か、まあだいぶ持ったほうかな。さて、次は誰を狙おうかな。

俺はスマホの画面をスクロールさせて適当なアカウントを探していく。
俺の趣味は…なんて言えばいいのだろうか、アカウントを削除に追い込むこと。

標的にしたアカウントの何気な

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