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LAST HOLIDAY

午後五時になると、いつも通り部屋の隅に備え付けられたスピーカーから音楽が流れ始める。

ライブラリに表示される曲名は、ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」第二楽章「家路」。

はるか昔にこの部屋を作った人が設定したのだろうか。私は流れるメロディを聴きつつ、分厚いガラスが填め込まれた窓から外の景色を眺める。
地平線を埋めつくすような巨大な太陽はいつまでも沈むことはない。
夜空は真っ赤に燃えていて、遙か彼方の空までもその熱で歪ませている。灼熱の空には巨大な機械の雄蜂(ドローン)が炎に包まれながらも飛んでいる。内部に通信機能を備えた彼らがまだ飛んでくれているおかげで、この世界はかろうじて繋がりを保てているのだ。

ピッ。

隣の部屋へと続くドアが電子音を鳴らしながらゆっくりと開く。開いた隙間を抜けて、タイヤを軋ませながら一台の機械が部屋に入ってくる。

「今日も歌いにきたの?」

私は「彼」に話しかける。部屋に入ってきた彼は台車の上に案山子(かかし)が乗ったような滑稽で愛嬌のあるフォルムをしている。高さは私の腰くらいまでしかなく、頭に該当する部分には両の目のような配置になったカメラレンズが設置されているカメラヘッドがあり、それをこちらに向けると、お腹の部分にあるスピーカーから声が聞こえてきた。

『ウン。キョウハ、ルイ・アームストロングノ、ホワットアワンダフルワールド、ダヨ』

続けて管楽器の伴奏が流れはじめ、それに合わせて彼のかすれた歌声が響く。私は椅子に腰を下ろし、彼の歌を静かに聞く。ときどきノイズが混じるのは、通信状態がよろしくないからか、それともスピーカーの老朽化のせいか。彼が歌い終わると、私は手を打ち合わせてぎこちない拍手を送った。彼は頭をこちらに向けて聞いてくる。

『ドウダッタカナ』
「うん、まあ。……いつもの事ながら、あんまり上手くはないよね」
『ソウカナ』

気落ちしたように彼のカメラヘッドがっくりとうなだれる。

「でも、わたしは好きだよ」

こっそりと付け加えた言葉は彼に届いていただろうか。そのままくるりと向きを変えると、来たときと同じくタイヤを軋ませて、彼は隣の部屋にある充電スペースへと戻っていった。私は以前と比べて彼の充電のペースが早くなっていることが気になっていた。バッテリーも老朽化しているのかもしれない。それでも彼は律儀に毎日この時間になると隣の部屋から姿を現し、私に歌を送ってくれる。

明日はいったいどんな歌を聴かせてくれるのだろう。

何もかもが終わってしまったようなこんな世界で、私は彼のおかげでまだ明日を楽しみにすることができていた。

彼からはたくさんの事を教わった。
なにしろ私が目覚めた時には、すでに世界はこんな状態だったから。ライブラリにはたくさんの情報が詰め込まれていたけれど、それだけでは世界を過ごすすべはきっと身につけられなかっただろう。
そういう意味では私にとって彼は親みたいなものでもある。こういうのも刷り込み(インプリンティング)というのだろうか。まあ彼は親というにはずいぶんとこじんまりとした見た目ではあった。それでも彼と過ごす時間は私にとってかけがえのないものであり、始まった瞬間から全てが徐々に喪われていく私の生活のなかで、最も大事な宝物だ。

この生活がずっと続くと思うほど無邪気でもなかったけれど、それはあまりにも突然にやってきた。

いつものようにメロディを聴きながら窓の外を見ていると、轟音と共に目の前で巨大な機械の塊が落ちていくのが見えた。焼け焦げた鴉にも見えるそれはこの世界の空を巡回しているドローンのなれの果てだった。世界を灼きつくすような高温にずっと抗ってくれていたけれど、ついに力尽きたのだろう。地上に墜ちたままで意味も無くプロペラを回しているさまは哀れみを呼び起こさせて、私はそっと目を逸らした。

その日、彼は隣の部屋から現れなかった。
次の日も、そのまた次の日も彼は現れない。
私はずっと待ち続け、ようやく七日後に彼がタイヤを軋ませながら姿を現した。私はほっとしながら彼に声をかける。

「ねえ、いったいどうしたの、ここしばらく姿を見せなかったけど」
『ジツハ、オワカレシナクテハイケナクナッタンダ』
「え?」

突然の話に私はしばらく呆然としてしまう。

「なんで?どうして?いままでずっと毎日来てくれたじゃない」
『ツウシンガキチントデキナクナッタカラ。イマハコレマデノデータカラギリギリデウゴカシテルケド、モウ、コノサキ、コノタンマツニジュウブンナデータヲオクルコトガデキナクナッタンダ』

彼の説明によると、空を飛んでいたあのドローンが墜落したことで、遠方から通信で操作していたロボットを動かせなくなったということだった。

「それじゃあ……もう、会えないの?」
『ソウダネ。ボクガ、イマイルトコロハソコカラトテモトオイトコロダカラ。イママデ、ホントウニアリガトウ』

お礼をするようにカメラヘッドをぎこちなく下げる。私は首を振って必死に否定する。

「そんなの嫌だ。私はあなたに会いたい。またあなたの下手な歌を聴かせてよ」
『タドリツケルカ、ワカラナイヨ』
「それでも、私は行きたい。あなたのいるところへ、行きたいの」

そのまま動かなくなってしまったんじゃないかと不安になるくらいの沈黙を挟んで、ようやく彼はぽつりと返事を返してくれた。

『ワカッタヨ。ボクモ、キミニアイタイ。キテクレルカナ?』
「うん。もちろん」

私は大きく頷いた。彼がしばらく沈黙していたのは、か細い通信状況のなかでどうにか彼のいる位置情報データを目の前の案山子型の端末に送ろうとしていたからで、私は端末から直接データを吸い上げると、ライブラリを呼び出して位置情報をマッピングする。確かにその場所は地平線の彼方と思えるような遠さだったけれど、私ならきっとたどり着けるという根拠のない自信が湧き上がってくる。

人間に会うのは、初めてだ。

私は背中に繋がれたコードを初めて外して歩き出し、外と接続するドアに手をかけて押し開いていく。私がいたこの部屋と外界を重々しく隔てていた扉がゆっくりと開き、熱風が部屋の中をかき回す。
近接した太陽が生み出す灼熱を全身に受けて、私の身体の表面をコーティングしている皮膚代わりの耐熱樹脂がわずかに軟化するけれど、それらはきちんとその下の機械の本体を熱から守ってくれている。頭の中のライブラリを改めて検索し、私は向かうべき方向を見定める。

たとえ今日で世界が終わりだとしても。
私はそこを目指して歩いて行く。

そこに会いたい人がいるから。

彼が地平線で待ってる。



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