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素顔のままで


最初に会社に入ってきた姿を見たときはさすがにびっくりした。
マスクの下で隠れて見えないことを幸いに、私は口をあんぐり開けていたと思う。事務員同士のお昼休みのおしゃべりでもあっという間に話題になっていた。

なんの話かというと新入社員のワタルくんの話。つい先日に私が事務員として勤める運輸会社に荷物の仕分け作業員として入ってきた男の子だ。

なにがびっくりしたかというとそのビジュアルで、真っ青に染めてある髪に両耳に何個か付いているピアス、そして口元を覆っているマスクは黒地に大きくドクロマークがプリントされている物だった。……パンクバンドでもやっているのかな?

まあうちの会社は別に接客業という訳でもないからそこまで見た目の規定は厳しくないのだけど、彼ほど見た目にインパクトがある子が入ってくることはなかったので、従業員の間でもわりと話題になっていた。
事務員のリーダー格である年配の田中さんなんかはあからさまに不快そうな顔をして彼を見ていたけど、うちの社長は元々豪快なところがある人だったからあんまり気にしていないみたいだった。
そもそも新人の採用を決定しているのは社長だから社長が気に入らなければ入社出来ないはずだし。

入社当初こそ印象的な見た目で話題をさらっていったワタルくんだけど、その仕事ぶりは見た目に反して堅実というか地味というか、担当の作業を黙々とこなすという感じで、無駄口を叩かずに仕事に取り組むその姿勢は意外と現場の人たちからの評判も悪くないみたいだった。

最初の印象が強かっただけに私もなんだかワタルくんのことが気になって、彼が作業をしている様子を現場への事務連絡のついでにちょくちょく見ていたりした。

そんな中、彼について気がついたことがある。
私が積み込み待ちの荷物の上に置きっぱなしにしてしまって忘れた書類をわざわざ事務所まで無言で持ってきてくれたり、書類の束を抱えながらの移動途中で足元に落っことしたボールペンをさっと拾ってくれたりと、とにかく彼は良く気がつくのだ。周りをよく見ているんだと思う。
助けてもらうたびに私がお礼を言うと、彼はいつも小さく「…っす」と呟いて、制服の帽子を深めにかぶり直す。
贔屓目かもしれないけど、どことなく愛嬌を感じさせる仕草だった。

噂話の好きな事務職の後輩、佐藤ちゃんも昼休みのおしゃべりのさなかにその事を話題にする。

「絵里花さん知ってます?新人のワタルくん、見た目はあれですけど結構現場では気に入られているみたいですよ」
「そうなんだ」

私は全く関係ないはずなのだけど、なんとなく嬉しくなって、私は彼が良く気がつくという子だという情報をエピソードと共に自慢げに披露した。

「へー、凄いですね」
「彼、よく気がつく子だよね」
「……そうですね、でもそれ彼が気がつくというか、どちらかというと絵里花さんがおっちょこちょいなエピソードじゃありません?」
「ん?」

佐藤ちゃんの反応は思っていたものと違っていた。思わず眉根に皺を寄せて見つめる私から目をそらしながら佐藤ちゃんが続ける。

「でもあんまり話しているのを聞いたことないんですよね」
「ふーん、まあ仕事をきちんとこなしているなら別にいいんじゃないかな」

確かに言われてみれば、てきぱきと仕事をこなしているものの、あんまり自分から言葉を発しているのを見たことはなかった。

そんな風にしょっちゅう見ているものだから、ときどきこちらと目が合う瞬間がある。そんなとき、彼はぷいと目をそらしてどこかへ行ってしまう。
……あれ、もしかして私、嫌われてる?なにもした覚えはないんだけどなぁ。彼の態度に自分でも意外なほどにショックを受けている私がいた。

今にして思うと、だぶんその時にはもう彼の事が好きだったのだと思う。だけど決定的だったのはある日の出来事。



私が担当している事務作業の一つに積み荷のチェックや行き先の確認などがあるので、事務員の中でも私は比較的作業現場と行き来することが多い。
ドライバーさんとのやりとりも多く、まあ中には変なちょっかいをかけてくるドライバーさんもいたりするのだ。

その日も以前から変なちょっかいをかけてくるドライバーさんが私に絡んできていた。
普段だったらのらりくらりとかわすのだけど、その日に限っては何か嫌なことでもあったのか、妙にしつこくその人が絡んでくる。

「いいじゃん絵里花ちゃん、今度遊びに行こうよ。俺、色んな所知ってるよ」
「そうですね、機会があれば」
「そう言っていつも相手してくんないじゃん。いいじゃねえか一回くらいさ」

ドライバーさんはそう言いながら私の腕を掴んでくる。
思った以上に強い力で握られたのか、痛みが走って私は思わず顔を歪ませた。

「なんだその顔は。そんなに嫌なのか、おい」

私の表情を見てドライバーさんはさらにヒートアップする。
恐怖を感じたその時に、ドライバーさんの腕が誰かによって引き剥がされる。

ワタルくんだった。

ドライバーさんの襟元を掴み、無言でぎりっ、と睨みつける。
今日彼が付けているマスクは大きく牙の生えた凶悪な口がプリントされている物だったから、
目を見開き、大きく口を開けて威嚇しているように見えた。
その眼光に気圧されたのか、ドライバーさんは彼から目をそらすと、捕まれていた手を振り払って大人しくなる。
気まずそうにそっぽを向くと「なんだ、文句でもあんのかよ」と言いながら去って行った。

私は大きく安堵の溜息をつく。
「ありがとう」とお礼を言いながら彼の方を向くと、彼は地面にしゃがみ込んでうずくまっていた。

「だ、大丈夫?」

慌てて近づいて声をかけると彼が聞き取れないくらいのか細い声で呟いた。

「……かった」
「ん?」
「……怖かった、です」

ええ、そうなの?

驚いて彼の顔を見つめると、ちょっと涙目になっていた。よく見てみれば膝もぷるぷる震えている。
……もしかして、ワタルくんって結構、いやかなり気弱なの?そう問いかけると彼は小さく頷いた。

「はい、そうなんです……。僕って昔から気が小さくて、人と話すのも苦手で」
「でもじゃあその見た目って」
「少しでも気合いが入ればと思ってこういう格好をするようになったんです」

そうだったのね。意外な理由に私が驚いていると、彼が緊張で息が苦しくなったのかマスクをずらして大きく息を吐きながらこちらを見て微笑んだ。

「でも良かったです。この見た目のおかげで絵里花さんを助けられたんで」

そう私に告げる彼の素顔、初めて見るマスクの下の表情は驚くほど優しくて。
私は彼にそっと近づくと、改めて「助けてくれて、ありがとう」とお礼を言いながら、ゆっくりと顔を近づけた。


***


「あの時はびっくりしたよ。いきなりだったし」

苦笑いしながら言うワタルくんに対して、私は言い訳がましく返事をする。

「だって、すっごく可愛かったんだもの。……嫌だった?」
「嫌じゃないけど、ちょっと怖かったかも」
「ええ、そうだったの?」
「はは、冗談だよ」

小声で話す私たちに、正面に立つ神父さんがおほん、と一つ咳払いをする。

「よろしいですか?それでは誓いのキスを」

神父さんの合図に従って、私のヴェールが持ち上げられる。
目の前には素顔のワタルくん。

あの日のキスは私からだったけど、今日のこの日はワタルくんの方から。

彼が顔を近づけるのに合わせて、私はゆっくりと目を閉じるのだった。


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