見出し画像

「介護booksセレクト」⑬『壊れた脳と生きる…… 高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援』 

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。

 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 もし、ご興味があれば、読んでいただければ、幸いです。

 今回も、「介護」とは直接関係はないかもしれませんが、特に「認知症の支援」を考える時には、重要なことが書かれていると思い、紹介することにしました。

高次脳機能障害

Ⅰ.主要症状等
1. 脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。
2. 現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。

 分かりにくい障害とも言われているのが、「高次脳機能障害」です。

 例えば、支援に関わる場合でも、その困っていることが、人によって違ってきますし、どうやら、その障害が一般化しにくく、この専門機関の説明でも、「記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害」と定義されています。

 そうなると、あまりにも広く、だから、「高次脳機能障害」でありながらも、別の診断がつくことがありそうですし、その障害名が明らかになったとしても、何をどう支援すればいいのか、とても分かりにくいとはいえそうです。

『壊れた脳と生きる  高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援』 鈴木大介/鈴木匡子

 多くの病気だけではなく、困窮状態にいる当事者の言葉が、もっともその状態にいる人の思いを伝えてくれるはずです。

 だけど、多くの場合は、困っている人ほど、その状況に飲み込まれ、圧倒されているわけですから、今の自分が置かれている環境で、自分自身がどういう精神状態にいるのか。といったことを正確に、「外部」に伝えることは難しいと思います。

 ただ、それも当然といえば、当然のことと、支援の仕事をするようになって、より思うようになりました。


 ただ、時折、自らの苦しみを言葉にして、誰にでも分かるように、と努力や工夫をしてくれる当事者が現れます。

 その人が、その言葉の受け手として優れた専門家と出会った場合に、その症状や状態への理解が進むことがあります。

 もしかしたら、すでに多くの方がご存知かもしれませんが、今回、読んだ書籍もそのような存在に思いました。

 当事者は、突然、脳梗塞を発症し、高次脳機能障害が残ったベテランの文筆業。

 専門家は、東北大学大学院医学系研究科高次脳機能障害分野教授で、神経内科専門医。

 この組み合わせでの対話だから、可能だった言語化がかなりあったように思えました。

当事者の苦悩

こんなにも分かってもらえないものなのか。こんなにも分かってもらうことが難しい障害がこの世にあったのか。これが、当事者になってひとつ目の驚きでした。 

 様々な場面での困ったことを具体的に伝えられるのは、鈴木大介氏が文筆業であることが大きいと思います。

電話に出ればすぐに相手が何を言っているのか分からなくなる、レジ会計で店員さんの言う3桁の数字すら小銭を数える間に忘れてしまう、目の前にあるものを探し出せなくて何十分もの時間が溶けるように無くなっていく……。受傷後5年経つ今でも、手帳に書いた記憶にない予定があって泣く泣く取引先に確認したり、たかが請求書1枚を書くにも記入漏れや形式ミスがあって何度も差し戻されたりと、毎日何らかのトラブルを経験しています。

 さらには、ただ言語化の能力に優れていただけではなく、その文筆業での活動が、病気に倒れる前から、何らかの事情で困窮状態にある人たちを取材してきたことが、自身が高次脳機能障害になった時に、より生きかされているように思いました。

 さらには、病前の取材↑も、フェアな姿勢で取り組んでいるように思えるので、病後の表現も優れている、ということかもしれません。

理解されない苦しさ

僕が病前に取材してきた、いわゆる社会的弱者の中には、発達障害の特性を抱えていたり精神疾患の特性を抱えていたり精神疾患をもつ方が多かったんですが、ひとつの共通点として情緒のコントロールが苦手ということがありました。例えば取材の最中に突然しゃがみ込んで号泣し始めたり、衝動的な怒りに任せて一般的にとってはならない行動を、どうしてもとってしまう。その扱いづらさが、彼らが支援につながりにくい主因にも思えましたが、僕も病後は常に心が正体不明の感情で満杯の状態で、些細な刺激ですぐに涙が出てしまったり、経験したことのないような巨大な怒りが湧き上がってしまって必死に抑えるような経験をしました。彼ら彼女らの苦しさは、こういう苦しさだったのかと。

(「壊れた脳と生きる」より)

 そして、病後の経験で、その苦しさについて、自己分析を続ける時間のあとで、こうした表現も伝えてくれています。

そんな中、病後の僕は、心を病む最大の原因は、何らかの苦しさを抱えていることじゃなくて、その苦しさを言っても理解してもらえない、苦しさをないことにされてしまうことじゃないかと思うようになりました。僕は病前の記者活動の中で「苦しいって言う人のことを無視するな」と、ずっと同じことを言い続けてきたけれど、当事者になって、一層その気持ちが大きくなりました。

(「壊れた脳と生きる」より)

知られていなかった苦悩

 こうした表現ができる「当事者」と、聞く能力のある「専門家」との対話によって、それまで存在していていたのに、気づかれないままだった「問題」が明確化してもいる場面もあります。

大介 問題は、そんな自分が異様だということを、自分で理解してしまっていることです。こんなに些細なことで、こんなに巨大な怒りが起きて、その感情のままに発言や行動をしたら明らかにおかしい。社会的に問題があると思っているから、必死に抑えますが、抑えること自体がすごく苦しいんです。
 あと、抑えきれなくて不適切な言動をとってしまった後は、正直死にたくなりますね。自罰感情や自己嫌悪が大きすぎて。病後、こんなに苦しいなら死んだほうが楽かもと思ったことは何度もありましたが、ほんとうに死んでしまいと思うのは、常にこの、いわゆる社会的問題行動を起こしてしまった後のことでした。それが、何より激しい心の痛みのように思います。
きょう子先生 そうなのですね。自分の感情や行動を抑えられなくていわゆる社会的問題行動をとってしまった後にご本人がそれだけ苦しい思いをされているというのは、これまでほとんど問題にされてこなかったと思います。実際このように言語化して詳しい内容を教えていただいたのは、私も初めてです。

 当事者の「社会的問題行動をとってしまったあとの後悔の苦しさ」といったものが、今までは「ないもの」になっていたとしても、こうして明確に存在が分かったことで、その対応や対策を、ここから始められるはずだと思いました。

認知症と高次脳機能障害

表情が固まっていて、反応も遅いから。誰の言葉も早口すぎて聞き取れない。テレビもラジオも、世界の何もかもが速い。何か言葉を出しても、ゆっくり過ぎてすぐに遮られたり、言葉をかぶせられて黙るしかない。そんな状態なのに、看護師さんでもリハビリの先生でも、僕の言葉を待って話してくれる人が病院にひとりもいなかったんですよね。

 この本を読みながら、高次脳機能障害と、認知症の困難は、とても似ているのではないか、と思いました。

きょう子先生  高次脳機能障害の話は、認知症について問題になっていることと重なる部分が多いですね。それもそのはずで、学問的な意味では、認知症は広い意味の高次脳機能障害に含まれます。

 ただ、認知症の当事者が、ここまで辛抱強く言葉にするのは、高齢になるほど、大変ですし、だから、今までも、今も、認知症の方の辛さについては、自分自身も含めて、支援者側の聞く能力の問題で、おそらくは聞けていなかったのだと、改めて思いました。

支援者の姿勢について

 もしかすると、強引に関連させすぎるところもあるかもしれませんが、高次脳機能障害の「当事者」である鈴木大介氏が、病気に倒れ、その後、その障害に混乱しながらも、感じてきた「支援者の姿勢」についての言葉は、認知症の支援者も、十分に聞くべき内容だと思いました。

ケアする立場の援助職の人に言ってもらいたい言葉というのが、僕の中でようやくまとまってきました。まずはその人のベースにある障害が理解できていること。理解したうえで、こういうことが苦手であるから、もしあなたがこういうふうに失敗してしまったとしても当たり前のことですよ、と言ってほしい。脳のこの機能が欠けたために失敗してしまうのは当たり前、失敗することは苦しいかもしれないけれど、何かの欠損があるせいなんですよと、その苦しさを全肯定してくれる立場が必要だと思っています。

 そして、今回の対話相手でもある専門医の鈴木匡子のことを例にあげて、「当事者」にとっては、支援者や専門家が、どのような姿勢でいればいいのか、といったことを示してくれています。もちろん、このことに対して、さまざまな見方はあるのだと思いますが、本当に耳を傾けるべきことだと思いました。

同じことを聞き返されるのでも、やっぱりきょう子先生のように、「この人のことを知りたい」って気持ちは、当事者にはものすごく敏感に感じ取れるんです。その姿勢を当事者に感じさせるかどうかが、実は一番のチューニングかもしれないと思いました。残念ながら僕自身の経験からも、僕の本の読者の声からもあまりにも多くの医療者が、僕らのラジオにチューニングを合わせようとはしてくれないことばかりを痛感しています。

 さらに、支援者が注意すべき点は、これも高次脳機能障害の場合なのですが、認知症の支援にも共通する点だとも考えられます。

一番注意してほしいのは、当事者が支援拒否に至らないような支援っていう大原則だと思います。まず、当事者を破局的な混乱に陥らせないための配慮として、早口をやめるとか、こちらの言葉を遮らないとか、こちらが苦しいと訴えていることについて、肯定で捉えるという、当たり前すぎること。でも正直に言えば、この当たり前ですら分かってくれている支援職は、本当に一部だったと思います。苦しいですって訴えているのに「大丈夫ですよ」って言われるのは、本当に耐えられなかった。

 これまで自分も含めて、「当事者」の思いを、十分に聞けてなかったのだと、改めて思いました。

 

 認知症や、介護など、支援に関わる方でしたら、一度は読んでいただきたい本だと思っています。

 今回は以上です。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



#介護相談       #臨床心理士  
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援    #介護
#心理学       #私の仕事  
#家族介護者   #臨床心理学  
#介護負担感の軽減    #介護負担の軽減  
#推薦図書    
#壊れた脳と生きる   #鈴木大介   #鈴木匡子
#当事者   #専門家   #支援職   #高次脳機能障害
#認知症   #精神科医   #文筆業   #言語化

この記事が参加している募集

推薦図書

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。