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家族介護者の支援について、改めて考える⑤「家族介護者への個別の心理的支援」の必要性と、その実践。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

 前回の「家族介護者の支援について、改めて考える④」も読んでいただいている方は、この先の『「個別での心理的支援の必要性」の受け取られ方』から、読んでくだされば、前回との内容の重複が避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。   
 私は、1999年に家族の介護を始め、いろいろなことが重なり、仕事もやめることになり、介護に専念する年月の中で、家族介護者には心理的な支援が必要ではないか、と思うようになりました。

 微力ながら、自分でも支援が少しでもできれば、と考え、介護を続けながら学校へ通い、臨床心理士の資格をとりました。その後、公認心理師の資格も取得しました。

家族介護者の支援について、改めて考える

 家族介護者への心理的なサポートが、この10年、社会に少しでも広がるように、自分なりに努力はしてきたのですが、それがなかなか広がっていかず、自分の力不足もありながらも、無力感に襲われたことを書いたのが、このシリーズの、第1回目の記事でした。

 それは、お恥ずかしいことでもあるのですが、それでも、「家族介護者への個別の心理的支援の必要性」については、実は、まだそれほど理解されていないのではないだろうかと、改めて思いました。
 そこで、これまでの繰り返しになるのかもしれませんが、改めて伝えた方がいいのでは、と思ったので、このシリーズを続けることにしました。

 それも、家族介護者支援の「先人」である「家族会」や、「認知症カフェ」「地域包括支援センター」と、何が違って、なぜ「個別での心理的支援が必要なのか?」といったことも改めて考えました。

 今回は、「家族介護者への個別の心理的支援の必要性と、その実践」を考えていきたいと思います。

「個別での心理的支援の必要性」の受け取られ方

 個別での心理的支援、と言葉では聞いたことがある方も多いかもしれません。

 だけど、それがどういうものなのか?
 本当に意味があるのか?
 介護相談であれば、「家族会」や、「地域包括支援センター」でも行っているし、最近では「認知症カフェ」もある。もうそれで十分ではないだろうか。

 そんな疑問を持つ方も、実は少なくないのではないか、といったことも、この20年で感じてきました。

「個別での心理的支援の必要性」を感じるまでの過程

 私自身の個人的な話に過ぎませんし、これまで読んでくださった方には繰り返しになる内容でもあり、申し訳ないのですが、1999年に介護を始め、最初は実母、それから義母を介護し、自分も病気になり、仕事を辞めざるを得なくなり、でも、二人をどう介護するのか、と迷い、実母を入院、義母を在宅で、妻と二人で介護する、という生活が始まりました。

 2000年から介護保険が始まり、さらには、介護サービスも利用するようになり、また病院も通っていました。

 医療や介護など、いろいろな専門職の方々とコミュニケーションをとることも増え、そして、何について話をしていたのか、というと、圧倒的に要介護者である母や義母のことでした。どうすれば、少しでも症状が改善するか。さらにいえば、できたら要介護者の生活を、より快適にできるか、と言うことでした。

 その中で、家族介護者である私たちに話の焦点が合うことは、ほとんどありませんでした。ごくまれに、とても有能で優しい専門家が、介護者にまで気を配っていただくことがあり、それは珍しいので驚きとともに、ありがたいと思うこともありました。

 ただ、それでも、例えば介護者がしんどかったりすると、デイサービスを増やしましょう。ショートステイを利用しませんか。といったことになり、それは今の介護保険の制度では、とても正しい対応だと思いましたが、できたら、もっと話を聞いてもらえたら、と思いながらも、専門家は忙しいので、それは遠慮していました。

 家族介護者としての内面的な問題については、あまり話すこともないまま年月が過ぎていました。(それは話しても通じるのが難しいと思っていましたし、介護の専門家は、そこは専門外なので申し訳ない、という気持ちもありました)。

 もちろんそうした話もできる方もいらっしゃいましたが、それに時間を十分にさけないこともわかっていました。

 介護ヘルパーの研修を受けて、実習をしているときに、自分も介護をしているという話をしたときに、すぐに「それは受け入れるのが大変だったのでは」と言われ、それは違うのに、と思いながらも、気を配ってくれたことにお礼を伝えていました。

 理解されていない孤立感は、ずっとあったように思います。

「個別の心理的支援の必要性」を感じた理由

「私もそうだったように、正しいことを言われても励まされても、体験談を聞かされても、何の役にも立ちませんよね。認知症の人だけでなく、介護者の心のことをもっとよく知ってもらいたいですよね。そっとつらい胸の内を話せる安全な場所と信頼しあえる仲間がほしいですよね。レスパイトもいいけれど、ただ話を聞いてもらいたいですよね」(大阪府・女性・47歳)。

 この本のこの言葉を知った時は、自分だけではないんだと思えました。
 やはり、家族介護者には、個別での心理的な支援が必要なのでは、と強く思うようになりました。

 幸い、私には、一緒に介護をしていた妻もいましたし、母が入院する病院でのボランティアで、同じような立場の家族介護者の方々と話す機会もありましたから、その時も、安心して話ができました。だけど、ずっと話を聞いてもらうわけにはいきませんでした。

 妻でさえ、私と全く一緒の状況ではないので、話が通じず、その時は孤立感も強く感じることもありました。それは、誰が悪いわけではないのですが、肉体的な負担には慣れることがあっても、介護環境にずっといる気持ちの面で慣れることはなく、疲れが積もっていくことは分かっていましたが、どうしようもなかったと思います。

 家族会認知症カフェのように、団体での支援に、自分が向いていないのもわかっていました。そして、それは私だけでなく、追い詰められている場合には、人が多い場所に足を運ぶことが難しいとも感じていました。

 だから、介護者が孤立感があるとすれば、気持ちの面だけでも、個別に支えられることができたら、かなり違うのではないだろうか、と思うようになり、それを行っている専門家は(自分の勉強不足もあり)見当たらなかったし、実際に介護者支援をしている方はいらっしゃったのですが、その方の言説に、かなり違和感があったので、自分でその専門家になろうと思いました。

介護保険への不信感

 私は、1999年から介護生活に入り、2000年から介護保険制度が始まり、初期の頃は関係者も不慣れなことが多く、それでギクシャクしたことも少なくなかったのですが、それでも、介護保険に希望を持っていました。

 ところが、2005年に介護保険が「改正」をした時から、それは、とても「改正」(正しく改める)に思えず、その後の「改正」のたびに、がっかりしていました。

 介護保険が導入されて、約20年が経ちますが、年数が経つほど、利用しにくくなっている印象があります。少なくとも、20年前よりも、幅広く使えるようになった、と思う方は、専門家であれば、いらっしゃらないという感触があります。

 私たちの老後は、国家が面倒見ますよ的な話になっていますが、その実、国は都道府県に、都道府県は市区町村に、市区町村は地域にと責任の主体を少しずつ移動させ、最終的には地域から「家族」という集合体に負担を負わせようとしているような気がしてなりません。

 長く介護の業界にいる専門家も、やはり、そう見ているのであれば、これから先に、介護保険で、家族介護者の負担が多い時に、介護サービスの利用を増やし、それを軽くするような選択をすることは、難しくなるのだと思います。

 そうであれば、家族介護者が追い詰められた時に、今の介護環境を少しでも楽にするための具体的な調整は、今後は、より難しくなっていくように思います。その中で、介護殺人や介護心中は、今も明らかな減少傾向ではなく、コロナ禍で増大の気配さえ見せています。


『「介護疲れ」が殺人事件に発展!在宅介護を行なう人の増加が影響!?介護者の疲弊防止が急務』
https://www.minnanokaigo.com/news/kaigogaku/no868/


 個別で、心理的な支援を行う相談窓口が一つでも増えれば、傲慢だとは思いますが、ほんの少しでも、こうした事件を減らせる可能性が高まるような気がしています。

個別での心理的支援は、基本的には「話を聞くこと」。

 個別での心理的な支援では、具体的には何が行われているのか?といえば、基本的には「話を聞くこと」です。

 こう書くと、誰でも出来そうですし、何も具体的な解決が出来なければ意味がないのではないか、といったことを思われる方も多いかもしれません。私も50歳を超えてから臨床心理士になりましたから、それ以前に、同じことを聞いたり、読んだりしたら、そう思ったに違いありません。

 ただ、まずは、話をただ聞き続けるのは、かなり難しいことは、支援の仕事をされている方ならご存知だと思います。

 それを、例えば、家族介護者のための介護相談であれば、1回では基本的に50分の時間がありますから、その時間、ずっと集中して、目の揺らぎ、その人の全体の気配の変化、表情の変化、体の角度のわずかな動き、そういった全てのことに気を配りながらも、そのことで、相手の方に変なプレッシャーを与えないように気をつけながら、聞いています。

「聞くこと」の難しさ

 ただ、「話を聞く」ことの難しさは、分かりにくい上に、伝わりにくいことだとも思います。

 私も、以前はマスコミの世界で、インタビューを仕事にしていましたから、大学院で臨床心理学を学ぶ前には、今考えるとお恥ずかしいですが、ある程度、聞くことに自信がありました。

 それが、臨床心理士でもある大学教授の講義を受け始め、「インタビュー」を和訳したのが「面接」であるのは、知識として知ってはいましたが、今までおこなっていた「インタビュー」と、臨床心理士が行う「面接」では、全く違う聞き方だと思いました。

 インタビューは、こちらから、相手の気持ちに対して、できるだけ素早く、相手を傷つけないように、拒否されないように、入っていく。という行為でしたが、それは、相手の方が元気だったりする場合はいいとしても、困っていたり、弱っている場合には、どれだけ気をつけても、傷つけてしまうことだと想像できるようになりました。

 インタビューのスキルの方が実社会では、効率がよく、有効な行為かもしれません。ただ、そのスキルが身についているほど、静かに待ち続けるような「面接」という方法ができるようになるのは、一から身につける人よりも難しく、だから、向いていないと感じ、悩みながら学んでいました。

 今でも、「面接」の「聞くこと」が完全にできるとは思っていませんが、自分の体質を変えるような辛さをなんとか受け入れて、少しずつは身につけてきたと思っています。


 そして、「傾聴」という言葉も、以前よりも多く聞くようになりましたが、この「傾聴」は、とても難しいと、臨床心理学を学び始めてからの方が、身に染みて思うようになりました。

 この「傾聴」に関しては、大学院でお世話になった教授に言われたことを、今でも思い出します。

 傾聴とは、ただ受け身的な行為ではなく、話をしている本人よりも、本人のことを理解しようとして聞くこと。

 今も、それを心がけています。

個別の心理的支援で、目指していること

 自分自身が、介護で最も辛い時に、何を望んだのかといえば、やはり、少しでも理解されることでした。あるアンケートでも、休息よりも周囲の理解、が上位にくる結果も見たことがあり、それに対して納得感がありました。

 介護相談として、何を目標にしているのかといえば、いくつかあります。
 普段の介護相談の具体的な内容は秘密保持の原則もあり、抽象的になり申し訳ないのですが、一般的な話になることを、ご了承ください。

①まずは、この相談の時間で、ほんの少しでも気持ちが楽になってもらうこと。
 これは、傾聴に徹することで、目の前に、理解までいかないとしても、理解しようとしている人がいることで、孤立感が少しでも減ること。または、人がそこで自分の話を、真剣に聞いていることが生む作用としか言いようのないものでもあると思います。

 ただ、最も気をつけることは、それが心の底から本気であることです。ここに少しでも嘘が混じると、返って相手の方を傷つける場合もありますし、一般的な印象ですが、現在、追い詰められたり、困った状況にいらっしゃる方ほど、そうしたことに敏感で、とても鋭いと感じています。だからこそ、こうした相談を受ける側には、日々のトレーニングが必要になるのだと思っています。

②不安が少し明確になること。
 気持ちの中で、いろいろなことを悩むと、それは際限なく膨らむ性質があると考えられます。

 不安が、心に最も悪いとも言われていますが、不安とは、はっきりしないから、不安なので、本人が言葉にしていき、その言葉を自分の耳で聞き続ける時間があることで、困難や不安が、少し形をとって、具体的なものとして把握できる可能性が出てきます。それは目の前に聞き手がいることで、よりスムーズに進むことだと思います。

③新たな視点に気がつくこと。
 そんなに毎回ではないのですが、話をして、そのご自身の言葉を聞いて、それで気持ちが整理されることで、今までは気がつかなかったこと。例えば、自分を助けてくれる可能性のある人や、窓口や、サービスなどが、実はあることに気がついて、そのことで、具体的な支援を増やせるきっかけに気がつけることもあります。

④意味を見出せること
 自分のやっていることに意味がないと思うと、人はとても辛くなります。話したからと言って、介護負担そのものが軽くなることはないのですが、話を聞いている人がいて、理解をしようとしている姿によって、自分の行為に意味があるのではないか、と思え、意味を見出すきっかけになることもあります。

 環境は変わらなくても、負担は変わらなくても、自分の介護に意味があると思えるようになれば、気持ちの負担感は少しでも減少する可能性が出てきます。

⑤具体的な情報を試してみる余裕ができること。
 個別の心理的な支援を受けている方にとって、その相談する相手として、信頼感を持ってもらうこともあります。

 人の言っていることを受け入れるには、ましてや、試してみることは、相手を信頼しなければ、難しいですし、さらには、混乱している時はより困難になると思います。

 話をすることを続けることで、気持ちが整理されて、少しだけでも余裕ができることで、初めて、具体的な情報も耳に入ってきやすくなるのでは、と考えられます。

 こうしたことも、相談を受ける側が、反射的に起こる自分の思いに飲み込まれず、その思いはいったん横に置いて、検討して、相談に有効だったら、その思いも利用する、といったことができるようなトレーニングをしている場合に、ようやく可能になることだと思います。(私も、微力ながら、そのために、努力と工夫は続けているつもりです)。

 なお、この相談の際に、整えていただきたい環境があります。


1、基本的に秘密が守られること。(自傷他害の恐れがある場合を除きます)。
2、 安全な空間で、相談ができること。
3、1回あたり、50分ほどの時間を確保できること。
4、介護者が希望するのであれば、継続して相談を続けられること。

 こうした条件が揃うことで、個別での心理的支援は、家族介護者に対して貢献できる可能性が高まります。

「介護殺人」の記録

 著者は、司法福祉の研究者で専門家であり、実際の介護殺人の「調書」なども分析材料として取り扱っており、普段は目にしにくい介護殺人の「加害者」の、事件に至るまでの気持ちの描写まで伝えてくれています。事件に対しての解釈の中で、介護者の心理をもう少し理解してくれれば、と思う部分もありますが、これは、本当に貴重な記録だと思いました。

 事例としてあげられている4例のうち、3例までが、事件を起こす直前まで周囲には「熱心な介護者」と見られています。それだけに、傲慢かもしれませんが、何かもう少し支援の方法がなかったのだろうか、と思ってしまいます。

 その一事例として、介護をしている母親を傷害致死で、結果として命を奪ってしまった男性のことも、こんな風に記録されています。(Mは母親。Sは介護者で息子)

 1日に8回トイレ介助を行っていたにもかかわらず、Mの失禁は続いた。Sはそのたびに着替え、陰部の洗浄、汚れ物の洗濯を繰り返し、心身の負担はますます多くなっていった。Sは失禁の時、Mの腿をバチンバチンと平手で何度も殴ったり、母の頬を平手で殴ったりするようになった。Sは精神科の医師や訪問看護師、ヘルパーに「どうしたら母に対する暴力を辞めることができるか」と相談した。だが、精神科医は新しい薬を処方しただけだった。訪問看護師もヘルパーも「長い目でみましょう」と言うだけだった。Sは結局暴力を辞めることができず、ついにはリハビリを嫌がるMの額を拳骨で殴ってしまった。

 ここからさらに事件当日までの、もっと負担が増大していく記述が続きます。それは、読んでいても、辛くなるような記録でもあるのですが、この引用箇所を読んでも、僭越ですが、もう少し、何かしらできなかっただろうかと思います。

 それぞれの専門家は適切な対応をしているはずです。ただ、傲慢かもしれませんが、この時に、1ヶ月に1度でも、定期的に、ただ話を聞く相談として関わる心理職がいれば、どうなったのだろうか、と思うことはあります。


 そんなこともあって、個別の心理的な支援である「介護相談」は、どの行政窓口に一つでも設置していくようにしていくべきではないかと、思うようになっています。

 ほんの一例ですが、たとえば、東京23区のすべての区に、個別で心理的な支援を可能にする「相談窓口」が設置されるように、と思っていますが、3割程度の設置状況が、あまり変わらないまま、ほとんど何も貢献できないまま、お恥ずかしい話ですが、10年が過ぎてしまいました。

 今回は、以上です。

 次回は、投稿時期は未定ですみませんが、「どうすれば個別の心理的な支援を増やせるのか?」について、考えて、皆様のお知恵を貸していただけるような記事を書ければ、と思っています。




(他にも、いろいろと介護について書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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