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「1960年から日本人は堕落した」説 

わたしは、「1960年から日本人は変わった」という説を、少し前から展開しようとしているわけですね。

三島由紀夫の「鏡子の家」論からですが。

これは、「1945年から日本人は変わった」説に、対抗したいがためです。


1945年に日本は変わった。敗戦だ、8月革命だ、一億総懺悔だ、とにかく黙祷、平和祈念だ・・。

もうすぐ8月だから、またそういう話が、マスコミで蒸し返されるでしょう。


でも、この「1945年画期説」が隠しているものが、いろいろあるわけです。


たとえば、アメリカとの関係。


なぜ、日本にはアメリカ軍の基地がたくさんあり、なぜ東京の制空権の一部はアメリカにあるのか。

なぜ、日本はずっとアメリカの子分なのか。


ここでは、そのこと自体が悪いと言いたいわけではない。

しかし、日本は1952年に独立し、アメリカ占領軍は去り、主権が回復している。

日本は、アメリカを立ち去らせることもできるし、日米同盟も破棄できる。

憲法だっていつでも改正できる。

そういう自由をずっと持っている。


でも、そういう自由が、ないかのように振る舞っている。

なぜなら、1945年に、原爆とか落とされて、日本はアメリカに負けたから、仕方ない、と。

なんとなく、そう思ってません?

そう思わされてません?


そう思っているのは、そう思うほうが楽だからだと思う。

本当は、日本人が、それを選んでいる。

自分で選んでいるのに、それを選んでいる重荷や責任や恥辱に耐えられない。

だから、「1945年に戦争に負けたから仕方ない」とみんなで思うことにしている。


この欺瞞が、右も左も、腐らせているわけですね。


たとえば左派は、沖縄の米軍基地に反対しているかも知れない。

と同時に、9条守れ、と、日本が軍隊を持つことに反対する。

米軍基地がなくなり、自衛隊も解散したら、日本はどうなるの?

でも、彼らが本気でそれを心配しているとは思えない。

なぜなら、日米同盟があるから、いよいよになればアメリカが守ってくれる、と甘えている。

安倍晋三の集団的自衛権には反対したかもしれないが、日米安保そのものには反対していない。

みずからが戦争に駆り出されるのは迷惑だが、核の傘で守ってもらうのは大歓迎、というか、大前提だからだ。


右派も同じ甘えを持っていることは、以前から指摘されている。

日米同盟を守らなければならない、という主張の裏には、アメリカへの絶対の信頼がある。

いざとなったらアメリカが守っていくれる、というのは、左派と同じ甘えだ。

トランプやヴァンスがアメリカ大統領になろうという時代に、その信頼が幻想にすぎないことは言うまでもない。

しかも、一方では、「日本人はGHQに洗脳された」みたいなことを言う。

仮に占領された7年間に「洗脳」されたとしても、その後70年以上、「洗脳」を解く期間はあったのだ。

いまだにGHQのせいにする。それも、甘えだ。

それも、「1945年から日本が変わった」説の欺瞞だ。


実際には、戦後すぐから、日本人は「主権の回復」を真面目に考えていたし、アメリカからの独立や改憲は、その大きな条件だった。

1950年代を通じて、多くの人が日米関係のあり方を真剣に論じ、それがいわゆる1960年安保闘争につながっていく。

その60年安保闘争に、いちばん若い世代として参加した栗本慎一郎は、当時をこう振り返っている。


あのころ、我々は若かった。そして、世界はどこにどう行くのかまったくわからなかった(中略)。
政治集会や社会科学の研究会にいまでは想像もできないくらいたくさんの若い学生たちが集まり、日本は、世界は、そして日米関係のあり方はと論じ合っていた。またただ集まるだけではなく、また聞くだけでもなく、語ること聞くことの一つひとつに大きな反応があって集会は常に大きく揺れた。

栗本慎一郎『パンツを脱いだサル』(2005年、現代書館)p230


だが、1960年5月19日のような盛り上がりは、その後、日本で2度と起こっていない。

1960年代にも安保闘争はあったが、栗本が書いているとおり、もはや100分の1程度のエネルギーしかなかった。

なぜか?


1960年を画期に、日本人が変わったからだ。

1960年には、岸信介の安保改定とともに、池田隼人の所得倍増計画がスタートする。

高度成長期になり、「所得倍増」に浮かれているうちに、あるいは、それに必死でついていくために、すべて忘れてしまった。


同時に重要なのは、1960年を境に、テレビ放送が本格化することだ。

そして、まさに高度成長の結果として家庭にテレビが普及し、これ以降、日本人はみな「テレビ漬け」になる。


そういうことから、1960年代を境に、

「日本人は、ものごとをあまり真面目に考えなくなった」

「真面目に考えることが、時代遅れになった」

という時代に入るわけです。


高度成長を担ったのは、基本的には、日本人が「テレビ漬け」になる前の世代の人たちです。

「テレビ漬け」で思想形成したのは、いわゆる団塊の世代からで、いまの70代後半くらいの人たち。

まあ、タモリとか、糸井重里とかを思い浮かべればいい。

彼らが悪いと言いたいわけではないが、そこには、それ以前の日本人にはない、思想の態度があると思う。


1960年代、テレビ放送が本格化するとともに、日本に上陸したのがビートルズだ。

上掲の本で、栗本は、ビートルズは結局、次のような思想を人びとに伝播したと述べている。


ビートルズのメッセージは、
1、家族も政治形態も、すべてイリュージョンに過ぎなくて、体制的な道徳もくだらないが、その改革にうつつを抜かすのもナンセンスだからやめなさい。もちろん、革命も……。
2、自分自身があるのだから、断固そこに戻りなさい。
というものである。

栗本上掲書、p240


それはまさに、1960年代以降の日本人の思考パターンでもある。

1960年代は反体制の時代と言われるが、そのイメージとは裏腹に、実際には反体制の雰囲気だけで、それをやり切る覚悟はなかった。

それは、わたしの先輩世代である団塊世代の、会社や世間での振る舞いを見て、わたしもよくわかった。

ご承知のとおり、三島由紀夫は、70年安保で左翼が盛り上がるだろうから、その機に乗じて対抗的な右翼クーデターを起こそうと考えていたが、左翼がちっとも盛り上がらないので、絶望して自分たちだけで市ヶ谷で腹を切った。


1960年以降、日本人は、ものごとを真面目に考えなくなった。

そのことを示す、エピソードの一つとして、最近「桜井センリ」の話を仕入れた。

以下の動画を、YouTubeで見たんですね。

【衝撃】桜井センリの自宅で遺体で発見された孤独死の真相(乱末2分の1『昭和芸能』 2024/7/14)


桜井センリ(ヘンリー桜井)はもともと、秋吉敏子の後継者で、「真面目なジャズピアニスト」だったわけです。

しかし、まさに1960年、クレイジーキャッツの冠TV番組が始まるのを機に、クレイジーキャッツのメンバーとして「コメディ」をやるようになる。

この転身は、周囲にも、たぶん本人にも、意外と受け止められたけど、時代に強いられた転身でもある。

テレビの時代になり、それで大儲けできたからですね。

同じようなことは、クレイジーキャッツの後を襲った、ドリフターズにも言える。

ドリフターズは1966年のビートルズ来日時、前座をやった。そのパフォーマンスは、「真面目」と「おちゃらけ」の境にいる、そしてもう「真面目」に戻れず「おちゃらけ」に走る、日本人の姿の記録となっています。



それ以降、日本人は真面目さを失うと同時に、考えをメディアに支配されるようになる。戦時以上にーー。


1950年代までの日本人の真面目さーー。

それは、戦前・戦中からの日本人の真面目さを引き継いだものですね。

それを今、取り戻さなければならない。


なーんて言っても、わたし自身が、1960年代生まれで、それ以前のことがわからない。

むしろ、それ以前を否定するような教育を受け、それ以前を否定するような文化の中で生きてきました。


思えば、わたしの人生も、真面目に考えない、おちゃらけた人生でした。

せめて、残りの短い人生時間は、わたしの生まれる前の真面目さを汲み取って生きたい、と考えている次第です。

でも、それは、ビートルズやドリフターズを含め、これまでの人生で愛してきた多くのものを否定する道につながる・・

自分の人生の全否定でもある。

それもちょっと怖い・・。



<参考>



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