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#小説
ジュマペール・ジェームス(10)〜ハラダイスライブ出演
2011年から、毎年10月に京都 円山公園野外音楽堂で行われる『ハラダイスライブ』に
僕はゲスト出演するようになった。これは、相方DJ原田君がやっている一年に一度の大きなライブ。仲間として僕と三谷ちゃんが応援に駆けつけていました。そこで、『ジュマペールジェームス』と『ジェームス・モナ・ムール』を歌ってくれている間、僕は三谷ちゃんと一緒にステージで聴く。大人のライブにもかかわらず、ワンちゃんが出演
ジュマペール・ジェームス(29)〜僕からの遺言
東日本大震災が起こった年から続けている動物たちのための義援金活動。CD『ジュマペールジェームス』『ジェームス・モナ・ムール』の売上金を寄付することから始めて、のちには、毎年ジェームスカレンダーを製作し、販売を続けていた。このことは新聞やNHKニュース、過去にはヤフーニュースでも紹介していただいています。
毎年、寄付金を銀行からお振込して、目録を動物愛護センターの所長へお届けして、僕のラジオ番組で
ジュマペール・ジェームス(28)〜お見送りをありがとう
誰もが予測していなかった2019年2月7日(木)午前2時10分。突然僕は、ママンの腕の中から旅立った。あまりに突然すぎてみんなが驚いていた。動物病院の先生も驚いていた。「へへへ、びっくりさせる、これが僕の作戦だった、ワン!」みんなを驚かせた僕に、ママンからのお知らせやフェイスブックページジェームスを見てくれた大勢の人たちが、お別れに来てくれました。ありがとう。そして、ごめんね。だけど、これも僕の作
もっとみるジュマペール・ジェームス(23)〜歩行困難、そして介護
2017年9月末頃から、
立ち上がることが難しくなってきた。お散歩が大好きで、毎日3回、嵐山を歩き回っていた僕。歩けないのでカートに乗せてもらい、お散歩に出かける毎日になった。相変わらず、カメラを向けられるのだけど、得意のカメラ目線も難しくなっていた。
一人でお座りできないので、クッションを支えにしてカートに乗ります。
お首が前に折れ曲がって顎が胸元に食い込みます。首が空気に触れられず熱くな
ジュマペール・ジェームス(18)〜動物たちのための義援金活動
2011年3月11日、東日本大震災が起こった。僕は、動物たちが心配になった。そしてこの時から
ジェームスからの動物たちのための義援金活動が始まった。僕のテーマ曲「ジュマペールジェームス」この曲のCDの売上金を動物救援本部へ送ることにした。震災で飼い主さんと離れてしまった動物たちのことを思いながら。その後二枚目のCD「ジェームス・モナ・ムール」の売上金も寄付を続けた。『ジュマペールジェームス』は、
ジュマペールジェームス(15)〜犬の観光大使誕生〜
2016年5月6日、
日本初の犬の観光大使が誕生した。それが、僕、ジェームス。なぜ、山口県岩国市の観光大使を?と思われる方が多いと思います。よく聞かれます。それは、僕のママンの出身地が岩国市。僕は、ママンの帰省で岩国へ行くことが多かった。
その旅行記を『ジュマペールジェームス』というブログにアップしていて、そのブログの内容を僕のレギュラー番組『ハラダイスラジオ』の中で紹介していた。(FM京都ア
ジュマペールジェームス(13)〜僕のお家で
僕のお家ではよく事件が起こっていた。(笑)殺人事件だったり、容疑者が住んでいて刑事の聞き込みが来たり。家の前にパトカーが停まって大騒ぎになったり。近所でも有名なお家。(苦笑) と言っても現実ではなく、ドラマの撮影が自宅でよく行われていました。そんな中で、僕も出演できたり。例えば、僕のお家に住んでいる人が飼っている犬役。パパンの会社を紹介する番組で、パパンの宝物紹介の時、『宝物がジェームス』で、僕が
もっとみるジュマペール・ジェームス(12)〜京都をご案内する、ワン!
僕は、亀岡の山奥で生まれた(保護された)と聞いている。もらわれた里親のお家は、京都市内の嵐山。ということで、
京都市内のご案内をしよう。山口県からやってきたママンは、京都観光を楽しむかのように、僕を車に乗せて、色々な場所へ出かけていた。
2015年2月1日〜野宮神社
2016年3月8日〜南禅寺。ここはよくドラマのロケで見る風景。
2016年4月6日〜インクラインでお花見
2016年4月
ジュマペール・ジェームス(11)〜老人ホームへ慰問
2015年2月25日、僕は、ラジオ番組を一緒にやっていた原田君と共に老人ホームへボランティアに出かけた。
紫色のタキシードを着て出番を待つ。
控え室で出番を待つ僕。
この扉の向こうでは、すでにライブが始まっている。「ジェームス〜」と呼ばれたら、ここから中へ入るよ。耳を澄まして待っています。
僕が入っていくとみ〜んな笑顔に。「可愛いねぇ」と言ってもらって、僕もご機嫌さん。ついでに付き添いのマ
ジュマペール・ジェームス②〜里親さんが亡くなった
僕のお家は京都市内嵐山。毎日、お母さんと一緒に桂川のほとりを楽しくお散歩していました。
ところが僕が3歳の時、お母さんの病気が再発。半年後、ちょうど僕が4歳になって間もなくお母さんはお星様になりました。僕はお葬式の日、お経をあげるお坊さんの後ろで家族と一緒に座布団に座り、お母さんにサヨナラしました。遺言は、「ジェームスを大事にしてね。」だったそうです。
それからの僕。お母さんに代わって、お仕事に