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ジュマペール・ジェームス(28)〜お見送りをありがとう

誰もが予測していなかった2019年2月7日(木)午前2時10分。突然僕は、ママンの腕の中から旅立った。あまりに突然すぎてみんなが驚いていた。動物病院の先生も驚いていた。「へへへ、びっくりさせる、これが僕の作戦だった、ワン!」みんなを驚かせた僕に、ママンからのお知らせやフェイスブックページジェームスを見てくれた大勢の人たちが、お別れに来てくれました。ありがとう。そして、ごめんね。だけど、これも僕の作戦!大勢の人に集まってもらえそうな日を選んで、旅立ったよ。

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抱っこされるのが苦手だった僕、おとなしくママンに抱かれています。お目目は開いているけど、旅立った後の僕です。

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僕のお葬式の前。今までにも沢山撮影していたけど、最後の三人家族写真です。

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本当に沢山の方々がお見送りに来てくださいました。近所の方から埼玉県、神奈川県、大阪府、舞鶴市など遠方のリスナーさんまでも駆けつけてくれました。

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長年FM京都αステイションで、ラジオ番組『ハラダイスラジオ』のパーソナリティーを一緒にしていて、『ジュマペールジェームス』『ジェームス・モナ・ムール』の作詞作曲者の原田博行さんが、献花の時に弾き語りをしてくれました。

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今までの新聞記事やポスター、長寿犬認定証などを掲示。

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右側のパパンお手製ベッドに、僕は寝ています。

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沢山のお花をありがとう。

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ステージ衣装や写真、フード、カートなど僕の愛用品を展示。思い出がいっぱいだ、ワン!

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弔電は、観光大使を務めていた岩国市の福田市長、動物愛護関係で、杉本彩さんからもいただきました。

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二尊院の住職、副住職にお経をあげていただき、戒名もつけていただきました。

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『ジュマペール・ジェームス』を聴きながら、お花でいっぱいの僕。

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僕の動画を観ながら初七日。

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小さくなった僕の側で、原田君が歌ってくれました。

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お別れの言葉も沢山いただきました。

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お部屋いっぱいのお花。

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ママンが岩国市出身というご縁で、僕は、岩国市の観光大使に委嘱されていました。岩国市は、カープの二軍球場があります。僕の帽子をママンが注文していたけど告別式の翌日に届いたので、僕は被れませんでした。ママンは帽子を僕に被らせて、お散歩へ行きたかったのです。泣いているママンの姿が見えました。泣かないでね。僕は、17歳3か月、人間の100歳越えるまで大事にしてもらえて、念願のママンの腕の中から旅立って、本当に幸せでした。ママンのこと、僕は心配だなぁ。心配だったから頑張って長生きしたんだけど、僕にだって限界はある・・・ 美和さん、頑張って。



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サポートいただいたお金は全額動物愛護センターへ寄付します。保護犬ジェームス君。孤独で寂しい幼少期を過ごし、後にラジオDJを始めて人気者に。義援金活動を続けていたある日、脳梗塞に倒れ、リハビリのお陰で復活しましたが、やがて寝たきり生活に。ジェームスカレンダーの売上金全額寄付継続中。