不登校②~親が内面と向き合い変化する~

不登校児を抱え悩まれている親御さんは、どうしても学校に行かせることが目標になりがちです。そういう時代に生きてきたので仕方ないですが、そこばかりに焦点を当てていると見逃してしまっていることが沢山あるのではないかと思います。私もそうでしたから。
一方、最近はフリースクールや無理に学校にいかなくてもよいという風向きになっており時代の変化を感じます。娘の学校も、公立ですが子供の個性を大切にし、子供に寄り添った教育に力を入れていると感じています。(校長先生次第だったりしますが…)
子供にも選択肢が与えられ、自分のしっくりくる居場所を見つけられる場合はとても良いことだと思いますし、それが子どもの望んだ不登校の意味なのでしょう。

さて、前回では娘の不登校が問題なのではなく、もはや自分自身の問題なのだと気付いた私がどのように向き合っていったかをお伝えしたいと思います。

子供をどうにかしたい、どうにかしよう、という相手を変えたい、相手に変化を委ねるスタンスでいる場合、以下の内容がしっくりこないかもしれませんが、頭の片隅に少しでも入れてくだされば幸いです。

スピリチュアルヒーリングで自分を知る・癒す

風の時代に入り、よりスピリチュアルという言葉を聞くようになったと思います。スピリチュアルの捉え方はその方面のプロの方でも様々。自分がしっくりくる、腑に落ちることのできるものを選択していく必要があります。キラキラしたものも多いですが、個人的に学んできた上で、『真摯に向き合う姿勢』が一番大切だと思います。
私のヒーラーさんは、ヒーラーさん個人の意見(人間ですのでどうしても偏りが生じてしまうことから)はあまりなく、私の宇宙(高次元の存在、創造主、天使など)からのメッセージを的確に伝えてくださいます。また、その言葉がとてもまっすぐで自分の心にストンと入ってくるので私には合うなと感じました。
私は、医学的なアプローチよりも内面から大きく変わるべきだと思いヒーリングを選択しました。子供の頃から言葉にできない違和感や人のオーラ、気持ちを敏感に感じ取る性質で、スピリチュアルなアプローチは私にとてもしっくりくるものでした。
ヒーリングの内容、詳細について書くべきかどうか今のところ検討中です。

ヒーリングの好転反応〜自己否定の強い私の場合〜

自分のネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーで癒すことにより、身体に大きな反応・変化が起こります。いわば感情のデトックスのような反応が起こるので、これまでため込んでいた不要な感情がどんどん溢れ出してきます。最初はエネルギーに慣れていないため、そんなに強いものではないのですが、私の場合は心がものすごい衝撃を受けたのでしょう、10日間ほどうつ状態になりました。とにかく沈んで落ち込んで悲しくて淋しくて腹が立って…泣いて泣いて…死にたくなる気持ちを必死にこらえて。
(この期間は実家に滞在しました。)
怖いものではなく、当たり前の反応、むしろ良い方向に向かう反応なので安心してください。ちなみに、好転反応が全くない方もいらっしゃるようです。
ついでに、酷い便秘にも悩まされました。便秘は、本来手放すべき不要なものを溜め込む=不要な執着を手放せない、という意味があります。私の不幸中毒・不幸体質は、余計なことをしてくれるな!!と必死にもがいていたのです。自分でもそれが分かるほど、変わりたくない、怖い、という感情が渦巻いていたのを感じました。

内観の習慣化

初めての好転反応が落ち着いてからは、自宅で一人、毎日自分の思いと向き合っていきました。内観する、自分と対話することは、そう簡単ではありませんが、毎日やり続けていくと、どんどん掘り下げていけるようになります。自分の隠された思いに気付いてあげることは、自分を大切にすることと同じです。気付いてあげるだけで、「わかってくれた」と安心感が生まれ、「そうだったんだね」と認めてあげると、やがて消えてなくなります。
手放す覚悟を決められず、執着が強いほど、消えていく時間はかかりますが、諦めず続けることが不可欠です。
まぁ、私の執着の強いこと強いこと…( ;∀;)
そんな時、やはり宇宙はメッセージを送ってくるんですね~
私の場合は、実家の家族とトラブルが発生し、もう変わらざるを得ない状況に(宇宙に)させられた気がします。この家族トラブル、とても意味深いものなので、別記事でお伝えします。

愛のカタチはそれぞれ~親子の愛の学び方を変え、再スタート~

自分の気持ちを整理し、これまでの娘との関係性を見直しました。
人が生まれてくるのにはそれぞれ色んな理由・目的がありますが、その一つに「愛を学ぶ」ためというのがあります。宇宙には善し悪しが存在しないことはご存じですか?私たち人間は色んな経験を積もうと地球に生まれてきますので、その経験が良いも悪いも宇宙には関係がないのです。
だから、虐待で愛を学ぶ親子もいれば、DVで愛を学ぶ夫婦がいるわけなのです。だけど、人間ですから、辛いし悲しいですよね。だったら、その愛の学び方を変えたらいいのです。人間は誰でも選択することができるんです。今辛いのは、自分がそれを選択していることに気付かないといけないんです。そのために、内観が本当に重要なんです。

私と娘の場合は、共依存という愛の学び方をしていましたので、それを変えるに私の自立が必要になります。自立にむけての作業をしているうち、家族トラブルが起こることになります…(上記で触れたものです)

それがきっかけとなり、2カ月ほど預かってもらった実家から娘を自宅へと連れ戻しました。ちゃんと娘に謝りました。

娘が戻った後の生活は、はじめは娘とギクシャクしていましたが、娘のペースを尊重しながら日々を送りました。もちろん、私も以前よりはましなものの、焦りや不安もありました。
しかし、私も自分と向き合いながら生活を続けると、娘は徐々に表情が明るくなり、外にも意識を向け始めました。自分が変わると相手も変わる、と言うじゃないですか。これは、自分が変わると人への見方も変わったりするので、私の世界が変わってきた証拠だと確信を感じました。

実家との確執は生まれてしまったものの、娘との新しい生活は幸せでたまりませんでした。改めてその存在に感謝し、「純粋な愛」というものを初めて実感した気がしました。

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