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随筆(2021/12/11):「反抗期の子供を社会に送り出せるような養育者と同等の立ち振る舞い」という、色恋沙汰における呪われた賢者の石の話(1_12)(公正取引)

1_12.公正取引

1_12_1.「献身vs.公正取引」の構図と、その限界

1_12_1_1.公正取引をやるには、やはりルールブックは明示しなければならない。開示しなかったら「公正」であるための質も量も何もかもが曖昧になり、やってみた具体案は基本空振りになり、自他ともに不平不満が残る

さて、先に説明しておくと、今回のこの記事、べらぼうに長くなってしまいました。
気が付いたら三万五千文字超え。
三万五千文字超え!!!???
(じゃあ詰めろばかたれ)

***

特に今回は、公正取引をするには、前に書いた「ルールブックの開示」が、決定的に重要であるということを、何度も何度も何度も書きます。
公正取引「公正」であるためには、質や量の、大雑把なりに具体的な話は避けられない。
ルールブック抜きでは、質も量も何もかもが曖昧になり、やってみた具体案は基本空振りに終わり、自他ともに不平不満が残る。これでは「公正」取引になっていない。

***

しかし、そんなこと言われても、色恋沙汰ルールブックなどという話を持ち込むの、野村克也監督が野球にインポートデータ野球理論を持ち込んだ時くらい、人によっては冒涜的に感じられるだろう。
秘めたる想いを守るための、恋の駆け引きも、へったくれもない。

「そんなにルールブックをどうこうするのが嫌かって…?
ああ! 超嫌だね!
明け透けは、ロマンティックじゃないからさ…」

という話は、当然出てくるだろう。

(おおひなたごう『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』(2))

だが、色恋沙汰にかかる身の危険は、かなり大部分が、「これ」にまつわる不平不満から出てくるものです。
「秘めたる想いを守るための、恋の駆け引きも、へったくれもない」
という話をしましたが、そもそも
言うべきところまで秘めまくっているから、猜疑心と不信が払拭しきれなくなり、遂には敵意までもを抱かれる
のが、一番の問題なのだ。
だから、そこまでして秘密主義をやるの、かなり危険な火遊びですよ。

***

性嫌悪恋愛嫌悪は、あることです。何一つ「悪い」などとは言いません。
というか、正に私だって、時期によっては性嫌悪や恋愛嫌悪だったことがあった。(うつ状態が深いと、これらはどうしようもなく煩わしくなるし、他人のそれもどうしようもなくうざったく感じられるのです)
んで、しばしばその原因が、(私のようにうつ状態でなく)
「色恋沙汰にまつわる身の危険」
であるのも、ある話ですし、完全にごもっともだと思います。

しかし、ここで
「ルールブックの開示、嫌だね」
という姿勢を取ってもいるのであれば、それは
「後者をしているのに、何で前者がなくて当然と思う…???」
という感想しか、個人的には持ちようがありません。

これ、正に幻滅され、軽蔑されるポイント、ど真ん中ですよ。
ロマンティックとは、他人を幻滅させることや、自分が軽蔑されることなんかよりも優先されることなのか?
そりゃあ、実際にはそうなのかもしれないですよ。
だが、いったん自分への幻滅・軽蔑が脳に発生してしまった相手は、これを「ロマンティック」とはおよそ言うまい。
身の危険とか、ロマンスとか、そういうことを考えた時に、これらは実際には相手には通らないので、やめた方がいいですよ。
これは、相手がいる色恋沙汰なんだから。

そういうのが正に面倒臭くてしょうがないのなら、じゃあ、そこは、まあ、いいや。
それで通すことを、止める謂れは誰にもない。
だが、こうなると、都合の良いポルノや恋愛ものの作品で自分を慰める人たちを、劣情だなんだのと、二度と非難できない。
性嫌悪や恋愛嫌悪か、そうでないかの違いはあるが、これは
自分の都合他人との人間関係へのコストを払うことより重いので、他人とやっていかないことにした
というところにおいては、完全に同じなのだから。

そこで
性や恋愛を、人とやっていくなら、自分にだけ都合が良いのはダメだし、そんな思考回路のままでそれを望むのがそもそもダメ
他人に迷惑をかけていないだけ我々の方がはるかにマシ
と言いたくなるかもしれないが、これは社会の中では
我々よりお前らの方が悪い
悪いんだから何らかの制裁に相応しい
ということと同じ効果がある。

「自分はそう思って言ったのではない」?
だとしても、世間的にどう聞こえるか考えた方がいいでしょうね。
ふつうは「そう」聞こえるし、
「自分はそう思って言ったのではない」
というの、外形的には口から出任せの言い訳と区別が出来ない。
何でそんなことをしてしまっているのか? ダメですよ。それ。

さて、実際に制裁に相応しいかどうかは別として、言われた側
「うわっ! 何だコイツ! ウザッ!」
とメチャクチャ迷惑に思いますよ。
制裁に相応しいかどうかは、この発言が迷惑そのものであるという効果を、何ら打ち消したりはしない。当たり前でしょう。

罰されたら甘んじて受け容れるのが当然で、そうでないやつは感覚がおかしい」?
なんだから、ちょっとやそっとのことじゃ、受け容れたくないのは当たり前だし、受け容れざるを得ないための要件は、もちろんある程度は大雑把であっても、そりゃあだいぶシリアスに問われますよ。

ぶっちゃけ、
「お前らに何の権利があるのか?
道徳的優位性!?
お前らは市井道徳的優位性と、国等警察・司法・刑務権区別もつかないのか!?
くらいのことは、そりゃあ言われますよ。
21世紀の日本の刑法制度だと、それはマジでそうなので、激烈な反発、まあしょうがないのではないでしょうか。鎌倉武士団くらい前時代的ですね。

1_12_1_2.ここまでの布石を踏んで行われる公正取引と、踏んでないで行われる公正取引は、「正しい布石」と「返済の仕方を伴わない前借り」くらいの違いがある

あと、公正取引そのものを一足飛びにやるニーズは、あります。
努力による構築以前に、今トラブルを解消しないと、脳が焼けこげる時ですね。
よくあります。というか、ちょっと見ればそんな事例ばっかりでしょう。

そこで
耐えられないのは根性が足りないからだ。
そんなトラブルは解消しなくてよいくらいのもので、存在していないに等しい。
だから、ほっとくのが正解
とか思ってると、大きな揉め事になります。
問題は現にそこにあるし、だったらこれを言った人たちは、その目で見ていて鼻で笑いやがった。という話にしかならないじゃないですか。
そりゃあ、キレられもしよう。当たり前だよ。

***

ただし、この公正取引を、悪しきものとして忌む動機は、それなりの正当性があります。
何か?
これは、今まで書いた、かったるい色恋沙汰の王道(王道か?)をやるという観点からすると、答え合わせする前に答えを見ているのと同じ、ズルだからです。

公正取引をやっている人たちからは、
「王道とやらをしなくても、現に結果は得られるではないか。
じゃあ、かったるい、いつまでたっても報われない、ルールブックすら開示されないから無駄で無残な失敗の死屍累々が待っている、そんな死地の王道(デスマーチ)、要らんわボケ」

くらいのことは思われてる。
それそのものは完全にもっともで、ルールブックの開示がなされていないことについては、掛け値なしにマジで開示しない人たちのズルだ。

が、公正取引だけに頼っているだけでは、「自力で構築する」ことは、永遠に出来ないだろう。
「構築しないでも得られるんなら、構築しない」
というの、その通りだし、これは資力が尽きるまで続くだろう。
そして資力は取引で使ったら尽きるのであり、設備投資めいた構築には決して用いられないから、増えることもない。そこも明らかだ。
資力を消したくないなら、金の卵と、そして金の卵を生むガチョウ、殖やさなきゃならん。構築とはそういう行為であり、それはやはりやんなきゃダメなんだよな。
じゃあ、この手の公正取引は、実際には返済の仕方を伴わない前借りだ。ヤバイ。

***

ルールブックの開示はともかく、自分の神聖にて私秘的な心の瑞々しくやわらかいところの開示は、本来「金品の報酬」でなく、「相手の王道の努力でこちらが大小の感動を受けた」という理由によってしか開示したくないんだよな。
鍵と鍵穴が違うんだから、金なんかいくらもらっても、感動しなかったら、出来ればそこは立入禁止のままにしていたいんだよなあ。
金は針金じゃないぞ。それで鍵穴をコチョコチョして開けて、「公正でござい」じゃあないんだよな。それはただのピッキングによる侵入者なんだよなあ。

貨幣公正取引で使われるワイルドカードだが、その万能性は限られている。
餅は餅屋なのであり、適合する決済手段には勝てない。
そして、「適合する決済手段でなければならないと相手が言っている」場合は、それなしではどうしようもない。例えば貨幣では決済出来ない。つまり、絵に描いた餅ではダメなのだ。
実際の何らかが必要だというときに、実は貨幣には即応性がそこまでない。
手を動かすのが一番早いことはたくさんある。というか、ほとんどそんなんばっかだ。
そんな時に、金がどんだけあっても、しょうがないじゃん。

***

言っておくが、「一般に金品の報酬が卑しい」という訳ではない。
こんなことを言っている人、労力の対価や評価の証としての報酬を、卑しいと思ってる。ということだ。
私は労働者であり、かつては取引者でもあったので、こんな労力も評価も報酬もごみだと思っている話到底受け入れられない。

問題は、報酬をもらって
「そうそう今これが欲しいんだよな」
と満足する場合
と、
「そういうのが今欲しいんじゃねー」
となる場合があるということだ。
いつだって、適合するものを渡さねばならない。という話からは避けられない。(さっき書いた、貨幣のワイルドカード機能の有限性の話だ)

***

色恋沙汰でも「何かをあげる」行為の目的「グッと来るほど喜んでもらう」ことにあり、その本質は「献身」にあるのだ。
金品の価値はその手段でしかない。
しかもその価値は「グッとくるかどうか」という審美的価値であって、直接的な経済的価値ではないことに注意しなければならない。
大事な話だ。

1_12_1_3.逆に、ここまでの布石を踏んでいる相手の公正取引を「返済の仕方を伴わない前借り」と思って蹴飛ばすのは、「この先伸び代がない、詰んでる色恋沙汰」くらいの負の印象を相手に与える

逆に、ここまでの布石を踏んでいる相手公正取引
「返済の仕方を伴わない前借り」
と思って蹴飛ばすのは、
「この先伸び代がない、詰んでる色恋沙汰」
くらいの負の印象を相手に与えます。

当たり前だよね。
つまりは、
相手の喜びや、相手が自分の喜びのためにしてくれたことに、見合うようなことをするという営み自体、
だと言っている訳だ。
そんなやつに、幻滅しないで済むと思うか?
まして、この先、粗略に扱われないで済むと思うか?
というか、付き合いが続くと思うか?
そういうことです。マジで気を付けましょう。

構築している人は構築しているのであり、その上で
「相手の喜びや、相手が自分の喜びのためにしてくれたことに、見合うようなことをする」
ということをしてくれている訳です。
ふつう、それは「見合うようなものをお出しできるよう、構築してきた」人がやる、実質を伴う公正取引です。

それで相手が喜ばないのは、実際にはまだまだ見合っていないからだ。
これは当然、相手に適合する形のサービスを行うか、あるいは単純にもっとサービスのレベルを上げることで対処できる。
そこの解決は、「見る」をやれば、さほど難しくはない。

あるいは、より悪い場合だと、相手が
「そもそも、相手の喜びや、相手が自分の喜びのためにしてくれたことに、見合うようなことをするの、本質的前借りだから、そんなことするやつは解釈違い
という先入観を持っているからであることが多い。
これについては、
公正取引において、「前借り」は何ら本質ではない。
「相手に見合うこと」が本質だ。
お前なぁんか勘ちがいしとりゃせんか?」
としか言えないんだよな。

***

ちなみに、相手のサービスが自分にとって感動しているかそうでないかの開示も、もちろんルールブックの開示です。
「判定入ります! 成功!
「判定入ります! 適合ラインはここですが、これに適合しません! 失敗!
これを言わないで、いきなりゲームオーバーにするやつの恋愛ゲームなんか、付き合わされてる側にとっては、そりゃあ端的にクソゲーであろう。
そういうことをしないようにしましょう。

1_12_1_4.献身の人たちは公正取引を蔑むことがしばしばあるが、そこはちょっと落ち着いた方がいいですよ

前回も書いたが、献身が、いつの日か盗人猛々しい人たちの食い物にされることがありうる。
そういうことを避けるためには、そこには「報いる」という話は入って来ざるを得ない。
あとは、「量的に見合う」という話も。
こうして、どんどんと、相手のしてくれたことに見合うように、気を遣うようになっていく。
要するに、公正取引の話になる。

これ、ある種の献身の人たちの目からは、「純度が低い、卑しい」という風に映るでしょう。

が、そもそも、「盗人猛々しい人に搾取される献身」自体が、世界残酷物語なんですよ。もちろん。
盗人猛々しい人が、献身している人を「報いる価値がない程度に卑しい」と思っているから、搾取されているのですね。
そういう相手の蔑みによって、搾取的に利用されている、己の献身の「純度」や「尊さ」。
そういったものについて、少なくとも俺は、あんまり論じようという気になれない。

1_12_1_5.もちろん献身は尊いし、それをナメるやつはお話にならない

「お前の優しさは、ツアーガイドのような至れり尽くせりだ。
ツアーガイドのようなレベルで優しくしてくれる人を、彼氏として見てくれる人はまずいない。
お前はただのサービス業者だと思われている。一人の人間だとは思われていない。
挙句、相手はそれに報いるつもりがない。「役目でしょ」くらいに思っている」

と俺に忠告してくれた同年代の男性がいます。

嫌な話ですが、当のそいつも、自分自身の家族のことを、ただのサービス業者だと思っていた。際限なく搾取し、暴力も振るっていた。
問題解決のため、私や私以外は努力したが、結果的には彼には彼の家族と別れてもらうことになったし、私や私以外も彼とは別れることにした。
もう会うことはないでしょう。ああ思い出すと腹が立つ。

***

また、
「お前は人一般に向けてサービスしているが、相手を見ていないから、要は相手そのものはナメているんだよクソフェミ。
あと、恋愛の場は外形と共通の会話がキモで、人間の出来た人を求めて恋愛の場に出向いているお前は、解釈違いもいいところだ。
まして、お前の人間性なんかどんだけ練り上げても、そんなもんあって当たり前のもので、マイナスではないとはいえゼロの価値しかなく、そんなところは何のプラスの売りにもならないんだからな。

お前の努力は、直接的には、何の意味もなかった」
という忠告をして下さった同年代の女性もいらっしゃいました。

私はその都度相手を見ていたのですが、それでは後手後手になることを痛感していたので、前もって準備などいろいろやっていたのですが、それを上のように無駄な努力として鼻で笑われて非難された訳です。
言っていることはよく分かりました。だが、「人間性が無駄」というのは、恋愛においてはそうかもしれないが、一般的にこれを言うと、まあ、侮辱ですよ。
「恋愛以外の理由で人間性を磨かなければならないことは多々あるのだとしても、それらは恋愛では基本的に評価外なんだから、恋愛を目指すお前にとっては、人間性は無意味である。しかも、常に」
という話、かなり避けられないと思うんだけど…
んで、こちとら、そんな話をお出しされても、「は?」としか思えないんだけど…

言われている相手が恋愛のことしか考えてないならそれでもまあギリ行けるが、ふつうはそうではないので、完全にアウトだと思います。
「恋愛のことが最優先で、他のことは差し当たり優先度が低いときの、色恋ロマンティック特大感情モードの人」
に恋愛の話をしているのか、
「恋愛以外にもやることがたくさんある俺」
に話をしているつもりなのか、どっちかにしろ。

あまりにもナメられたことを言われたので、それ以来その人とはずーっと口も利いておりませんでしたし、この前、遂にはっきりと
「あなたは、ナメている人を、基本的に人間扱いしないところが散見される。
というか、燃やしたら面白い人間松明だと思っているのではないでしょうか。
そして、あなたの言葉の端々から、私も人間扱いされていない疑いが強い。と判断される。私に。
そういうの、本当に、やめた方がいいですよ。

私はあなたに人間松明にさせられたくないし、今までも、今も、非常に警戒しております」
とお伝えし、その後再び口を利いておりません。

いろいろ助言もいただいた方ですが、思えば都合よくマウントできる相手だったからそんなことをしでかしてくれていたんで、本質的にはバカガキにドヤ顔で説教したかったのだなあ。
おそらく、吹き込まれたことの中には、デタラメもたくさんあったことだろう
し、それを真に受けた俺はアホもいいところなのであろう。
思い返せば思い当たる節ばかりだ。ちっ。

***

まあ、あんまりかつての親戚や友達の悪口は言いたくないんですよ。
彼らは彼らなりに善意で言っていたのだと信じたい。

ただ、それはそれとして、あまりにも言ってることとやってることが違う。
ふつう、言ってることとやってることが違うと、それは「不誠実」と見なされるし、不誠実な情報を吹き込む「助言」、ふつう丸っきり役に立たない。何なら有害まである。
私はそういうのに巻き込まれるのは御免だ。だから、「そのお話は聞けまへンな」としか言えないんですよね。

***

あのですね、いや、その、そもそも、俺、この路線をやめる気、ないんですよ…やめると俺の存在級位ははっきりと下がっちゃうんで…
これは色恋沙汰の話でもないんですよ。己の「やっていける」という自己効力感や、「ちゃんとやった」という美意識の積み重なった支柱、要するに、誇りとか品位とかの話なんです
(こう書いたら途端に俗っぽくなるが)

(画像はツアーガイドめいた善性の塊ながら、ビックリするほどモテないので風俗に入り浸っていたり、稀に付き合っても最終的に別れたりして、いろいろあって今は養父をやっている、矛盾ニンジャ、シルバーキー=サン

1_12_1_6.「サービス業者からボる」、「サービス業者としてボられる」、「ペ〇ス、そして破滅願望」、頭のおかしなファム・ファタール的美学

むしろ、「サービス業者からボる」ような思考回路で、俺を彼氏にしようとしてくる人に、俺は心底モテたくないんで…そこはマジで要らねえ…

と言うと、秒でやってきて、「それは酸っぱいブドウですね」と、したり顔で言ってくる人、います。
酔ってんじゃねえ。少しはシラフで考えろ。
そういう「ボられる」形でモテて、色恋沙汰の「実績解除」をするの、酸っぱいとか、シラフでなさとか以前に、ただの苦痛では?
 ワインとバルサミコと苦杯の区別がつかないほど酔っているのか?
というか、そんな搾取的な恋、やることが「望ましい」、限りなく「義務」に近いなんかなんじゃね? 義務感でやる、搾取される恋、それって楽しいのですか? 極めて理解に苦しむが…

というか、これ、「ボられてもモテたいのが当たり前であり、そうでないのは異常者」ということを言っている。ということにしかならないんですよね。
分からん。そんな人の精神構造、真剣に怖い。
「ペ〇ス、そして破滅願望」という、頭のおかしなファム・ファタール(破滅の宿命を自分に持ってきた魔性の女)的美学が、世の中にはある
ことは、知識としては知っているんですけど、やめといた方がいいですよ。
最悪の場合、人一人が、再利用性のある内臓と、その他の部位に分割されて、命を失うことだってある。
一夜の夢だけで(最悪本当にただの夢で)人生全部サクリファイスする気か? その破滅願望、本当に嬉しいか? ただの世界残酷物語では?

1_12_1_7.世界残酷物語のキラ付けや美化をするの、脳のバグですよ

で、その「残酷」(しかも自分はされている側だ)に対して、「純度」とか「尊さ」とかでキラ付けして美化するのも去ることながら、
「献身は純度が高くて尊くて素晴らしく、公正取引は純度が低くて卑しくて素晴らしくない」
というの、その時点で
「何らかの自分の心を守る防衛機制のために、認知の歪みが発生して、発想が書き換えられているのでは?」
という風に、個人的にはまず捉えてしまうんですね(言い方がカフェ・ド・鬼畜生すぎやしないか?)

ぶっちゃけ、その手の搾取的な献身によって、己の破滅が視野に入ったら、たぶんそこで考え方が変わる人もいるでしょうね…
脳が慣らされてしまっていて、今更もう変わりっこない。という人も当然たくさんいるだろうが、ふつうは自らの破滅はかなりインパクトのある事態です

1_12_1_8.献身や返礼や公正取引と、権力勾配関係とのかかわり(「自分が献身をすると自分が卑しくなる」論者vs.「献身をしないやつは卑しい」論者)

相手に奉仕されるとか、奉仕するとか、そういうことは、いつの日か、相手をナメているか否か。というテーマに触れざるを得ません。(私は奉仕の結果、ナメられて今に至るしな)
そして、お互いがお互いのためにすることとか、公正取引とか、そういうことは、対等であるかどうか。というテーマにつながっていく。そう私は考えています。

***

相手へのナメ方は、主に二つの現れ方をします。(他にもあるかもしれませんが、今回のテーマからは外れます)

一つはかなりベタな考え方で、
「自分が偉い、少なくとも相手に対して何らかのアドバンテージ(優位性)があるから、相手は自分に捧げるのだ。
自分が相手に返礼するの、自分の地位を自ら否定することなので、自分の生活はどんどん貧しくなる。
公正取引によって今より貧しくなるの、自分の幸福の最大化に鑑みて、損をするだけなので、何らやる謂れがない」

というやつだ。

もう一つはもう少し小賢しい。
「返礼をしない、盗人猛々しい人、『邪悪なので制裁を甘受すべき低い地位』である」
というやつだ。

これらが真っ向から対立するのは、まあ分かるでしょう。
前者
「返礼をするのは、地位の低さの表明であり、返礼をすると地位が低くなる」
という話です。
で、後者
「そういうことを横行させていると公正取引は粉々になるから、そんなことは許さない。
むしろ、返礼をしないやつ、地位を引きずり下ろしてよい」

という話なんだから。

***

前者と後者を比べたら、「前者の方が前からある本質的な正しさだ」と考えざるを得ない。
返礼や公正取引がない頃からも、「相手に何かしてもらう」というシチュエーションがある限り、前者の価値観のようなものは常にあっただろう。
後者は、返礼公正取引があって初めて成り立つものだ。

だが、この社会公正取引が一応は「ある」社会なので、後者の理屈を否定したら、社会は石器時代(よりおそらくはさらに昔の状態)に戻ってしまう。

前者の理屈の正しさは、石器時代の正しさだ。

それはある種の王道かもしれないが、いくつかの問題を絶対に解決しない。
例えば、公正取引における詐欺略奪とか。
今正にそこが後者に問われているのに、前者が石器時代の正しい王道を振りかざせば振りかざすほど、「私は目の前の問題を絶対に解決しない」と高らかに宣言しているに等しい。

後者のことを鼻で笑って見なかったことにして、前者だけ採用して正しいとする。という話、
「北ベトナムを石器時代に戻してやれ」
という意味合いを内包するので、ものすごくやめといた方がいいですよ。
そう言う人、後ろから、大きめの石器で、後頭部をガツーンされるだけだから。
自分だけが免れうる? そんな訳がないんだよな。自分を特権視しすぎだ。

1_12_1_9.対等な立ち位置を伴う人間関係においては、公正取引の話を無視は出来ない

えーと、何の話だっけ。
そうそう、「返礼をすると卑しくなるので損をする」派と、「返礼をしないやつはそもそも卑しく、それどころか有害なので、損をさせた上で追い払ってやる」派というのが、います。
この社会返礼公正取引の存在する社会なので、後者の話は避けられません。
それをやらないと、そもそも「対等な人間扱いをされない」ことすらふつうにありうる。公正取引を「しない」ことが、ある種の地位を「損なう」んですね。
だから、公正取引対等な人間関係の、かなり不可欠に近い前提であると言えるでしょう。

もちろん、これは「公正取引をすれば直ちに対等な人間関係が生じる」という話とは全く別なので、そこは気をつけねばならない。
「なきゃ出来ない」「あったら出来る」は、基本的には別の話です。

とはいえ、一度または複数回の公正取引に基づいて、「相手との間に公正取引が成り立っているという信頼」を構築することが出来ます。
これには他の、例えば「役目の人に頼めば(頼まなくても勝手に)やってくれるという信頼」とは違うところがあり、「相手が自分と同じ土俵に立っている、対等な相手である」ことを認めさせる効果があります。
このようにして、「対等である」という対人認知が出来てしまえば、対等な人間関係が成り立つのはかなり容易です。

また、いったん「対等である」という対人認知をしてしまった相手に、搾取を仕掛けるには、かなり不自然な、あえての気合いが要る。
ふつうは、対等だと認めた相手には、対等な人間関係を結んでいろいろやった方が、はるかに脳にとって自然です。
こうなると、搾取は、いったん、止まる。

(この話は「信頼関係」「対等な人間関係」の話で効いてきます。
が、まあそれはもうしばらく先の話になります)

1_12_1_10.とはいえ、公正取引と搾取の問題に、人権思想はあまり効かない。議論領域が違う

今までの話は、もちろん比較的最近の人権思想「より前の」古い正しさの話で、人権思想では搾取者も人間扱いされるし、搾取など最初から折り込み済みだ。
が、この更なる新しい理屈は、「公正取引の世界の例外たる搾取者」が、社会で適応的に生きていくためには絶大な効果を発揮するが、「公正取引の世界」そのものにおいては当然何の力もない。
だって、そんな理屈は、公正取引の世界の水準においては、徹頭徹尾「外部」のものでしかないんだから。
世界地図を山岳村落に持っていって環境問題を説いて、彼らが海洋廃棄物問題や砂漠緑化運動にあまねく関心を持たなかったらキレる環境運動家、かなり最悪だと言える。

どこでもそうだが、適正な議論領域というものがあり、そこに効いてこない、そのくせ御大層な話をどれだけしても、それはその議論領域では何らの意味も持ち得ない。
それは、プログラマ用語、特にデータベース用語で言うと、正しくも(true)間違っても(false)いないかもしれないが、無意味(null)、特に適用除外(inapplicable)というカテゴリーに含まれる。
そう、無意味なんですよね。その手の正義しぐさ。

でも、「ギブアンドテイク」公正取引と、「人間扱いされる」人権は、いつかはすりあわせなければならない。
後で、その試みをします。(それは、個人が、個人を越えた人間関係を維持するための、個人を越えたルーチン、つまりはある種の労働の話になるはずです。)

1_12_2.役目しか見てもらえていない場合、献身をしても、まともに遇されない

1_12_2_1.「役目でしょ」と言いながら、相手の主体性や側面を勝手に切り取って、自分が利用してはならない

そもそも、献身について、極めて警戒している人たち懸念は、いろんな理由から、残念ながらだいぶ正当なものです。
大きな理由の一つが、「役目でしょ」と言いながら献身を強いて、しかも報いない人たちの存在です。

社会が大きくなったら、分業は避けられません。
誰もやりたくない、嫌な仕事もあります。
自発的にやってもらうと、これはそのままでは誰にもやってもらえません。その仕事が実際には社会にとって重要だったり不可欠だったりした場合、結果としてその社会崩壊します。住民は直ちに隣の強大な社会か盗賊のエサです。
どうしても必要とされているジャンルの場合、社会的にやらせて無償を余儀なくさせ、何ならそれをおだてて自発的にやらせる。と言う話すらあり得ます。
ジェンダー血縁地縁職能で、この手の立ち位置を確保し、流動性を下げる。というの、よくある話でしょう)
そう言う部分社会の成員であると、本人はそれによって不利益を被っていて愉快ならざる状態だったとしても、これを転覆させるのには大きな抵抗を感じるようになります。
だって、止めたら部分社会や社会が回らなくなるんだから。
他のやつら、何なら顔見知りの連中餓死にまで、責任を問われたくはないし、私刑で囲んで棒で叩かれてなぶり殺しにされたくもないもんだ。

***

やや話は変わりますが。(とはいえ、上の話を踏まえた内容です)
色恋沙汰において、相手を、聖母とも娼婦とも、女王様とも奴隷とも思うな。対等な同じ人間だと思え。ということはよく言われます。

念のため。聖母や娼婦や女王様や奴隷は、人間ですよ。もちろん。
そういう人間性のうちの一面だけ切り取って、自分の都合のいいように使い捨てるな。少なくとも、そういう契約じゃないんなら。「役目でしょ」じゃあないんだよ。その役目とやらを自発的に受け入れた覚えはないんだから。ということです。

これは非常に重要な話で、ある人の側面で、価値のあるものは、ある人が提供して、何なら対価を得る、そういう性質のものだ。
もちろん提供しない選択肢もあり得る。何しろ本質的にはその人のものなんだから。提供する義務、ある訳がない。

そして、それ以上に大事な話がある。その人が商品なのではない。その人は、価値ある何かを売っている、店長なのだ。そこを履き違えないようにしなければならない。
店長をキレさせたら、そりゃあ門前払いしかありえないだろうよ。「やってよ。役目でしょ」という話以前に、店長の側が「取引したくない」「なおもガタガタ言うなら相応の手段に訴える」って言ってるんだ。
例えば、飲食店の店長が、何か地雷を踏まれたような顔で、包丁を両手にぶら下げてゆらりと近づいてきた時に、「次の料理はまだかよ。はよせえ」という人、まあ「分かってない人」でしょう。

自分の立場が分かっているのか。死ぬかどうかの瀬戸際なんだぞ。そういう話なんです。

1_12_2_2.人からいろんな顔を向けられた時に、一面だけ受け留める、という都合の良い話では、それなりの関係しか持てない。全部きちんと受け留めていくことが強く望ましい

人間性は多面性を持つので、いろんな顔を持っていて当たり前であり、それが都合がよかろうとも悪かろうとも受け入れていくことが強く望ましい。
拒む面が多ければ多いほど、その人とのつながりは狭くなる。

何なら、
「そんな狭いつながりしか持てないなら、最初から要らん。そんなわけであなたとはもうこれっきりだ」
ということも多々あるだろうし、そうなったらもうそこまでで関係を打ち切った方が、明らかに生活上は円滑だ。

その上で、なおも関係を維持しようとする? そのための「努力」を、TPOを逸しておきながら、なおもする? ある種のストーカーの類型ですね。

***

あと、言いたくないが、白馬の王子様やホストを人間だと思っていない人、山のようにいるからな。
そういう人、相手の心を、要するに
「自分に心理的にサービスしてくれるための、あって嬉しい、ないと腹立たしい機能」
として実質的には扱っているし、同意なり合意なりのことも
「二人の責任を相手一人だけが丸かぶりして、いかなる抵抗もしないでいてくれる、社会的に搾取する際に都合の良い、あって嬉しい、ないと腹立たしい機能」
として実質的には扱っている。

「身体的に搾取することしか考えていない!」
「身体的にも心理的にも社会的にも相手のことを搾取したい人が、よくもまあそういうことを抜け抜けと言うよなあ。盗人猛々しさ三倍段だなあ」


そういうコントみたいな話、残念ながら、ある。
だから私はこの手の議論にメチャクチャ冷たい。
どっちの肩も持ちたくないっすねえ。マジでヤっすよ。こんなんに巻き込まれるの。

1_12_3.「何かしてくれたから、恩返ししないといけないよな」というのは、進化の結果、乗り越えた、大きな一里塚の一つだ

ずーっと書いてることだが、差し当たり、相手への何らかの反応は、しなければならない。という倫理観が、世の中にはある。
自分を振り返ってみると、たぶんそう低くない確率で、脳内にそういうのが埋まっていることに気付かされるだろう。

この「相手に反応しなければならない」という倫理観には、いくつかのバリエーションがある。
その中で、特に大事なのが、まずは、「何かしてくれたから、有難うと言わなきゃならないし、恩返ししないといけないよな」というやつだ。
そして、それこそが、「相手の有難い思いやりの行動に恩義を感じる」とか、「何か自分も有難うの言葉(謝辞)や恩返し(返礼)がしたい」とか、「お互いがお互いのためにする」とか、もっと進んで「公正取引」とか、そういうことの、心理的な動機だ。
(進化的には別に、心理的な動機なんかは、ただのおまけなのかも知れないが)

これは、進化の結果、乗り越えた、大きな一里塚の一つだ。
「これがヒトとそれ以外を別つ画期だ」みたいな証拠に乏しいことは流石に言わないけれど(いくつかの類人猿でも見られることだし)、それは明らかに子育ての優しさのようなケア倫理ではないし、だから比較的新しい倫理観だ。
子育ての優しさには哺乳類等においてかなりの普遍性があるが、報恩の公正は、やはり、いくつかの類人猿等にしか見られない、やや珍しいものだ。
そして、もちろんこれは、ヒトにも埋まっている。そこが大事なのだ。

こう言うのがないなら、ないで、しょうがないんだが、
「サービスを受けており、有難く嬉しいが、特に感謝などしていないし、相手のサービス精神に応えたくはない」
と言うの、だいぶ盗人猛々しさがすごい。と言えるだろう。
困ったなあ。
それじゃあ先に進めないし、打ち切られちゃうよ。
相手は基本、サービス業者じゃないし、相手に納得のいくだけの報酬も払っておらず、そうでなくとも感謝や評価を形にしてもいないんだから。査定なしって言ってるんだから。
そりゃあ、嫌気も差すよ。

1_12_4.公正取引は相手からの好意のシグナルでもありうる。ただし、そうでない場合ももちろんありうるので、そこは見極めるべき

公正取引には、ある種の有難いおまけがあります。

実は、公正取引は、自分が相手に好意を持っているだけでなく、相手が自分に好意を持っている、ということを示すシグナルとしても捉えられます。
だって、「相手が」「自分に」好意を抱いて、自分に献身を示すなら、それはもちろん「相手の有難い思いやりの行動に恩義を感じる」とか、「何か自分も恩返し(返礼)がしたい」とか、「お互いがお互いのためにする」とか、もっと進んで「公正取引」とかの形をとることになるもの。

***

実は、そうではない話もあります。
返礼は、好意とかそういうのがあろうがなかろうが、やらねばならない。これは義務だから」
という気持ちでやっている人もたくさんいます。
この場合、その返礼は、相手からの恩義の念のシグナルとしては明瞭でも、相手からの好意のシグナルとしては何の役にも立ちません。
そこの見極めは、時間をかけて、ゆっくりとやっていきましょう。

***

公正取引は、献身の概念がなくても、実は、出来ます。
献身から公正取引へのルートはあるが、その他のルートももちろんある。ということです。
恩義や義務感の話は上でしましたが、もっと非常に即物的には、報酬(たいていは代金給料)からの公正取引へのルートとか、よくある。

そして、献身から公正取引のルートを採る人や、または公正取引を蔑んでいるのでこのルートを採りたくない人は、献身以外から公正取引へのルートを進む人や、特にそうやって生計を立てている業種の人を、やれ「純度が低い」、やれ「卑しい」蔑むんですね。

その蔑む姿勢そのものが、たいへん「人をナメている」し、
人間の本懐『ナメながら殺す奴らにナメられた、だから先手打って殺すんだ』である(河部真道『バンデット-偽伝太平記-』なのかSound Horizon "Chronicle 2nd"なのかどっちかにしろ)。
人をナメたら報復として殺されるの、かなり当たり前であろう。
今は単に、近代刑法みたいな人工的な便利な前提があるから、そうなってないだけだ(それこそが重要なのだが)。
むしろ、何でそんなことして殺されないと思っているのか、サッパリ分からない。
よく皆、軽々しく他人をナメるよな

という世界観は、せめて脳の片隅に置いておいた方が良いですよ。
(そして、これが後々「対等な人間関係」の話につながるのです

***

まあ、そんな訳で、好意献身基づかない類いの公正取引というものも、しばしばあります。
相手からの好意が大事なら、そこは見誤らないようにしましょう。
好意でないものを好意として受け取るの、かなり無礼なことです。名前や誕生日を間違えるくらいには。

***

逆に、相手を喜ばせていようが何だろうが、相手からの恩義の念や、それどころか好印象や受容や理解や評価や好意がないことが、虚心坦懐に見ておそらく観察される場合もあります。
そういう時にまで、相手に対して、「何か自分も恩返し(返礼)がしたい」だの「お互いがお互いのためにする」だの「公正取引」だの、期待しない方がいいですよ。
それは、相手のケチ臭さや搾取の問題というより、相手に恩義の念や、果ては好意を抱かせられていない、自分の喜ばせ方の不足の問題です。
もっと喜ばせ方を考えるか、いっそそういうのが負担なら、スパッと諦めた方がいいですよ。

1_12_5.性行為の公正取引の話も一応触れておかねばならない。見たくなかったところから、見ておいた方がいい話が眠っている

1_12_5_1.この世は性嫌悪の人たちばかりではないが、性嫌悪の人たちと、パートナー(候補)相手の性行為はウェルカムな人たちを、外形的に区別するシグナルは、ふつう示されていない。実はここはリスクです

上の流れで、もう一個、嫌な話をします。性行為の公正取引の話です。

もうこの単語の並びだけで嫌って人もいるでしょう。だからこそ、今から地獄の話をします)

そもそも、性行為の話は、ここからだいぶ先の記事で予定されていることなのです。
(性行為の話題は、避けると実害が大きいので、やるんです。よろしく)

ですが、今のうちに、ちょっと書いてしまいます。

***

繰り返しますし、よくある話ですが、性嫌悪の人たち、かなりいます。

性行為は、受け容れたくないなら、受け容れる謂れはない。やりたくないんだから。そこに何らの義務も存在しない。ここは鉄則である。
いかなる信頼関係も、いかなる心の開示をもってしても、性嫌悪であることは、当然に認められている。
そもそも、心の開示を行うと、いずれ邪魔っけな性行為が、低くないリスクで待ち構えているのなら、何も開示したくない。
そういうことなら、ルールブックの開示だって嫌だ。
そこも、断固として正しい要求でしょう。
何ならそもそも色恋沙汰そのものだってリスクだ。嫌だ。
そういう恋愛嫌悪も、最近は認められつつある。
これは明らかにとても良い傾向だ。

***

到底信じがたいが、今では理解できることがあり、世の中にはなんと性嫌悪でない人たちがいます。
これは本当にそうで、彼らは自分たちが性嫌悪であると思われることを、非常に強い侮辱と捉えることすらあります。
「そんな馬鹿な。観測される事象と違う」
と言いたくなるかもしれませんが、そういう世界認識のまま生きていると、
「パートナーやパートナーたりうる人との性行為は、喜ばしいし、歓迎している。
歓迎していないとでも思ったのか? ガキか?」
とか、
「お前はクラスタの違う人たちを十把一絡げにするほど解像度が低いのか?
そんな目利きで人と接するの、他人の信仰している宗教や、支持している政党や、応援している球団を間違えるくらい、猛烈に侮辱的なことなんだからな」

と罵られる日がいつか来ます。

当たり前ですよね。
性嫌悪の人たちと、パートナー(候補)との性行為を歓迎する人たちを、「同じルールブックに則って振る舞っている」考える方がおかしい。
性行為の受容度にはグラデーションがある。そこは、ちゃんと見なければならない。

***

とはいえ、見て分かるような示され方はしていないんですよ。
そこのルールブックが開示されていないし、分からないようなシグナルしか出されていないのだから、外形的にこの二つの(グラデーションがあるから、本当はもっとある)クラスタを見分けることには、壊滅的なコストとリスクを伴う。
これで「ちゃんと見分けを付けろ。間違えられるの、迷惑だ」と言われても、事実上無理な相談だ。

「私は性嫌悪、恋愛嫌悪です。色恋沙汰を期待する者、一人残らず、直ちにここから立ち去れ」
と、
「私は、これこれの手順をちゃんと踏める人なら、ウェルカムとは断言できないが、むしろグッとくる可能性はある。
しかし、この手順すら踏めないやつは、金輪際ここから入って来るな
というの、かなり明瞭なルールブックだし、識別も容易です。

が、後者をちゃんとやる人、ほぼいないでしょう。
当然、見ている側識別を基本過つことになる。

出してもいないシグナルを深読みして、誤った行動に出られるの、迷惑ですよね。
でも、じゃあ、
「だから明瞭なシグナルを出しまくれば、誤読の可能性は、ゼロとは確約できないが、激減はする」
という話にしかならないんだよな。
この話、そんなに、嫌か?

「何で目利きの分からんあほどものために、この私がそんなことにコスト割かなきゃならんのだ? 私が割くべきコストとは到底思われない」

いや? あなたしか知らないニーズである可能性が高いのだし、だとしたらあなたの割くべきコストですよ?
どう考えても、あなたのニーズは、ふつうあなたが一番分かる。
というか、他人はあなたのニーズを半分程度未満しか知らないのが当たり前だし、
「他人は自分のニーズを半分程度以上知っていて当たり前だ」
というの、世間的にもかなり行き過ぎた要求、無理難題に属します。

ここを明瞭にするの、相手の猜疑心と、それで振り回されていることに伴う不信敵意の払拭のために、とても大切なことですよ。
相手の猜疑心と不信と敵意にかかることだから、そりゃあ自分の安全のためには決定的に大事ですよ。
安全の件で文句を言うからには、こんなところで逆にリスクをガン積みするの、だいぶ無茶苦茶である。ということです。
これをもしやっちゃっているのなら、ヤバイ。

1_12_5_2.性行為の公正取引を、自分が嫌っているからやらないのは当然の話だが、「だからこそ」「自分以外の」他人と他人が取引をする成り行きは避けられない。その上で、他人同士の取引を不公正と見なしてやめさせるの、自分の都合と価値観を他人たちに強いているだけだ

さて。
いよいよ、性行為の公正取引の話に、入ります。

***

よく問われる話として、
「なぜ性の安売りを正当化するやつらが目につくのか」
というのがあります。

かなり愕然とする話をします。
応答責任の村の人は、性行為に応じるどころか、求めることすら否定されてると、
「応答責任は間違ってない」
と、取引の成り立つ、「取引は可能である」と明示している、ルールブックのより明確な相手と取引をする。
彼らの手癖だと、当然そうなる。公正取引彼らにとっては正当な行為の中でも最も重要なものなのだから、なんとこれは彼らが彼らなりに正当性を極めて重んじた結果なのである
ということです。

だが、分かりますよね。
「性行為においては、そもそも、公正取引か不公正取引かどうか以前に
「性行為は、他の様々な肉体労働と質量的に大きく異なり、そもそも一切の取引ができないものである。
である以上、サービスの売り買い自体がクソであり、全て不公正取引である、以外の結論が出て来ない」
という価値観の方が支配的である。
そこの価値観を受け入れられないやつは、テーブルにつけていないのであり、そこの価値観を重んじる多くの性の主体と、まともにやっていける訳がない
ということが。

ただまあ、上の価値観、ご自分がされるのであれば完全に正当なんだけど、他人同士の取引、しかも合意に基づくものを、糾弾するための理由としては、実は弱いんですよね。
(糾弾、したくなりますよね?
あるいは、糾弾したくなる人がいることは、いくら何でも分かるでしょ?
でも、それ、ダメなんですよ。少なくとも上の理由じゃ)

相手がしたくても自分が応じたくないのは、自由だ。正当だ。
でも
「それでもしたいし、欲しいし、じゃあどうすればいいですか」
と正面から訊かれたら、自由の後のステージとして(しかもこれは自由な他人同士で社交や処世をする以上必ず要請される応答責任上は
「どうしても嫌です」

「ルールブックはこれです」
しかあり得ないんだよな。
前者の話をせず、後者のルールブックも誤魔化すとなると、そういう行為、何ら正当化されてない。

1_12_5_3.ルールブックを特に設けていない人たちより、「ともあれ」ルールブックを設けている人たちの方が、愕然とするほど明瞭ではあるし、話も圧倒的に早い。嫌な話かもしれないが、これは、アド(優位性)です

性の取引は悪い。
それは取引されるべき性質のものでは元々ない
のだし、だから今なおいかなる取引の余地もない。
そうだね。

性の取引は不要だ。
この記事の言う布石をちゃんと踏んだら、要らないではないか。

それもそうですね。

でも、性の取引が生じて来るの、「別の形で」布石を踏まない人たち皺寄せでもあるんだよな。全くそうは思われてないんだろうけど。
つまりは、「布石を踏もうが何だろうが」「性行為を嫌悪の上で拒絶しており」「環境ごと他人全般にそれを強いて」「先に進めなくしている」「膨大にいる、ごくふつうの人たち」の、皺寄せ。

***

性嫌悪の人たちは多い。
彼らは性行為にまつわるトピックを視たり聴いたりしたくない。それはそう。正当な要求でしょう。
で、性行為にまつわるトピックを視たり聴いたりしたくないから、環境ごと他人のそれらを禁じることが多々ある。
そうしたい人の数が多いから、これそのものは基本成功する。
そうすると、どうなるか?
「王道の手順に則った」性行為ですら、通常の手段では膨大なコストがかかるか、事実上不可能になる。

で?
だから、通常じゃない低コストの手段で行われることになる。
そりゃあそうよ。市場の様々な原理の、大きな一つ、「満たされないニーズは、ビジネスチャンス、飯のタネ」というやつだ。
他人の中に満たされないニーズわざわざ作る人たちがいるのだから、このビジネスチャンスは当然ビジネスとして行われ、そしてそれは成立する。そりゃあそうだろう。落ちてる金を拾うようなものだ。やらん訳がないやろ。
誰かがこれを禁じているとしても、その結果、膨大なコストや禁止のせいで困っている人たちが生じるなら、そこは世の中当然そうなるし、というかこれが正に、禁じている人たちによる、皺寄せということだ。
そもそも、皺を寄せている側が、皺に文句を言うの、ザ・無責任なんだよなあ。

***

メチャクチャ単純化すると、例えばこういう話がある訳です。

「今 いる 女性の中で もっとも金銭上の関係でしかない貴女が 私は好きです
なんせ 話が早いですから
「フフ…そうだよな
ルールブックなしの色恋沙汰は時間がかかりすぎるよな
時間をかけて……
それでも報われればまだいい
報われないってんだから話にならない
「フフ…」

(福本伸行『銀と金』フィクサー・平井銀二と政治家・伊沢敦志。
でも、議会制民主主義「実はヤバイ法案が、討議を突破できなかったら、拒絶する」ものだし、決まらないのは正しい在り方ですよ。そこでヤバさと迅速さを抱き合わせにしたらいけない

「そういうのは「報われている」とは言わない」という美意識はもちろん分かります。
が、そもそも「何かを戴いている人」や「何かをあげている人」への文句を、「何もあげていない人」が言ってはならないのです。
ケチが居直ってるのと外形的に区別できないから。
そして、そんな人、好意どころか、好印象を維持できるかどうかすら怪しい。仕組みとしてはそういう話です)

***

ちなみにこの場合、ルールブックに明記されているルール「金銭上の関係で取引が行われる」ということです。
えげつない? そうね。でも、愕然とするほど明瞭です。少なくとも、ルールブックなしの色恋沙汰に比べたら、はるかに。
場合によると、ルールブックのない人たちより、「ルールブックに書いてあることにおいては」はるかに信頼出来る。

「ルールブックのない人たちへの信頼が、「ともあれ」ルールブックのある人たちより、劣るのは、おかしい」?
うーん。
うーーーーーーーーん…

***

応じる義務に日頃慣れている村の住人が、
「応じる義務がある場合という話、ない。お前らは間違っている」
と言われたら、
「不当にしか見えないし、俺は間違っていない」
と怒り、
「現にいる、取引に応じる人と、取引をする」
訳だ。
ここで、「ともあれ」ルールブックのある人たちは、取引の相手として、ルールブックのない人たちより、そりゃあはるかに「話が早い」だろう。
(そもそも、取引以外でも、色恋沙汰の「王道」をやる場合でも、ルールブックはどうしようもなく要るのだ。という話は、既に何度もしているところです)

で?
「応じる義務はない」人の視界に、こうした取引が映ったら、どうなるか。
説明の必要もないでしょう。これは安売りだ。買い叩きだ。不公正取引だ。他に何があるというのか? そういう風にしか見えなくなる。

で?
当事者たちにとっては、「少なくとも合意の下で、公正さにおいては受け入れられなくもない取引について、赤の他人に難癖付けられた」訳だ。

ここに三者間で通用するような正義特に存在していないように見える。
少なくとも、取引者同士赤の他人の間で共有している正義など成り立っていないだろう。

さらに悪いことに、赤の他人の正義が、それに同意しない取引者同士被害を与えた形になる。
「妨害されてでも、取引や約束をしなかったことが、価値観としては歓迎すべき善いことを含んでいるのですよ」
という話が生えて来るかも知れませんが、ここは
「妨害されて取引や約束が壊れることは、価値観として歓迎すべからざる悪さを含む」
という扱いにふつうはなるでしょう。

***

こじれる話をします。
場合によっては赤の他人の正義取引者内面化しており、「これは実は合意を余儀なくされた不公正取引である」と思っている場合すらある。

傍から見れば、
「ウンウン、そうだね。やっと分かったのではないか」
と言いたくもなるでしょう。

まあ、ぶっちゃけ、そういうので取引安全を脅かしながら取引をするくらいだったら、その人は、取引から降りた方がいいんじゃないでしょうか。
ずっと不平不満が残りますよ。
「やるけど嫌」なのは分かる。私だってしょっちゅうだ。
だが、「嫌だがやるのだ」というマインドセットであった方が、能動性と受動性の都合上、同じ環境下でも消耗が明らかに少ないので、「嫌だがやるのだ」の方がマシですね。

それがどうしても嫌なら、取引、やめた方がいいと「マジで」思いますよ。やると嫌な気分の方が勝るのだから、やらないに越したことはない。

単価が高いし、これでないと借金等が返せないから、やめられない?
かなり高い確率で、ストレス解消と精神医療費に消えると思います。(俺は身に覚えがある)
だったら、それはまずいやり方です。

***

「狭い選択肢の中で選ぶことを余儀なくされている」というのも、かなりあることだ。
職場からの依頼や雇用だと、だいぶ安全に働けるが、選択肢は減るし、もらえる金も減る。たいていこれはどこでも同じだろう。職場に対する不平不満、当然あるものだ。

だけど、そうした職場からの依頼や雇用も含めて考えると、取引という行為は、少なくとも自分で自由意志を意思表示せずにはいられない行為だ。
だから、ここで
「存在しない選択肢を選択したいし、存在する選択肢は全部お断りだ。実質上、何もしない」
をやると、主体は一瞬たりとも信頼に値しなくなる。

市場はそういう嫌々やっている主体を、基本的に歓迎してないんだ。
だって取引「あれはなし。ノーカン」踏み倒そうとするから。
取引安全もへったくれもなくなるし、そもそも言ってることをひっくり返すリスクのあるやつが、一般に信頼に値する訳がないし、立ち位置が良い訳がない。

ふつうは、意思表示(言ったこと)は、内心に関わらず、有効である。
そして一旦言われたそれは、条件を満たさなければ、覆せない。
日本国民法はこの辺かなり気を遣ってますし、たいてい最初からしばらくの講義「意思表示の有効性に問題がある場合」について、ミッチリやることになっているはずです。

***

さらに、かなり多くの場合、トラブルになる話をします。
「性行為は取引の対象ではない。公正取引など成り立たない」
これは非常に正しそうに見える。
だが、これが正しいとなると、
「だから、そのためにこちらにサーブされたサービスは、全て取引として何の価値もない」
という話に、自動的になる訳です。
え? だってそうですよ。これで相手と性行為をしたら、「売ったことになる」んだから。それは容認できないじゃないですか。
容認、できるの? じゃあ上の「性行為の取引、邪悪」という話、だいぶ割り引いた、「そういうこともあればそうでないこともある」寝言くらい意味のない話になっちゃうじゃないですか。
そんな話、ただの無じゃん?

そして、「お前の献身、全部ごみ」というのは、しばしば信じられないほど盗人猛々しい言い様になります。
そういうことを言うのは自由ですが、言った人は端的に軽蔑されますし、敬意によって得られていた立ち位置は、ゴリッと損なわれます。
ふつうは人の立ち位置はあんまり変わらないものなので、今いる立ち位置でこれになると、デメリットが大きすぎるんですよね。

***

「自分のために捧げた心意気に感動したので報いる」
という話は、返礼の話であって、公正取引の話ではない。これは既にした話です。こっちの話なら「きれい」だから受け入れられるでしょうか?
そもそも今この回を書いているのは
「献身されても返礼をしない、「お互いがお互いのためにする「のを片務的に縛る」」ことで、事態は信じられないほど盗人猛々しくなる。
これを「きれい」とは、ちょっと言いたくないよなあ」

という話だったのでした。
それでも、「きれい」と言いたくなっちゃうのは、まあ分かるんだけど…

というか、そもそもなぜ返礼を飛ばして、一足飛びに取引をやるかというと、「「献身の結果返礼がある」という回路」が、「取引者本人」「取引を求められている相手」に、備わっていないからです。
「取引者本人」にないなら、それはそいつの選択肢の狭さの話です。そいつがヘマだ。
ですが、「取引を求められている相手」が、「献身と返礼の回路がない」上で「取引の回路も拒絶している」なら、それは相手の選択肢の狭さの話になります。
(色恋沙汰だけで人格の否定や肯定をするほど気が違っちゃいない。つまりこれは人格否定で言っているのではないが、それはさておき)そもそもそういう人は、色恋沙汰に向いてない。という話にしかなりえない。
これじゃあ、色恋沙汰でのトラブル、しゃーないでしょ。
「やれることの回路が少ないからうまくいかない」
のって、誰かに文句を言って、他人に責任を取らせて、埋め合わせをさせて済ませられる類いの話か?
そいつは無理な注文でしょう。能力はふつう、誰かにポンと埋め合わせしてもらうことが出来ないんだから。自分が受肉して振るえるようにならない限り、解決しないんだから。

1_12_5_4.ポルノにはしばしば反抗的態度や敵意や攻撃性がある。というか、ポルノが要請されている時点で、性行為も性行為の取引も、通常は困難「にされている」のであり、その不平不満や悪意の反映は、そりゃあ、ある

ちなみに、
「「したい」と言うニーズの方は、「悪い」「クローゼットに押し込めて欲しいもの」とされているのだとしたら、出版されたポルノがコンビニ売りされている訳がなく、この時点でこの主張は端的に嘘である。
ポルノが公共の場で売っている時点で、お前らはそれを正当化しているではないか」

という話は、当然あります。

***

しかし、それは因果関係問題解決混同した、しばしば職場でプロジェクトマネージャに詰められるレベルのダメな話です。

ちなみに
ここで「問題」に「なっている」のは、「性行為と性行為の取引が、困難になっていること」です。
もちろん簡単に考えると、これはかなり多くの世の人たちにとっては「理想状態」であり、これを問題にする方がおかしい。と考えるでしょう。
だが、それは特定の人たちにとってしか理想状態ではないし、であるからそうでないし実害のある人たちがキレてぶっ潰されるし、そんなクソみたいな理想状態も、またそれをぶっ潰すこと自体も、物事を何ら改善しないし解決しない。と言う話をします。

***

ポルノは悪い。
少なくともそれは悪意の顕われである。

そうだね。

ポルノは不要だ。
この記事の言う布石をちゃんと踏んだら、要らないではないか。

それもそうですね。

でも、ポルノが出来るの、「性行為の取引の方も困難にしている人たち」の、皺寄せでもであるんですよね。全くそうは思われてないんだろうけど。

市場での取引禁圧をかけたら、ふつう市場メカニズムはまるで機能しなくなるし、性行為の取引利益に見合う収支にするため、売る側べらぼうに高く設定した統制価格を用意する動機が生じるし、こうなったら買う側の多くにとっては事実上不可能なコストがかかる。

これは一見願ったりかなったりかもしれない。性行為の取引なとどいう、正しい布石からの逃げ道、地上の不正義を、なくせるのだから。

だが、それで正しい布石は示されたのかというと、当然示される訳がないし、最も典型的には実現可能なルールブックが示されないのだし、ニーズは全くなくなっていないどころか、倍こじれる。
だからこれは、ニーズを捻じ曲げている、ねじれたニーズを作っているのと同じ意味になる。

そういう脳のかゆみを止めるためのビジネスチャンスは、そりゃあ生えてくるに決まってるよね。
だから、以前は、禁圧にかかわらず、性行為の取引はいたちごっこのようになされていた訳だ。
当然彼らは地下産業にならざるをえないし、当然社会に指差されるし、当然地上社会に敵意がある。
地上社会
には地上社会の理由、ニーズ「えげつない性行為のニーズ、見たくないなあ」というのは、これはもちろんそういう別のニーズです)がもちろんあって地下に追いやっている訳だが、じゃあ地下に追いやった事柄のコントロールが出来なくなることは諦めてもらうしかないということでもある。

そして、取引が出来ないことに沿うと、ポルノという手段になる。
口承・絵画・立像は昔からあったが、製紙・映画撮影・映像撮影等の技術革新により、どんどんコストを安くすることが可能になった。
そりゃあ、ビジネスは定着するよ。
当然彼らも地下産業にならざるをえないし、当然社会に指差されるし、当然地上社会に敵意がある。その後の事も全く同じ。

他人ニーズ禁圧ねじれさせる。
ニーズのねじれ(ねじれたニーズの話はしない。精神医療系の医師も、病気と認められない限り、これに安易にタッチするほどバカではあるまい)の軌道修正にも失敗しているどころか、そもそも本質的にそういうことをやっていない。
じゃあ、皺を寄せている側が、皺に文句を言うの、おおよそダブル無責任なんだよなあ。

***

それに、最初書いたロジックは、公僕の目からしてすらも、まずい。

公僕の目
からすると、「悪い」「違法」だいぶ違います。
流通から締め出すレベルの「違法」にはかなり強い要件があり、通常は民選議会での真面目な合議が要ります。「悪い」場合は村八分やリンチをやれてしまいますが、「違法」はそんな軽いもんじゃないんですね。
流通から締め出すほど重い「違法」「以外のもの」は、「自由」の枠内で取引されます。
もちろん日本自由市場だ。取引? されるに決まってる。
それでも流通から締め出すと、これは事業者からメチャクチャ揉められます。
当たり前でしょう。自由市場もへったくれもない。
「今まで構築してきたリソースを直ちに全部捨てて、直ちに会社を辞めたり畳んだりして、直ちに転職して、不要不急の就職活動の末に緩やかに野垂れ死ね」
と言われたら、まー事業者はキレていいと思いますよ。
(これは、強いるには軽い「良い」ことは、「自由」の枠内であり、やってもやらなくてもとやかく言われる筋合いはないので、これを万人に強いるに値する「義務」として強いたら、「自由」の枠内で激烈な抵抗があるのとほぼ同じ構造です)

立法に失敗している限り、じゃあ締め出せないし、いったん立法できても、それがおかしいと思われたら、後日の議会で改正されちゃうんですよね。
議会制民主主義は「実はヤバイ法案が、討議を突破できなかったら、拒絶するし、実はヤバかった法が、討議で改正されたら、改正される」ものだし、決まらないのは正しい在り方ですよ。
「良い」「悪い」法案や法のヤバさの評価間接的に効く。そしてそれ以上の効果はない。
流通を止めるほどの正当性は担保できない
し、それは下手すると脅迫という違法行為になる。(もちろん、そうならないようにしてください)

***

もう一つ。
これは公僕とは関係なく、この記事を書いた人としての見解です。

撮影されたポルノ創作されたポルノが出てくる理由は、上の性の公正取引そのものが、取引者にとっては「かなり高い」からです。
万単位で差が出ることは、取引の公正のためとはいえ、家計簿の上では決して「安い」事態とは言えない。
ぶっちゃけ、「家計簿をつけている人が」「取引のことはいったん忘れて」、「家計のこと「のみ」を考える」と、「数万円ははした金である」言い切れる人は、かなり少ないのではないでしょうか。
ポルノの方がふつうは安い。千円単位で済む。(鬼のような言い様がどんどん出て来る)

***

そもそも、信頼関係心の開示は、とんでもない(記事にしても膨大な分量の)プロセスが、そしてそのための気が滅入るような労力コストが要ります。

「でもこれが正当な色恋沙汰の「王道」だから、しょうがないじゃん」
と仮に思ったとしましょう。
だとしても、これは「今」脳のかゆみで苦しんでいる人およそ受け入れられる話ではありません。
というか、言えば言うほどキレるでしょう。脳がかゆい人を、「その場では」助けてないんだから。
「まずはかゆみを止めてから言え」
と言いたくなりますし、たいていこれはこの場合
「即決で取引がしたい」
という話になります。

もちろん、元の話が王道とすれば、こちらは邪道もいいところです。
それに、これそのものをどんだけやっても、元の話のルートには結びつかない。
「掻くとかゆくなくなるかもしれないが、本質的にはムヒを塗って掻かないのが正解だ」
というルールの話を、ここではせざるを得ない訳です。

***

で。
そんなルールブック、示してますか?
そしてそれは、かゆみに効いたり、かゆみを治せるほどには、ちゃんと実効的ですか?
そうじゃないですよね? うまくいってないでしょ?

***

性行為性行為の取引諦めた人が、
「ルールブックが示されてないことも、
それがダメだからせめて取引をしようとしても、それすら出来ないことも、
むしろ要求そのものを黙らされて「悪い」「クローゼット」に押し込められていることも、
絶対に納得行かない。
それでニーズが消える訳ではなく、これは心の中では現にある課題で、なかったことにしろ、では何も変わらない。
「ニーズは脳のかゆみに過ぎないので、気分の持ちようでなくせる」論者、話にならねえ。
こちらはかゆくて苦しくて死にそうなんである。
何が「気の持ちようだ。努力が足りない」だ。
人が苦しんでいる時に上から目線で説教? 鬼畜生か???」

となるの、かなり当たり前だと言えます。

***

しかし、
「性は取引のものじゃあない」
し、
「取引として考えたら値段がつけられないほどの途方もないことである」
という世界観の人にとっては、もちろん
「そもそも望むな。文句を言うな。
ポルノやその中の悪意はそういうニーズやクレームの顕れであり、そもそもニーズもクレームも認められない」

という話に、事実上なるんだよな。

お気持ちは分かります。
そもそもそんなニーズやクレームに関わり合いになりたくない人は多く、じゃあ関わり合いになりたくないんですよね。
というか、他人の話だろうが、やはり自分の耳に入ってほしくないんですよね。
「他人の話までゴタゴタ言うな。
自分はしたいのであり、この場合妨げているのはお前らだ。これに関しては他に解釈の余地はない。
当然メチャクチャキレてるに決まっておるが???」

というブチキレ人間の声、聞かされる側としては
「うわー、う、うるさいなー、き、聞きたくないなー」
となる
の、そりゃあ当たり前なんですよね。

***

とはいえ。

何でルールブックと取引と発言を塞ぐニーズが消えると思った?
消える訳ないやんけ。

さらには、ニーズ上のプロセスを通るから、「やりたい」に加えて「あいつらいっぺんシメる」が混じってくる。
ポルノの中の反抗的態度、敵意、攻撃性には、そういうプロセスの結果で紛れ込んできたものもかなりあります。

だから、性行為の取引より、ポルノの方が嫌いな人たち
も、かなり少なくなく、いる。
奇妙に見える
が、そうではない。
彼らにとっては、反抗的態度でポルノ作っている表現の自由論者、クソ不愉快でしょうし、そのポルノに敵意や攻撃性が含まれていた(鬼畜系は露骨にそうだ)ますますクソ不愉快でしょう。

取引は当事者間のものだから、外野は意識すらせずに済むことがある。

が、自分たちの言うことを聞かない連中の反抗的態度の表われ(表現物)が、それも公共の場で我が物顔で鎮座ましましているのは、まあ、およそ不愉快であろう。
天下のコンビニが、自分たちに従わないで反抗的態度を表している連中の反抗的態度を陳列しているの、平たく言っても、公共反社会的二級人類容認していると言うことだ。
こんなの、公共も、反社会的二級人類も、
社会的一級人類、善良な市民である自分たちに、敵意を向けているし、喧嘩を売ってやがる
ということにしかなり得ないんだよなあ。
何反抗してんだよ。反社会的二級人類のくせに。
何容認してんだよ。公共が反社と結託してんじゃねえぞ。

そんな感じ。

もちろん、ここで言われている公共は、「自分を社会的一級人類と思っている人たちだけのための」公共です。

当然、日本のかなり多くの部署の公僕は、基本これを採用しない。
「人類を一級二級に分けることからして間違っている。
国家はともかく、公共において、人類をあなた方とその他に分けることも、おおよそ間違っている。
公共はあなた方だけのリビングルームではない。
そうだと思っているのなら、あまりにも公共観が狭すぎる」

これが日本の公務員の、というより日本国憲法に書いてある基本的人権の示唆するところ、それも核心でしょう。

私はこれに加えて、
「そんなに、気に入らない相手を、として扱って、しかも仲間に転べないように敵のまま扱いを固定して、しかもそんな敵の影に怯えていようとしているのか。
客観的にはこれは、気に入らない相手を自分で敵対者であるように仕向けていることに他ならないが…
怯えるくらいなら、じゃあ最初から敵対者に仕向けるな。
喧嘩を売ってるのと何にも変わらん。
しかも、喧嘩を売っておきながら同時に怯えるな。何なん。理解に苦しむ」
くらいには思ってます。

***

当然の話をするが、
「こんな敵意のあるいう人とやりたくないなあ」

と感じるのは完全に正しい。
「相手を危害のリスクに晒さない」
のは、たいていどこでも通用する初手のルールです。
(これは最初の記事にも書いた通りです。気になる方は読み返して下さい。
もちろんそれだけじゃ何もかも足りないから、こんだけ膨大な記事書いてるんだけど)

とはいえ、メカニズムとしてはそもそも逆で、
「やれないし、
どうすればいいかのルールブックも示されてないし、
代替案の選択肢を次から次へと潰されたから、
「流石に何様だこいつ」ってんでメチャクチャ怒っている」

という話です。

「そもそもやらないし、
どうすればいいかのルールブックをガチに組むのは途方も無い労力コストがかかるからそもそも組まないし、
代替案の選択肢なんか採用の余地がない」

というのは、自由意志がそう思っている以上、完全に正当、ごもっともの話です。

で、そしてこれはそのごく当たり前の帰結です。

「何でそうなる!?
危険度を増すことの、どこが「ごく当たり前」なのだ!?」

まあ、そう思うよね。
だが、何でも何もあったもんじゃあない。見たまんまの話でしょう。
ニーズは上に説明した通りで、見た通りそれらはその都度その都度全部禁じられてきている訳だ。
ニーズをその都度その都度全部禁じたら、そりゃあ、どういう人間関係でも、いつかでかい揉め事の火種になりますよ。当たり前じゃないですか。

***

ちなみに、恋愛ものの作品は、今では恋愛が何の問題もなく肯定されているので、肯定されています。

家父長制が強く要請されていた時期は、恋愛ものは、別に肯定されていた訳ではなかっただろう。
少なくとも、家父長をやることを将来的に期待されていた人たちが、(特に性嫌悪的な、つまりは性的に取っ掛かりのない、一般の彼らのニーズと関係のない)恋愛作品を読むことは、異常者だったのだし、異常者呼ばわりされることは人事評価上のかなり真剣なリスクですらありえた。
何なら今でもそう言う風土の職場は残っているだろう。

あと、『ベルサイユのばら』愛蔵版の、上巻における猛烈な性嫌悪については、今読んだら、当該業界人は多分「ウッ」とはなると思いますし、下巻を読むと、「想いと関係が熟したら性は受け容れられる」と言う話になるので(それはそう。この連載記事でも、最終的にそう言う話になるだろう)、「そういうコモンセンスは広範に存在したのだな。今もそういう話はよく聞くしな」とメチャクチャ納得がありますね。

ちなみに、恋愛ものの作品色恋沙汰を学ぶ姿勢、
「いきなり何のイメージもないまま実戦に巻き込まれるより、イメージを持てた方がマシでしょうね」
と言う思いと、
「創作物で色恋沙汰を学んでドグマ(教義)の一部にマジで採用するの、蠱毒のグルメと化した願望と、実戦の区別がついてねぇ〜。
AVで蠱毒のグルメと化した願望と、ちゃんと性行為をお互いやっていくための作法や技術との区別のつかない、作法や技術を習得してしまう手合いと、構造としては同型じゃんよ。
これを諸手挙げて肯定すんの、抵抗あるよ〜」

と言う思いがあります。

作法技術は、これは、あります。
例えば衛生面の話ですね。これをやらんやつ、生理的嫌悪感に効いてくるレベルで汚いから、よほどのことがない限り、やりたくないじゃん。
あと、激しすぎて痛くないように、と言うのもだいぶ重要でしょう。痛いプレイ、基本やりたくないじゃん

「自分の好きな作品は、創作上リアル系寄りだから良いのだ」
と言う言い訳をするの、
「そうではなく、目の前のマジのリアルな相手のルールブックを読ませてもらうことを、一貫して優先した方がよくないか?
それよりもリアル系創作を優先できる余地はほぼないし、それでなおもこれをやってたらただのあほになっちゃう」

としか言えない。

恋愛ものの作品を、
「知らない世界の知らない人たちの知らない色恋沙汰で、他人事としては教訓があったりするもの」
として愉しむのは勝手だし、それはそういう作品であり製品であり商品であるが、原則その辺に留めておくべきで、目の前の相手に適合しないにも関わらず、なおも創作上の記述の方をやったら、そりゃあうまくいかないでしょう。
ポルノや恋愛ものの創作、そう言うところがある。

「実際に王道をやると、ルールブックの開示の問題や、関係構築のために、割と砂を噛むような時間が続く。
関係構築中に、今正に構築している関係から、砂の味がしているようでは、その関係はマズい。
だが、まああることだ」

と言うのと、
「だから別ルートで性行為の公正取引や、ポルノや、恋愛ものの創作で、急性のニーズとその不満足による苦痛を伴う耐えられなさを、しのぐ」
と言うのと、
「王道抜きにそれらをやるのは勝手だが、王道そのものはそれとは基本関係なくそこにあるものだし、痛み止めそのものは邪道でしかなく、別に王道へと繋がりはしない。
王道から得られるものに辿り着きたいなら、じゃあそれらは基本無駄だ」

と言うのと、
「王道を行くときの痛み止めが不要とまでは、痛み止めの力で王道を渡り切った人たちを前に、それは流石に口が裂けても言えないよな」
と言うのは、全部両立します。

痛み止めがなくても王道を行けるのなら、それに越したことはないが、じゃあお互い王道をやって、脅威の雰囲気やルールブックの秘匿等で妨げないことが、当然ながら非常に要請されてくる。
そうでないなら、時間はどうしたってかかり、痛み止めは欲しくなってくるだろう。

そして俺は、痛み止めが王道だとは思わない。
痛み止めが王道の果てに楽土へと導くとはおよそ信じられない。
が、痛み止めなしで万人が楽土へ辿り着けるが如き言い様も、端的に無責任な出鱈目だとしか思わないですね。
だから、性行為の公正取引も、ポルノも、恋愛ものの創作も、何一つ否定できないのよね。

1_12_5_5.LBGTQ関連クローゼット案件から真剣に受け取るべき教訓。「本来のニーズを封殺したり、その上で暴いたりするのは、激烈な怨恨を残す」&「人間扱いに例外を設けない」&「人間扱いに例外を設ける形の追認や逆張りを、戦術的手段として、ホイホイと採用しない」

何度も何度も同じことを繰り返し書くのです。

ここまで書いても、読みたくない人からはきっと「そんなことは書いてなかっただろ」と言われるのだ。
だったら、さらに書くしかなくないですか。

***

何度も何度も同じことを繰り返し、「さらに」書きます。
ルールブックが編纂も開示もされておらず、シグナルが明瞭でないの、よくないですよ。
まして
ニーズを嫌うあまり、要求や交換条件の話自体を邪悪なものとしてクローゼットに押し込むのを余儀なくして、それを正当化する
の、「余儀なくする側の」誤魔化しの塊です。

しかもこれは外形的には「「悪い」「クローゼット」に押し込んだやつが」誤魔化した、としかならない。
言い出しっぺが責任を負うんじゃなくて、余儀なくされた側に責任が投げられるの、嫌に決まってるんだよな。

挙句、「黙っているのはおかしい」と誠実そうな顔で言う人たちまで出て来る。ヤバイ。
・ある人
「お前らのニーズは忌まわしいから「黙ってろ」」言われた人相手に、
自分「然る後に、「吐け」」言ったら、
自分が全部「お前らのニーズは忌まわしいから「黙ってろ」。然る後に、「吐け」」という、ダブルバインドめいて首尾一貫していないことを言ったのと同じことになる。
一般にこれをされて、外形的に区別などつく訳がないではないか。

「それを言ったやつと自分は違う。一緒にするな」?
だから何?
じゃあ、言ったやつらの社会的圧力から死守してくれるの?
それが出来ないなら、言ったやつの要求は引き続き残る
し、やはり
「危険があろうが、「吐け」と言っているのだ」
という意味合いしか残らない。

そもそも、言ったやつらと自分の解像度を高く区別して見てもらえると思うか?
社交や処世をやってても、一般にそうはならない
し、特に相手が腹を立てている場合は、これはふつう通せない要求なんだよな。
やってみりゃ分かる
が、これを通したら必ず遺恨を残して失敗するから。

何でそんな高い要求を、相手が怒っている時に、冷静な顔でしているのだ?
これは自動的に「片務的」な言い様になる。
そういうの、対面していたら、メチャクチャムカつくよ。

当然、押し込めさせられた側や、これをさらに吐かされそうになっている側は、腸が煮えくり返るほど不愉快でしょう。

***

というのが、LBGTQ関連クローゼット案件から真剣に受け取るべき教訓であったはずなのでした。
違うの?

***

つまり、こういうことです。
本来のニーズ封殺された代わりに、
「応答責任を果たさないことは不当にしか見えないし、
黙らされていることだって不当にしか見えないし、
黙っていた方が安全であること自体が不当だし、
白状しろとか言われた日には、不当の塊であろう。
上のどれも間違っており、こちらは間違っていない」

という恨みは、そりゃあ「誰しも」生えて来ますよ。

そこは「誰しも」気を付けねばならない。
「普遍的」な話だ。
「例外はない」。

***

「例外はある」と称する人たち、気を付けて欲しい。
人間扱い例外として一級人類と二級人類を設けるのも、人間扱い最低限法で保証されるべき事柄である基本的人権(私的領域にかかる広義のプライバシーの権利も、今ではこれだし、そりゃあそうだろう)の例外を設けるのも、直ちにやめてほしい。
追認すらしないでほしい。
逆張りもしないでほしい。
単に、理論上も実践上も、「人間扱いに例外を設けない」。それが正解
なのだ。

それ以外の理論も実践も全て、どんなに戦術的手段として有効に見えても、戦略目的と混同されるから、大きな障害となる。
「人間扱いに例外を設けない」
ために
「人間扱いに例外を設ける形の追認や逆張り」
をしてる人達の目的が、
「人間扱いに例外を設けない」
のか
「人間扱いに例外を設ける」
のか、外形的に区別するのはとても難しい。
周囲はそこまでそういう人たちを信頼出来ない。
言ってることに一貫性がなさすぎる。

そんな人たちの言う事に全ツッパしたら、明日にゃ「昨日のあれはナシです。やったやつは制裁」となる。
そりゃあ、そんな人たちに与するの、嫌ですよ。

***

性教育の話も、基本的にはこれです。
「ルールブックはこれです」
ルールブックを示したこと、あったか? ないだろ?

「これが近似的な条件です。
一朝一夕に獲得出来る性質のものかどうかは知ったことではありません。
獲得出来るためのロードマップ? さあ?
獲得したらやっていいかって?
だからさー、許容しているが、世間的に忌避されており、抵抗もあるんなら、忌避されており抵抗されるんだよ。
忌避とは推奨の逆の意味なんだよね。
そんな中で、やるの?
つまりさあ、「分かるだろ」?」

という話、どう考えてもごくふつうにあり、しかも「オトナの態度」としてありがちな、何なら推奨されているパターンでしょう。

で。
これに、
「「クローゼットに押し込めること」が期待されているんだよ。
つまりは、いいから耐えろ、ということだ。
そして我々はそういうことを「直接は言わなかった」。
だから「これに責任を負わない」。よろしいね?
コンドーム(最近はもっとエレガントな短中期避妊用睾丸超音波無痛刺激技術も研究されているはずだが)の使い方?
そういうシチュエーションが起きることを、そもそも禁じると言っているのだ。
禁じても逸脱するやつを技術的に止める? 禁じたら禁じられていてほしいなあ。
禁じた場合の逸脱についてのその他の手立て? 禁じたら禁じられていてほしいから、そんな手立て、取らないよ?
何なら体罰で止まってくれないかな?
それで従わなかった場合? うーん、分かんない。いいから体罰を受けてくれないかな?」

以外の機能が、なぜあると思った?
私が性教育から受けたメッセージ、これだぞ。

こんな性教育を行う教育者たちが示したルールブックは、かゆみ止めや治療にまるで効かないので、私は数十年無駄にしてきた。

そして、教育者でない在野のアマチュアのゲームマスターたちが示したルールブックは、かゆみ止めや治療にまるで効かないので、私は数十年無駄にしてきた。
明らかにここは、教育者がやるべきところだよね。
その怠慢のツケを、何で生徒が払うのか?
いい根性してるよね。およそまともな神経とは思えない。

問題解決出来ない教義を有難がるな。
まして問題で苦しんでいる子供
「教義で治らないお前らは努力が足りない」
と言って、利害関係者(ステークホルダー)の外側に排除するな。
「扱いかねているから、利害関係者じゃないことにする」
のが許されている、いいご身分でありますな。
二度と
「困っている子供たちのために」
とか言わないで戴きたく存じます。

***

他のジャンルですが、「うつ病は気分の持ちようでなくせる」論者、います。
残念ながら、精神医学上、まるで事態に良く寄与していないどころか、悪化させているとしか言いようがない。

仕組みとしてはこれとまるで同じ話です。
これを「善きこととして褒める」の、個人的にはとても抵抗がありますね。

1_12_5_6.迷惑なモーション対策「のための」ルールブックとシグナルの明示。というか、エレガントなシグナルに固執するのをやめましょう。伝わってない以上、それは意思疎通としては現に失敗しているのだから

あんまり言いたくないが、今の日本は、女性が一日に一回以上、「したい」というモーションをかけられ、しかも「余儀なくされる」風土では、ほとんどの場合、ない。そのこと自体は、だいぶ安全だ、と言わざるを得ないだろう。
「応じたくない自由があるし、応じる義務はない」
というニーズは、現実に認められており、広く通用してもいるとしか言えない。

***

むしろ、「したい」と言うニーズの方は、コンビニにそういうニーズを反映した媒体があるかどうか「はともかく」(これは少なくともリアル人間関係のリアルファイトではない。後述)、リアル人間関係でやった場合、これは一般に「悪い」し「クローゼットに押し込めてほしいこと」とされる。

通常、モーションは、
1:ちゃんと見て、関係が熟したタイミングでモーションをかけるか(当然、これの要件はかなり厳しくなる。後の記事で書きます)、
2:関係が熟す前にモーションをかけるか、
3:関係が熟して来てもリスクをとってモーションをかけないか、どちらかの形で顕われることになる。

もちろん、最後のが「悪い」「クローゼットに押し込めてほしいこと」真に受けた人たちだ。
バカにしか見えない?
そうね。
真に受けなきゃよかったのにね。

***

さて、
「2しか体験していない」
人、たくさんいるだろう。

当たり前の話をするんですが、
「3を選択した人は、先に進めないし、バカにしか見えないから、色恋沙汰の相手としてはそもそも初手の段階で消えた」
訳です。
「実際、そういうやつ、よく思い出したら、いたかもしれない」?
じゃあ、さらに思い出してほしいけど、そいつら、「いつの間にか自然消滅した」か、「つまんないからお断りした」相手じゃないのか?
まあ、上手く行く訳ないよね。その人たちは恐怖が勝って、先に進めなかったのだから。それでは先に進める訳がない。
それは弱さであろう。それはそう。

***

で、そうなると、1と2しかなくなる。
もちろん、そういう話に「なる」場合、1が一番望ましいであろう。
2は強く望ましくない。メチャクチャ鬱陶しく、うざい。

で、先に進む方は出来て、目利きは劣る人たちがどうするか?
「先に進んで、相手に迷惑をかける」
に決まってる。2のパターンだ。

なぜこうなるか?
もちろん「相手を見ていないから」だ。
だが、それ以上に
「ルールブックは隠されており、見て分かる明瞭なシグナルもされておらず、微妙なシグナルを誤読せざるを得ない」
し、
「3をやるあほと違って」
「誤読のリスクを無視する選択肢を採用して」
「現にここまで先に進めてきたという「成功体験」がある」
からだ。

1でも2でもどっちでも先には進めるが、2だと決め手のところで揉める。
ルールブックがあったら、1の比率は上がる。
開示されてない。じゃあ、2の比率が上がる。
シンプル。

***

2、ヤだ。

3も2も受け入れられない。
やる以上は1であってほしい。
それはそう。


だが、だったら、ニーズと地雷、してほしい事としてほしくない事、成功条件と失敗条件明確化して明示したルールブックは、どうしたって要る。
という話しか残っていないように思う。
そのルールブックが相手に受け入れられるなら、そして相手がちゃんとやる人なら、相手はちゃんと1をやってくれるだろう。
そのルールブックじゃ、相手がやってられないなら? そりゃあ解散でしょ。
条件が合わないんだったら、サクサク別れて次当たった方が、お互いスムーズだし、相手の有限の時間を搾取しないから、何なら親切ですらある。
そこは、そういう、渡世の仁義でしょう。

***

今から、直感に反することを言うかもしれない。
だが、実際にあることだ。
精妙微細なシグナルの方がエレガントなのはそうかもしれないが(そしてエレガントな色恋沙汰しかしたくない場合これしかありえないのだが)、リスクのある丁半博打としては実害の大きさがあまりにも無視できない。
だから、要らんことだが、書かざるを得ない。

即ち。
開示されたルールブックと、明瞭なシグナルがないと、精妙微細なシグナルは「必ず」誤読される。

***

一般に、他人を評価する時に、
「前よりはいい。もっと頑張ればもっとよくなる」
「だいぶいいですね。もう一息頑張れば非常によくなる」
みたいな話をすることは、それが真実である場合、かなり強い信頼の元になる。
逆に、これがなされていないことが前提になっている場合、全てが疑心暗鬼になる。

人事評価とかで、これがよく起きる。
後者の状態で、職場への疑心暗鬼がいったん抜きがたく生じた上で、なおも忠誠心を維持するの、なかなか難しい話であろう。

当然、色恋沙汰でも同じことが起こる。

***

さて、ルールブック、作ってないと思うんです。
「応じたくない自由があるし、応じる義務はない」んだ。
ルールブックには応じる義務の条件が明記されていなければならないが、上の理屈では、「そんなものはない」んだから。
何でわざわざ作らなならん?
ルールブックを作らなきゃ揉めるような色恋沙汰、面倒い。
色恋ロマンティック特大感情に砂利の味が混ざる。
嫌ですよ。
そりゃあ。

***

でも、これを作らないと、自分はいざ知らず、相手はひたすら誤解するしかなくなる。
だから、相手から頑張ってもたらされるのが、「そーじゃねー」色恋沙汰ばかりになってしまう。

そういう仕組みが、実はある。

しょうがねえなぁ。ちぇっ。めんどくせえ。
やるしかないかぁ。

***

今までの話を、ちゃんと実際にしましょう。
で、それでは「今」苦しみが解決しないから、明瞭なルールブックの下で取引して解決して決裁する人たちを、「今」苦しみを解決する気がないつもりの立ち位置で、妨害しないようにしましょう。
ルールブックを開示出来ていない人が、ルールブックを開示出来ている人を妨げるの、それは本当に、しないでほしいのです。よろしくお願いします。

***

相手に応じないこと正当な権利、自分の自由ですよ。
だが、応答責任の村の人が、「応じない」ことに腹を立てるの、当然だよ。
「どうすればいいのかのルールブックの話を曖昧にする」のも、「取引に応じた他人の取引に文句を付ける」のも、「そもそも要求を「悪い」「クローゼットに押し込めさせる」」のも、やめようよ…

(続く)
(こんだけ書いて、まだ続くのかよ!?)
(次回は色恋沙汰における、さらに先の、別の話になりますので…)

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