見出し画像

Sonnie「心臓」

 奏でられる鐘の音。まばゆい白い壁がそびえ立ち、教会内を光り輝かせている。空気には神聖な雰囲気が満ち溢れ、慈愛に満ちた思いが包み込まれていた。この美しい教会では、今日一組の新郎新婦を迎え入れる準備が整っていた。
 これから新郎新婦が登場する聖堂の入口には、白い花が豪華に飾られ、光に反射してキラキラと輝いている。祭壇の前には、カラフルな装飾が施されたキャンドルが並び、その明かりが優しく会場を照らしている。
 客席に座る人々は、様々なドレスやスーツを着ており、祝福の空気を一層引き立たせていた。笑顔と喜びが、会場全体に広がっている。参加している人々の中で、これといった特徴のない男が皆に交じって座っている。男がいる集団はこれから入場する新郎の同期達だ。
れん、おめでとう」
 男は小さく呟いた。周りの友達にも何度も言ったその一言。それだけでは足りずについ呟いてしまう。
 高校の同級生の中で一番仲の良かった友人が結婚をする。男も新郎もアラサーだが、晩婚化が進む現代では早い結婚にあたる。今、時期は六月に入る頃。つい最近もテレビを賑わせていた著名な芸能人やスポーツ選手が結婚ラッシュで、世間を驚かせていた。そんな中、長年釜の飯を共にした友達であり、最も身近だった存在も新しいスタートを切ることになった。
 親友である蓮は男と家庭環境が似ていて、趣味も性格の部分でも馬があった。学生時代は毎日会っていて、社会人になって環境が変わってからも、お互いどれだけ忙しくても月に一回は食事をしていた。そんなあるとき、彼女ができたと聞かされた。聞かされた順番は早い方だったと思う。結婚に踏み切った話を聞いてからも、どこか現実感に乏しかったが、しかし今日のこの場にいることで、ついに受け入れないといけないのだと感じ、そして感じされられている自分がいることも感じていた。
 そんなことを想っていると新郎新婦が入場した。
 教会内に歓声が響き渡る。男の眼に映った彼らの姿はまるで天使のように輝いており、喜びや愛情に満ちた視線が周囲から注がれていた。
 滞りなく式は進み、最後の誓いの言葉が交わされ、神父の祝福のもと二人は永遠の愛を誓い合う。その瞬間、教会内は一段と神聖な空気で満たされ、白い花やキャンドルの光がさらに輝きを増した。男は周囲を見る。感動の涙を流している人もいる。幸せの空気が、音のように流れ込んできている。一生の思い出として二人の心に、そして今日来た多くの人々に深く刻まれるだろうと男は思った。白く輝く教会の中で、愛と祝福に満ちた結婚式は幕を閉じた。
 帰り道。会場の外は汗を掻くほどの暑さの六月。
 雨の多い季節だが今日は真夏日かつ快晴で、芝生の上を流れるように吹いた風が、汗の流れる耳元を撫でた。
 他の新郎新婦の結婚式だろう。新たなる祝福を告げる鐘の音色が奏でられているのが遠くから聞こえた。
 男は真っすぐ家に向かっている。
 同期で先に帰ったのはおそらく自分だけだ。体調が良くないと周囲に伝え、二次会へと向かうグループから離れた。
 自分でも理解できない、衝動的ともとれる行動。何も考えるな、最低限は会場にいたのだと自分に言い聞かせ、気の早いセミの声と自分の心音が強く交わるのを感じながら電車を乗り継ぎ、気がつけば自分のアパートに着いていた。
 
 目覚めると鼾が聞こえた。だけど男は一人のはずだ。
(おかしい。結婚式の後、真っすぐアパートに帰ってきて……)
 そのまま汗を流そうとシャワーを浴び、テレビを見て落ち着いてから、床についたはずだ。
 だが、目が覚めると、一喜かずきは黒い部屋の中にいた。
 黒を基調とした自分の部屋は、不自然なほど暗い。
 異質な部屋の雰囲気だけでなく、体におかしな感覚があることにも気づく。
 半分眠った頭で首を上げると、全身がべったりとした黒いもので拘束されるかのように覆われていた。
 黒い水と呼べばいいのか、それは粘性を持っていて、体を動かそうとすると縛られるような感覚がある。きつくはないが、身動きが少ししか取れない。
 その正体が何なのか、寝起きの頭は考えることを拒否するが本能では理解していて、警笛を鳴らしている。
 
 これは危険だと――――。
 
 そう思うと眠気は一瞬で飛んだ。寝ていたベッドから跳ね起きようとするが何度強い衝撃を与えても黒い水に阻まれてしまう。助けを呼ぼうとしても、口に粘つく液体が入り込んでいて声が出せない。
 必死になって暴れるが、黒い水は離れる様子すらない。呼吸はできないが苦しくはなく、これからどうしようかと思ったとき――声が聞こえた。
「目覚めたかい?」
 わずかな自由がある首を辛うじて横へ向ける。
 そこには人外がいた。シックに整えた黒い内装のせいですぐには気づかなかったが、悪魔そのものといった外見の人外がタキシードを着て、部屋に同化するように佇んでいた。
 悪魔と断言できるのは、タキシードから覗く僅かな肌が、奇妙なことに真っ暗な部屋の中でもはっきりと、しわくちゃでごてごてとした質感であるのが見えたからだ。しかも色は赤く、とても人間のそれではない。身長は一喜と同じぐらいだろうが、それだけに恐怖を感じた。
 そいつは暗闇のようなこの部屋で一喜を見つめていた。輝く赤い瞳はおぞましくも美しく、人外のそれとして一喜の目に焼き付いた。自分に対して向けたものかは分からないが悪魔は鋭い笑みを口元に浮かべ、背後にうっすらと影を伸ばしながら一喜に近づいた。

◆続きはアンソロジー『inagena vol.1』でお楽しみください◆
(『inagena vol.1』は「文学フリマ東京38」にて販売します)

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,392件

#新生活をたのしく

47,912件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?