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「言語化を楽して誤魔化すな。」


映画・「はじまりの旅」を観た。

主人公は、社会から離れて森で暮らす父親と6人の子どもたち。

ある日、病気で入院していた母親が亡くなったと報せが入る。

それをきっかけに、葬儀のためそして母親のある願いを叶えるため旅に出るというロードムービー。


この映画を観て、

「普通」という枠は、固めるより広げたほうが良い

と思った。

だけど、恐らくこの映画の感想で「普通」について書く人は多いだろうから、俺は違うことを書いてみる。笑


俺は特に、

言語化で楽をするな

と強く感じ、改めて気をつけようと思った。


父親は子どもたちに教育として、

「興味深い」という表現を使うことを

無意味だから禁止としていた。

これは、自分の言葉を使うことに重きを置いている教育で、

スゴく良いなと思った。


俺は、絵文字を多投する奴が嫌いで

最近だと、「!」を多投する奴も嫌いだ。

そこを絵文字とか「!」で楽して誤魔化すんじゃなくて自分の言葉で表現しろよって思ってしまう。

絵文字とか「!」を多投することは、言語化から逃げている証拠だから、

そんな奴が自分の言葉を使えるようにはならないだろう。

当たり前だけど、自分の言葉を使えないなら、自分の人生を歩めるようにはならない。


少し前、ある方から感想とか自分の言葉でアウトプットする時に、

「感動した」なんて言葉を使うな。と言われたことがあり、

それからは使っていないんだけど、

同じようなことを映画でも言っていたからビックリした。笑

でも、普通に考えて「興味深い」も「感動した」も言語化から逃げてる表現だ。

だって、その言葉って抽象的で曖昧でしょ。

言語化って抽象的で曖昧なものを具体的に言葉で表現することでしょ。

具体的に言葉で表現できなきゃいけないのに、抽象的で曖昧な言葉を使っちゃ意味ないでしょ。

で、何回も書くけど言語化が上手くできないと、自分の言葉を使えるようにはならないわけ。

で、自分の言葉を使えないと、自分の人生は歩めないわけ。

だから、

絵文字とか「!」とか抽象的な言葉を使って言語化から逃げていたら、一生自分の人生は歩めないんだ。



映画の中で、

「静かに、頭を使って、お前の目で見て、計画しろ。自分でなんとかするしか無いんだ。」

ってセリフがあったけど、これも言語化が上手くできないと無理なこと。

だって、

目で見たものを上手く言語化して、冷静に頭を使って、

上手く言語化したものを再構築して計画として落とし込めるから、

自分でなんとかできるんでしょ。

だから、言語化が上手く出来ることがそもそものはじまりなんだ。

自分でなんとかできない原因は言語化が下手くそだからだよ。


言語化が上手くなるには、多くの言葉に触れること。

そもそも言葉を知らないと言葉を使えるようにならないからね。

多くの言葉に触れるには、小説がオススメだけど、最近は詩もいいなと思ってる。

そしてそれを最初は真似してでもいいから使ってみることだ。


この映画は俺の大好きな「Sweet Child O' Mine」や「i shall be released」も劇中で使われていたし、本当に気付かされることが多いから是非観てもらいたいな。


最後にもう一回書くけど、

言語化を楽して誤魔化しておいて、自分の人生なんて歩めないから。

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