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エッセイ他

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長めの詩と、物語と、ポエムの延長線上にあるエッセイと。
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2023年5月の記事一覧

死にたい君に僕ができることはない

死にたい君に僕ができることはない

 死にたいという感情は、「恥ずかしい」と「帰りたい」と「会いたい」の混合物だ。

 できなければいけないことができない自分の不甲斐なさ。誰かに取り返しのつかない傷を負わせてしまった後悔。何の役にも立たず迷惑をかけてばかりの申し訳なさ。

 臭くて汚い惨めな裏切り者の自分を見られたくない。穴があったら入りたい。永遠の墓穴に。

 そしてもう戻って来たくないくらい疲れている。

 逃げ道はまだあるかも

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【小説】仮面と食卓(食事と夫婦関係の話)

【小説】仮面と食卓(食事と夫婦関係の話)

 このお皿、ヒラメの形だね、なんて他愛ない気付きを口にして、ほんとだ、って何のひねりもない返事をもらって、あれ、ヒラメとカレイってどっちがどっちだっけ、とかどうでもいい話をして。

 ヒラメの皿の上から焼き魚を口に運ぶために彼の手は塞がる。テーブルの上の品々が彼の視線を外に向けさせる。

 差し出したわたしの言葉が受け取られる。同じものを見ている。彼の意識の窓がわたしのほうを向いて開いている。

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いつかの思い出(喪失と幸福について)

いつかの思い出(喪失と幸福について)

 密で柔らかな体毛に覆われた臆病な獣の後頭部を眺めながら、川沿いの道を今日も歩く。夏至に向かう朝の太陽で、被毛の白い部分がハレーションを起こす。

 この子が自分の最後の犬かもしれない。

 そう思った時、わかってしまった。今この瞬間、網膜に映っているこの光景が、いずれ何度となく呼び起こすことになる、幸せな思い出そのものなのだと。あまりの眩さに蒸発してしまいそうなほどの光を放つ、まさにその記憶にな

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多様性を考える前に

多様性を考える前に

 世の中には、いろいろな体、いろいろな感覚、いろいろな思想を持った人がいる。大昔からずっといる。多様性の時代と言われるようになって急に生まれてきたわけではない。

 しかし、多様な人々を尊重しようという流れが強まると、特に多数派の側が反発を感じることがある。

 セクシャルマイノリティの例で言えば、「同性から告白されたら断ってはいけなくなるのではないか」という不安の声を目にしたことがある。同様の意

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