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多様性を考える前に

 世の中には、いろいろな体、いろいろな感覚、いろいろな思想を持った人がいる。大昔からずっといる。多様性の時代と言われるようになって急に生まれてきたわけではない。

 しかし、多様な人々を尊重しようという流れが強まると、特に多数派の側が反発を感じることがある。

 セクシャルマイノリティの例で言えば、「同性から告白されたら断ってはいけなくなるのではないか」という不安の声を目にしたことがある。同様の意見は他のマイノリティ属性についても見かける。つまり、少数派を尊重しなければならないのならば、少数派の言うことに逆らってはいけないのではないかという考えだ。

 こうした考えが出てくる背景には、そもそも上下関係でしか人間関係を捉えられていないという問題があると思う。

 上の人間は好き勝手に振る舞って下の人間を支配し、下の人間は上の人間に忖度して服従するという関係を前提にするならば、相手を尊重するということは、すなわち、相手を自分よりも上に置くということになる。今までは下に見ていた人間を急に上にしろと言われたら、反発するのも当然と言えるだろう。

 だから、マイノリティの人権を訴える前の段階として、そもそも対等な関係で人を尊重するとはどういうことなのか共有する必要があると思う。

 マイノリティが訴えているのは、自分たちを特別優遇しろということではない。マジョリティと対等に、平等に扱ってほしいと言っているだけだ。マジョリティに黙らされたくはないが、マジョリティを黙らせたいわけでもない。だが、その声を聞く側が対等な人間関係というものを知らなければ、何を言っても徒労に終わるだろう。

 多様性を尊重することは、「普通」の範囲を拡張することだ。人間のあり方はひとつではなく、少数の人にしか見られない特徴を持つ人を、異常でも病気でもなく、他の人と同じように「普通」なのだと認識し直すことだ。「下」でも「上」でもなく、対等な、ただの人間だと知ることだ。

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