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歴史考察

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歴史について考察した記事をまとめています。
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2023年11月の記事一覧

1889年「燃えなかったパリ」~ブーランジェ事件~

1889年「燃えなかったパリ」~ブーランジェ事件~

「イチハヤク」つくる大日本帝国憲法。
日本史で重要な年号、1889年に、
フランスでは大事件が起きていました。

『ブーランジェ事件』です。

「…パン屋さんが暴動でも起こしたの?」

違います。
パン屋はBOULANGERIE(ブーランジェリー)。
このブーランジェはフランスの人名。
ブーランジェという人が
「クーデター未遂事件」を起こしたのです。

本記事では、この事件のことを書きます。

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奴はとんでもないものを盗んでいきました

奴はとんでもないものを盗んでいきました

ルパンと同様、ナポレオンにも三世がいます。
フランスのナポレオン三世(1808~1873)。

幕末の日本では江戸幕府が
フランスと組んでパワーアップを図っていた。
その際にフランスの権力を握っていたのは
そう、このナポレオン三世!

…でもこの人、わかりにくい。

大統領、皇帝にまでなった。
しかし普仏戦争でビスマルクに負けて、
捕虜になってしまう。

強いのか弱いのか、よくわからない…。
でも

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人材活用の鬼才 ~黒田清隆と酒~

人材活用の鬼才 ~黒田清隆と酒~

日本の「第二代」内閣総理大臣は?

…と聞かれてもすぐには
出てこないのですが、
黒田清隆(くろだきよたか)です。

現在のほぼ鹿児島県、薩摩藩の出身。
1840年生まれ、1900年に死去。

彼の話で真っ先に出てくるエピソードは、
「酒に酔って妻を殺害した」
というものではないでしょうか?

…確かに彼には
酒乱の気があったと言われます。
酒に酔って船から大砲をぶっ放し、
誤って海岸の小屋に当た

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森鷗外、りんたろうの外遊と苦悩

森鷗外、りんたろうの外遊と苦悩

明治の文豪として夏目漱石と並び称される
森鷗外(もり おうがい)!

本名は、森林太郎。
しんりんたろう、ではなくて
「もり りんたろう」です。
木が多いですね。

ペンネームの「鷗外」の
由来には諸説がありますが、
「鷗」(かもめ)の「外」ですから、
空を飛ぶかもめに、
さまざまなしがらみに縛られた
自分を仮託して
自由に筆を執りたい、という気分が
込められているように思います。

(「かもめの

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罪なくして斬らる ~鞠躬尽瘁の人~

罪なくして斬らる ~鞠躬尽瘁の人~

小栗上野介、おぐりこうずけのすけ。
小栗忠順(おぐりただまさ)の呼び名。
1827年~1868年の人。

ええ、よく「徳川埋蔵金を追う!」などの
番組の導入で名前を聞く人ですね。
「勘定奉行」を務めたことがあるので
そんな噂が出たのだ、と思います。

ただこの人、勘定奉行だけでは、ない。

外国奉行、寄合席、小姓組番頭、
江戸南町奉行、歩兵奉行、講武所御用取扱、
陸軍奉行並、軍艦奉行、横須賀製鉄所

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極東のゴールドラッシュ ~幕末日本の金流出~

極東のゴールドラッシュ ~幕末日本の金流出~

船で往復して両替をするだけで儲かる?
合法的に?
そんな美味しい儲け話があれば、
やってみようとする者が出てきます。

そんなあり得ない「濡れ手に粟」が、
幕末の日本の一期間で起きました。
海外の商人たちは日本に殺到、
両替しまくってガッポガッポ…。
あたかも「ゴールドラッシュ」です。

本記事では、なぜそのような
ことが起きたのかを書いてみます。

黒船の「ペリー」の後に
アメリカ合衆国からやっ

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最強のコミュ強、敏腕外交官・岩瀬忠震

最強のコミュ強、敏腕外交官・岩瀬忠震

いわせちゅうしん、ではなく、ただなり!
岩瀬忠震、という外交官がいました。

「…だ、誰?」

そう思った方、無理なからぬところ。
私も、この人をよく知りませんでした。

幕末の1818年生まれで、1861年に死去。
「水野忠徳、小栗忠順、岩瀬忠震」、
この三人を「幕末三俊」と
呼ぶそうなんですが、
「西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允」、
この「維新三傑」に比べて
知名度が非常に低い…。

勝てば官

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スペインのジェットコースター

スペインのジェットコースター

スペイン、という国があります。
ヨーロッパの西、イベリア半島。
フランスから見れば
「ピレネー山脈」を隔てて鎮座する国!

「太陽の沈まない国」と
呼ばれたこともあります。
el imperio en el que nunca se pone el sol。
世界中に植民地を持っていて、
世界のどこかでは太陽が上空にある。
ハプスブルク朝のスペイン!
1580年からは隣国の
ポルトガルもその傘下に

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マルグリット・ドートリッシュのキャリア

マルグリット・ドートリッシュのキャリア

あまり知名度はありませんが
世界史にとんでもなく大きな影響を
及ぼした人物がいます。

マルグリット・ドートリッシュ!

1480年〜1530年に活躍した女性。
ちょうど50年ほどの人生、
かなりの波瀾万丈なキャリアでした。

ブリュッセルで生まれました。
今で言えばベルギーの首都。
ネーデルラントと呼ばれる地域。
北はオランダ、南はベルギー、
あのあたりです。

父親はマクシミリアン1世!
神聖

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中欧のラストエンペラー ~オーストリア帝国の国父~

中欧のラストエンペラー ~オーストリア帝国の国父~

フランツ・ヨーゼフ一世!
1830年~1916年の人。

ハプスブルク家が統治した
「オーストリア帝国」の皇帝として、
その在位、何と68年。
彼の後継者、本当の最後の皇帝、
カール一世の在位は二年弱のため、
「実質的な」最後の皇帝とも言われます。

本記事では、彼の一生を書きます。

オーストリア帝国の「国母」として
名高いのは、フランス革命で
断頭台の露と消えた
マリー・アントワネットの母親、

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ハプスブルク家とマリア・テレジア

ハプスブルク家とマリア・テレジア

オーストリア、という国があります。
何を思い浮かべるでしょうか?

ヨーロッパの中央から東のあたり。
永世中立国。
ウィーン。合唱団。モーツァルト。
ザッハトルテが美味しい…。

そんなイメージが
あるのかもしれませんが、
実はこの国、昔は今より
はるかに大きい欧州の大国でした。
「ハプスブルク家」の支配の下で…。

本記事では、オーストリアと
ハプスブルク家のお話を、
マリア・テレジアを中心に書

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中野京子さんが語るプロイセン王家

中野京子さんが語るプロイセン王家

ホーエンツォレルン家、という一族。
ドイツ統一の核となったプロイセンの貴族!

特に有名な人物で言えば
18世紀の「フリードリヒ二世」と
19世紀の「ビスマルク」でしょうか?

フリードリヒ二世は「万能の啓蒙専制君主」。
1712~1786年の人です。
プロイセンをヨーロッパの強国へと
押し上げた偉大な大王!
ビスマルクは一族の家臣で、
「鉄血宰相」の呼び名を持つ
1815~1898年の人です。

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