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マルグリット・ドートリッシュのキャリア

あまり知名度はありませんが
世界史にとんでもなく大きな影響を
及ぼした人物がいます。

マルグリット・ドートリッシュ!

1480年〜1530年に活躍した女性。
ちょうど50年ほどの人生、
かなりの波瀾万丈なキャリアでした。

ブリュッセルで生まれました。
今で言えばベルギーの首都。
ネーデルラントと呼ばれる地域。
北はオランダ、南はベルギー、
あのあたりです。

父親はマクシミリアン1世!
神聖ローマ帝国の皇帝です。
母親はマリーと言いまして、
ブルゴーニュというところの
女性当主でした。

マリーの父親、つまり
マルグリットの祖父は
「シャルル突進公」と呼ばれており、
文字通り『猪突猛進』して
戦死しちゃうんですよ。

千載一遇の好機、とばかりに
フランス国王がマリーを狙いますが、
マリーはマクシミリアン1世に
救いを求めたんです。
この二人の間に生まれたのが
兄のフィリップ美公と
マルグリット・ドートリッシュ。

しかしマリーは落馬事故で亡くなります。
1482年。
マルグリット、2歳で母親を亡くす。
マクシミリアンは外国人の婿ですから
ブルゴーニュから追い出された。
4歳のフィリップ美公が
当主にまつりあげられて、
2歳のマルグリットは人質に…。

その幼児を狙ったのが、
またもやフランス国王、ルイ11世。

母親で失敗したから、今度は娘だ!
なんと2歳のマルグリットを拉致して
フランスに連れて帰るんです。

自分の息子シャルル8世と
結婚させるために王妃教育を行う。
光源氏計画、プリンセスメーカー!

ところが、なんと。

このシャルル8世、別の女性と結婚する。
相手は、マルグリットの父親である
マクシミリアン1世の再婚相手、
アンヌ・ド・ブルターニュでした。
文字通りの略奪婚です。
ブルターニュ公国を奪うために。
しかも最初の妻であるマルグリットを
返さない、という非道っぷり!

1493年、新妻アンヌの口添えや
マクシミリアン1世の要請もあり、
マルグリットは故郷に帰ります。

13歳にしてバツイチ。
運命に弄ばれる悲運の姫君…!

そんなマルグリットに
新たな縁談が持ち上がりました。
スペインの王子、フアンとの縁談。

兄のフィリップ美公は
フアンの妹、フアナと結婚。
マルグリットは、フアナの兄である
フアンと結婚する。
要は、スペインは
神聖ローマ帝国皇帝の息子と娘を
両方ゲットした。
もちろん、フランスに対抗するために。

…ところがですね、
このフアン、不安な人生でした。
なんとマルグリットが嫁いで
わずか半年後、19歳で、死にます。

マルグリットのおなかの中には
彼の子どもがいたのですが、
1498年頃、死産…。
18歳くらいで二度も結婚相手と
生別と死別で別れるマルグリット…。
ちょっとかわいそう過ぎる。

失意の中で帰ってきた娘。
父親のマクシミリアンは次の縁談を
探しておりました。

1501年、21歳の頃に
サヴォイア公のフィリベルト2世と
3度目の結婚を行います。
サヴォイア公国とは、
フランスとイタリアの間にある国。

ただですね、このフィリベルト2世、
『趣味に生きる男』という感じで
政治に全く興味がないんですよ。
狩りが大好き。
マルグリット、がんばります。
フィリベルト2世に代わって
サヴォイア公国の政治を行う!


ところが、好事魔多し。

1504年、狩りで汗をかいて
冷たい水を飲んだフィリベルト、
急に苦しみ出して高熱を発する。
一週間後に死亡…。
マルグリット、泣き叫びながら、
高い窓から飛び降りかねないほどの
悲しみに暮れた、と言われます。

その2年後の1506年、スペインで
今度は実の兄、フィリップ美公が
騎馬試合で汗をかいて冷たい水を飲み、
苦しみ出して、死亡。
(この時代、水を飲んで
死亡する人が多すぎ)


義理の姉であるフアナは
悲しみのあまりフィリップ美公の
棺を抱いて、荒野を彷徨い歩く。
「狂女フアナ」と呼ばれるようになる。
フアナの父親は、正気を失った彼女を
監禁します。40年ほど。

兄とフアナの間には子どもがいました。
でも、とても養育できる状態じゃない。

そこで、育ての親として
白羽の矢が立ったのがマルグリット!

彼女にとっては可愛い甥や姪たちでした。

1507年、27歳の頃、マルグリットは
皇帝の父親の命令により
ネーデルラントの総督に就任します。
サヴォイアで政治、やってましたから。
甥や姪たちのため、学校もつくる。
「当時のヨーロッパで
最も文化水準が高い」と言われました。

この学校に、イングランドから
外交官の娘が留学してきます。
彼女の名は、アン・ブーリン。
のちに英国王の妃となり、
「エリザベス1世」を生む女性です。

さて、この学校で養育された
甥はすくすくと育ちまして、
後にスペインの王様となります。
カルロス1世。
しかも後に神聖ローマ帝国皇帝にもなる。
カール5世です。

これを不服とするフランスの国王、
フランソワ1世は彼と戦いますが、
逆に負けて捕虜になったりする。
このようにカール5世と
フランソワ1世は宿命のライバル、
因縁の多い間柄なのです。

しかし因縁と言えばマルグリットも
負けてはいませんよね。
何しろ2歳で拉致されて
フランス国王の息子と結婚するも
別れさせられた過去を持っています。

このマルグリットと、
フランス時代に仲良く遊んでいたのが
フランソワ1世の母親、
ルイーズでした。

かたやカール5世の育ての親!
かたやフランソワ1世の母親!

「おまえら、ええかげんにせえよ」

とばかりに、貴婦人同士
(保護者同士)で交渉しまして
「カンブレーの和約」を結ばせる。
1529年の条約、別名
「貴婦人の和約」とも呼ばれます。

これで安心したのか、
1530年、マルグリットは
約50年の波瀾万丈の生涯を閉じました。

ちなみにカール5世(カルロス1世)の
子どもが、フェリペ2世になります。

太陽の沈まない国、
植民地帝国スペインをつくった男。
フィリピンの国名の起源にもなった。
そのスペインの無敵艦隊を破ったのが、
アン・ブーリンの娘、エリザベス1世…。

そう、この頃のヨーロッパ、
ひいては世界史を左右した人たちは、
マルグリット・ドートリッシュの
影響をとても大きく受けているのです。

最後に、まとめます。

2歳で拉致され、フランスへ!
でも結婚相手は別の人と結婚する。
18歳で2度目の夫を亡くし死産。
21歳で3度目の結婚、でも死別。
27歳でネーデルラント総督になりまして
甥っ子を立派な国王・皇帝に育て上げる。
49歳の時には大国同士を和約させる…。

知られざる女傑、
皇帝の娘、かつ、皇帝の育ての親、
マルグリット・ドートリッシュ!

ぜひ、名前だけでも
覚えて帰ってください。

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