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#ライター
「〜された」「〜してくれない」をやめてみた。
「あの人に〜された」
「夫がわかってくれない」
「子供が〜してくれない」
「母に嫌なことばかり言われる」
「上司が嫌味なことばかり言ってくる」
「お客様が買ってくれない」
よく聞くお悩みです。
「された」
「〜してくれない」
ぜんぶ、受け身の発想。
「される側」に自分を置くのはラクだ。
される側でいるのは、ラクだ。
自分が動かなくていい。
自分で考えなくていい。
受け身でいることで、
伝えることは、「捨てる」こと。
伝えることは、捨てること。
100の言いたいことを、1にしぼること。
はじめから100聞いてくれる人などいないから。
100の言いたいことを、1つにまとめるのではない。
まとめると、ぼんやりとして、何が言いたいかわからなくなるから。
言葉で仕事をつくるメルマガ
さわらぎ寛子のラジオ
さわらぎ寛子の書籍
「言葉の定義」は、人によって違う。
「子供見ておいて〜」とパートナーにお願いしたら、
本当に何のお世話もせずに、ただ見ているだけだったり。(ってか、スマホばっかり見ていて、全然子供を見てなかったり)
「洗濯お願い」と言ったら、
洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを押すだけだったとか。
「俺はゴミ捨てしているのに」と言うけど、ゴミ袋を玄関からゴミ捨て場に移動しているだけだとか。
そういうズレは、ほんとよくある。
言葉の定義がズレている
なんとなく「みんながしているから」バカなふりをしていた。
本当はもっと知性的で、想いが伝わる文章を書きたいのに、
ネット上には、絵文字顔文字の軽い文章が多いから、そうしなきゃいけないと思って書いていました。
しゃべるように書けばいいと言われて書いていたけど、なんかフレンドリーすぎて違和感がありました。
人のメルマガやブログの文章がいいと思っていたわけじゃないけど、それしか知らないから、そんな風に書いていました。
講座の受講生さんから、よく言われます
「何者か」になってからではなく、「何者かになっていく過程」を発信しよう。
何者かになりたい。
ずっとそう思って生きてきました。
小学校の卒業文集には「自分にしかできない仕事がしたい」と書いていました。
社会人になってすぐの頃(2004年ごろ)、「ブログ」がまわりで流行り始めて、日々のつぶやきのようなブログを書いていました。会社員としてコピーライターをしながら「いつかは自分の名前で仕事がしたい」といつも思っていたような気がします。
今は、誰もが手軽に情報発信をできる
プロの「当たり前」を一般人は知らない。
SNSで、専門家に何かを教わった、という投稿をすると、「そんなことなら私も知っていたのに!」とコメントをもらうことがよくあります。
そうなのです。
その分野の専門家の方や、それについてよく勉強している人にとっては「そんなの当たり前」を一般人は知らないのです。
そして、自分自身も、同じジャンルの人の発信を見て「そんなの当たり前じゃん」「私だって、とうの昔に知ってたよ」と思ったりもします。
そ
「ビジネスは問題解決」じゃもう売れない
ビジネスは、「問題解決」と長く言われてきたが、今は、
「本人が気づいていない問題」を見つけて言語化できる人が求められている。
お客様やクライアントが、既に気づいている問題をどう解くか、
どうやれば最短距離で目的を達成できるのか?
そこで競っていては、ほかの人と同じ。価格競争や認知度アップ競争から抜け出せない。
問題を解く人ではなく、問題を見つけて提示できる人。次の旗を揚げられる人に人はつい