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「〜された」「〜してくれない」をやめてみた。



「あの人に〜された」
「夫がわかってくれない」
「子供が〜してくれない」
「母に嫌なことばかり言われる」
「上司が嫌味なことばかり言ってくる」
「お客様が買ってくれない」

よく聞くお悩みです。

「された」
「〜してくれない」

ぜんぶ、受け身の発想。


「される側」に自分を置くのはラクだ。




される側でいるのは、ラクだ。
自分が動かなくていい。
自分で考えなくていい。

受け身でいることで、
私たちは知らず知らずのうちに
自分を防衛している。

これ以上傷つかなくていいように。
これ以上がんばらなくてもいいように。

でも、
自分の感情も
行動も、
決めているのは「自分」。

「受け身」
「される側」でいることを、
自分で選んでいる。


「自分の人生は、自分には何も変えることができない?」




受け身な存在でいることに、
なれてしまうと、

自分の人生を
自分でコントロールできる
自分の人生は
自分の意思で変えていける
と信じる力が弱まってしまう。
(だから
無気力になったり、
自分を信じられなくなってしまう)

知らず知らずのうちに、
「自分は、
誰か(や何か)に
従属して
他者にコントロール
される側だ」

と思い込んでしまう。


人生の決定権を、自分に取り戻そう(もちろん、うまくいかないこともあるけれど)





/

人生の決定権を
自分に取り戻そう


もちろん、
うまくいかないことはある。

自分の力だけでは
どうしようもないことも

あるけれど、

「〜された」
「〜してくれない」

と受動態の気持ちが発動した時は、

自分は
「(今まで)何をしてきた?」
「(今)何をしている?」
「(これから)何をしたい?」

と問いかけよう。

すぐに答えが出ないなら、
「受け身体制」に
慣れすぎている
のかもしれない。




何度も問いかけよう。

自分を主語にして
能動体で生きよう。

自分を主語にして
生きていいんだと
自分に言い聞かせてみよう。


人生は、ぜんぶ、自分がコントロールできる、わけでもない。


一方で、
忘れてはいけないのは、
「頑張れば、思い通りになる」なんて
思わないことだろう。

自分に対して思うのはいいとしても、
それを他者に当てはめない。

当たり前だけど、
人にはそれぞれの状況がある。

私が頑張ったらからうまくいった
イコール
お前も頑張れよ
ではない。

「一生懸命やれば
誰でも成功できる」

なんていう言葉が
他者への暴力にもなる
という意識は常に持っていたい。



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