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Fremantle インディアンオーシャン

おぉ!! 今日は俺たちのLIVEの日じゃないか!! 

今は電車で向かっている最中なんですが、入りしたらリハーサル等あるので、今日はもうアップロードしちゃいます!! 

今夜、僕等のバンドSSIZEは千葉の稲毛K’s Dreamでバンドのライブをしていますよ!! 

笑っちゃうぜ、未だにバンドやってる。俺達がバンド組んだのって1999年の高校一年の秋頃、わかりやすく2000年って言ってるし、初ライブも2000年なんだ。

ずっと同じメンバーでバンドやるって、バンドやってる人にしかわからないかもしれないけれど、けっこータフでクールだよね。

今日もめっちゃいい日だな。

今日は母の日!! ママに「僕等を産んでくれてセンキュー」しましょう!! サビで歌ってますよ。(いい子達!!)

さて、ここから旅の青年のパースでの旅を見ていきましょう。

今思い返せば、タイミングもばっちりだし、この時の僕は何か見えない力にずっと導かれていたんだと思う。

フリーマントルに行かなけりゃ、バスキングもしてたかどうかわからない。

noteをご覧になっている方で、バスキングをしたことがある方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてくださいね。すぐにフォローさせていただきます。

友達にもなれるかもしれない。

音楽、奏でて行ってらっしゃい!!

Fremantle インディアンオーシャン

一週間経っても仕事はなかなか見つからないから、宿の予約が切れるタイミングで一気にフリーマントルっていう、お洒落なカフェがたくさんある街まで移動することに決めたんだ。

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そこは20分くらい電車に乗ったら着くパースの海辺の街なんだけどね。そうそうここがさ、バンダバーグの時にタカに教えてもらってた場所でさ、いつか行きたいと思ってた所だったんだ。

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タカは言ってたよ、「俺フリーマントル好きなんですよ。インディアンオーシャンめっちゃキレかったですよ」ってよ。

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俺もそれを見て大感動、真っ青でめっちゃ綺麗。ここでもはらはらしながら自分の履歴書配って歩き回ってさ、何人かの日本人にもここで会ったなぁ。パースを出る時、俺のバッグを買ってくれた田中君。

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あぁそうだ。ゆうへい君ともここで会ったなぁ。

俺がフリーマントルの裏通りを何気なくふらふらと歩いてたらさ、前から日本人が歩いてきた。そこも細めの道だったし、もう不思議でさ。なんかダーウィンでのじゅん君の時みたいなことあるんじゃないかなと思って。

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「あれ、なにしてんの。日本の人いると思わなかったよ!」ってびっくりしながら話しかけたら、案の定、大阪のバンドマンでさ、ってなにが案の定なのか。

「俺もバンドやってるんだ」ってことから打ち解けてさ、その後一緒にフリーマントル歩いて来たんだ。その間にいろいろとパースの情報も仕入れてさ、なんでもゆうへい君はパースのラーメン屋で働いてるらしいんだけど、時給14.5AUSドルだったかな。まぁまぁいいじゃんケアンズに比べたら、なんだけど、みんな「パースの時給はもっと高いですよ」って言ってたから、俺もここには金稼ぎに来ているからさ、もっと良い所探そうかなって思ってたんだ。

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いろいろ話していく内に楽器出来るんなら、ゆうへい君もやってるからって、ストリートパフォーマンス、「バスキングしたらいいじゃないっすか」って話になって、パースにある楽器屋知っているって言うから今度一緒に「カホン」を買いに行くことになったんだ。

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ちゃんとした仕事も探したかったけど、なんも稼ぎがないよりは、何かしててそれが「音楽」なら最高だから良い考えだ。まさか俺もその仲間になるとは、人生大事なのって本当に人との出会いだよなって思うよ。

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フリーマントルの海も空も驚く程にブルーで透き通っていて、もう俺の体を貫くほどだった。あの時の俺は、あの時見た空の色に染まってた。

その後、ゆうへい君が「フリーマントルの刑務所見に来たんすよ」って言っていたから、これってまたチャンスかもって思って、「俺も連れてってくれ」ってことで、一緒に行ってきた。

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超面白かったぜ、ちょっと前まで実際に使われていたらしいじゃんか。そんでさ、死刑執行室とか、生々しいけど首つり用のロープとかがまだ残ってんだわ。あぁ残酷だけど、そういう場所があったよってことな。

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一時間半くらいいたのかな。生の牢獄の濃い所まで見たような気がしたよ。

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携帯電話握りしめて、ダーウィンかどこかの空港で見ていたオーストラリアの日本人サイトに載っていた子供の面倒見る仕事のオーナーに電話することにしたのも、ちょうどここフリーマントルだったな。

いつまでうだうだしていても仕方ないんだし、働いて、ご飯も出て、空いている時間で「バスキング」で稼ごうとこの時は思ったんだ。
その仕事の登録料も一回300AUSドルまで勉強してくれていたし、これってだいたい二週間分くらいのレントだし、三ヵ月近くいるなら元取れるって話でさ、しかもオーストラリアのファミリーと暮らして子供の面倒なんて見ていたら、とっても英語の力が伸びそうだし、今までと違った事も経験してみたかったし、試しにやってみることにしたんだ。

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そしたら、「今すぐにヘルパーを必要な家庭がないから、少し待ってくれ」って言われて、何もないよりはましだからお願いしたんだ。

場所が変われば気分も変わるって奴だね。

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ブリスベンからゴールドコーストに移動した時みたいに、いろいろ始まっていきそうだ。

編集後記

限りなく透明に近いブルーじゃないっすか!! 目ん玉の奥までブルーに染まってました。ここからどんどん運が開けていきます。

きっとやっぱり音楽をしていたからだと思うんです。

次回はゆうへい君と一緒に街の楽器屋に「カホン」を買いに行って、早速バスキング仲間と街のストリートで音楽鳴らし始めます。こうして、バスカーが出来ていくんですね。そしてこいつはバンドも齧ってる。

そうそう、俺にフリーマントルを教えてくれたタカと出会ったのはバンダバーグのファーム。そこの話をnoteしておきます。

タカはきっと今頃、タトゥーアーティストだ。

ゆうへい君は、この後すぐにカナダに旅立っていったんだっけ。

大阪のバンドマンが好きです。参考までにこちらも再放送。

それから、ゴールドコーストの話も出てきてる。

みなさん、お時間ありましたら是非こちらの青年の冒険記で遊んで行ってください。

どうもありがとうございます。

この物語は全部今の今まで繋がってる。

気持ちも人も大事にしていきましょう!! 

ここからのパースでの旅の青年の楽しさったらもう、半端じゃない。

あぁだからこいつは本を書くんだ。って納得していただけると思うよ。


次回も見逃さずにかまっていってください。

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またね!!

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